Moon Light Anthem
 〜月光聖歌〜
第13話 夜毎、神話のたどりつくところ








 冷たい風に晒されて、湿った服を身に着けたナルトの身体は一層冷たく凍え
た。
 ぶるぶると勝手に震えてしまう自分の腕や足を止められない。
 どんなに強く手を握り締めても、奥歯を折れそうなほどに噛み締めても、襲
い来る寒さや悪寒からは逃れる手段となりはしなかった。
 寒い。
 冗談抜きにして、このままでは凍え死んでしまうかもしれない。
 そんな笑えない状況下に置かれたナルトは、ガチガチともう歯の根も合わな
くなった口になんとか笑いだけを浮かび上がらせる。
(俺ってば、マヌケ………)
 頭から足の先まで完全な濡れ鼠のこの有様を、他のどの言葉で言い表せただ
ろう。
 なんとかして動かす足が、力なく膝から砕けそうになって必死に近くにあっ
た木の幹にすがった。
 殆ど、ナルトの意志の力はその身体のどこにも届いてはいない。
 脳から必死に下された命令のどれ一つとして、まともに実行に移されない現
状を打開する術さえ見つからない。
 あまりの情け無さに、涙が出そうだった。
 自分の失態は、明らかに過ぎる。
 逃げた刺客を追って、捕まえるどころか反撃されてこの有様。
 ゼー、と吸い込んだ呼吸音がどこか穴でも空いているのではないかと思わせ
るような不自然さがあって、ナルトは自然と肺の辺りに手を当てていた。
 冷たいと言う感覚は、とっくに消えてなくなっている。
 むしろ何も感じない。
 凍傷を起こしかけている、その証拠だ。
 この国は木の葉のそれより季節の巡りが数ヶ月早く、ナルト達が入国する少
し前に初雪を降らせて、そしてほんの数日で大名の屋敷を取り囲むように聳え
た山々は雪に覆われ、一気に冬の顔に変貌してしまったていた。
 雪深い国であると事前に知らされていたからそれなりの備えはしてきたけれ
ども、まさかこんな雪山に立つことになるとまでは予想できず、かじかんで凍
りついてしまった手足を直す術はない。
「くっそ………サスケに火遁習っとくんだったってばよ………」
 雪さえ降ってこなければ………と、ナルトは白い欠片をひらひらと舞い落と
す空を睨んた。
 確かに、今日はこの冬で一番の冷え込みであまり気温は上がらず、夜になっ
たら雪になるかもしれない、と屋敷の者が言っていたけれど、まさかこんな目
に合うとは。
 吐き出す息は、それこそ雪のように真っ白で。
 指先なんて濡れてしまった上に雪が張り付き、そろそろ神経が麻痺して凍傷
を起こした指先からは触れている感触さえあやふやになりだした。
 これは、やばい。
 生命維持の神経回路が警鐘を鳴らしている。
 ナルトは自分の生命力が常人のそれとは違うと十分分かっていたし、そうで
あることを踏まえた上での無茶も散々した。
 しかし、それは身体に負った傷のことに限定された話だ。
 普通ならば即死しても不思議ではない毒を含んだ刀に切り裂かれても辛うじ
て命を留め得るだろうし、致命傷と言っても過言ではない傷を多少受けた所で、
死にはしないだろうけれど。
 首を切り落とされれば流石に死ぬのだろうし。
 四肢を切り落とされればそれが元に戻ることはないだろう。
 そして、流れ出た血を取り戻す速度が間に合わなければ、出血死は免れまい。
 確かにナルトの身体は一般的レベルからすれば化け物めいた回復力を有して
いる、と言える。
 だが、それはけして『不死』を意味するものではない。
 臨界点がただ、普通の者よりも高い所にあるに過ぎず、それを越えれば死ぬ
ことに変わりはないのだ。
(………どうせなら、こんな時にこそ、なんとかして欲しいってばよ、化け狐
………)
 その狐もナルトの身体が死に絶えれば己の消滅を意味するのだから、きっと
必死になっているのだろうけれど。
(目が、ちゃんと見えねぇってば………)
 とにかく、こんな所にあと数分も立っていたら確実に力尽きるだろう。
 そしてそのまま意識が消えることも疑うべくもない結果で、ナルトは必死に
なって足を動かした。
 ズキリ、と、痛みが走る。
 左足の大腿部から膝の内側にかけて、ズボンを切り裂くほどの深い傷痕があ
った。
 雪に濡れたせいなのかそれともまだ出血が止まっていないのか、真っ赤に染
まった周辺の服の布地はまだ固まっておらず、一歩踏み出すだけで引き攣る様
に痛む。
 普段なら、とっくに塞がって良い傷なのに。
 毒でも塗られていたのか、治りが悪い。
(もしかしたら特別な呪印でも刻まれた得物だったのかな、妙な術を使われた
のかもしれないし)
 それに、負った怪我は足のそれだけではないのだ。
 あるいは腹部にも負った内臓を切り裂かれ抉られた傷がひど過ぎて、それを
治すのに手一杯で力を回す余裕もないのか。
(くそ………屋敷はどっちだってばよ)
 ぼたり、と歩くたびに白い雪の上に真っ赤な花が滴った。
 取りすがるようにして歩く木の幹にも、赤い跡が残る。
(サスケ、俺のこと探してるかなあ)
 つい、咄嗟に敵を追ってしまったナルトに、背後からかかったサスケの鋭い
制止の声が耳を掠めた。
 きっと文句をつけながらも追い掛けてくれているに違いない。 
 妙な確信に、ナルトは口元に笑みを浮かべていた。
 いつから、こんな風にサスケに信頼を寄せるようになっていたのだろう。
 気に食わなくていつだって喧嘩ばかりで、それでも誰より近い場所に立って
いるような気がしていた。
 言葉などなくても、必要なことを分かり合える気がした。
 気がしただけではなくて、本当にそうだったと、思えばそれは不思議なほど
信じている自分に自分で今更驚いてしまう。
(きっとすげー怒ってるってばよ。当たり前だけどさ)
 苦笑を漏らして、すぐさま走った痛みにその顔が歪む。
 視界は完全に歪んでいた。
 確実に毒が身体に回り始めたことを、それが知らしめている。
 即効性だったのか遅効性だったのかも、ナルトの身体では分からない。
 呼吸さえままならないのは、怪我のせいか毒のせいか、それとも寒さのせい
なのか。
 早くサスケに会いたい。
 可笑しな話だったが、ナルトはサスケの顔を思い出して切実に思った。
 あの無表情な顔で睨み付けて、馬鹿にしたような呆れたような声を出すこと
が得意なサスケに会いたい。
 それだけで、こんな怪我などなんでもないと思える気がする。
 が、そう思う反面、ナルトは同時にサスケが自分を見つけなければいいと思
ってもいた。
 死んでしまうかもしれないこの状態で、それでもナルトには恐れるものがあ
るのだ。
 自分の身体は傷を何一つ残すことなく治してしまう。
 仮にこんな姿でサスケに会えば、当然だが瀕死の状態だと判断してきっと必
死に手当てをしようとしてくれるに違いない。
 だが、恐らくそうする端からこの怪我は治っていくだろう。
 それを目の当たりにせずとも、これほどの状態にあった自分が翌日には平然
として歩いていたら絶対に不信を抱くはずだ。
 それで当たり前であり、それが普通の反応だった。
 ナルトに隠された秘密を知らないサスケが、異常と言わざるを得ない回復力
に疑念を抱かぬ可能性は殆ど皆無だろう。
 自業自得だった。
 サスケにだけは知られたくなかったと言うのに、この状態に陥ったのは紛れ
もなく自分の失態に他ならない。
 いっそ、このまま死んでしまえばいいのだろうか。
 そうすれば九尾ごと死ねるはずだった。
 サスケに秘密を知られることもなく、終われるだろう。
(………死にたくないってばよ………)
 けれど、何もまだしていない。
 もっと色んなことが出来るはずだった。
 雁字搦めに足を運命に縛られている自分でも、いつかきっと、あの高い空へ
飛び立てる日はくるはずだと信じている。
 たとえそれが淡い夢に終わっても、最後まで諦めたくなどなかった。
 だから、サスケに見つけて欲しくない………見つけて欲しい。
 一体どっちが本当の自分の願いなのだろうか、それさえもう分からないまま、
ナルトは必死に足を動かした。
 ぼやけた視界にはもう、何処へ歩けは大名の屋敷へ戻れるのかも判別がつか
ないまま、前に、また一歩前に。
 滴る血と吐き出す白い息を堪えながら、ひたすら見えない出口へ向かって歩
き続けた。








 ザザザッ、と、雪を載せた木の葉を打ち鳴らせて、サスケは木の上から地面
に降り立った。
 周囲を素早く見回して、気配を窺う。
(………あの馬鹿、何処にいるんだっ)
 さっきからどれほど意識を集中しても、捜し求めるナルトの気配が掴み取れ
ない。
 普段は邪魔なほど賑やかなくせに、どうしてこんな時に限って見つけられな
いのだ。
 この辺りではないのだろうか。
 山の中へ敵が逃げ込んだところまでは分かったのだが、その後の足跡がまっ
たく掴めないことにサスケは苛立ちを覚え始めていた。
 大名の屋敷の周辺はまだ雪の気配も薄かったが、しかし山はすでに雪に覆わ
れた白銀の世界だ。
 くわえてこの嵐。
 いきなり吹き荒れはじめた風が舞い散る雪をさらに増長させて視界を歪める。
 ただ立っているだけで確実に死ねそうな、その空気の冷たさ。
 サスケは目の前の風景を睨み付ける。
 写輪眼を使って、気配の全てを探るサスケの指先も冷たく震えていた。
 もともと体温の高くはないサスケであるから、こうなってしまうと通常の熱
さえ取り戻せない。
 しかしそれでも、その指は器用に印を結び術を紡ぐ。
 視界の悪くなった状況を打破するために、炎の塊を明かりの変わりのように
浮かび上がらせた。
「ったく、うっかりやられてやしないだろうな」
 ナルトはけして弱くはない。
 いや、その身に持つあの妖の力を使いこなせることを考えれば、すでに上忍
とも匹敵するだけの力を持っていると言えるだろう。
 だが、根本的な所で詰めの甘い奴だから、とサスケは舌打ちすることで自分
の不安を払拭しようとした。
 昔から怪我の治りだけは早く、それを考えればナルトがよほどの失態さえし
なければ致命的な状態には陥ることはないだろうと思うのだが、そのどこかで
それを自覚しているだけに無茶をやらかすのではないかとサスケには思えてな
らない。
 事実、過去にそうした事態に陥ったことのあるナルトを何度も目にしている
だけに、自分の思い過ごしだとは言いきれないのだ。
「ナルト!!」
 ついに我慢しきれず、サスケはその名を叫んでいた。
 敵がまだ潜んでいるとも知れない場所で、不用意に自分の位置を知らしめる
行為に及ぶのはけして賢い選択とは言えない。
 しかし、もう限界だった。
 このまま当て所なく探し回っていてたところで、ナルトを見つけ出すのは至
難の技だ。
 手遅れになる前に見つける為には、多少の危機はこの際無視するしかなかっ
た。
 声が返ると期待したわけではない。
 ただ、こうして呼びかけた声がナルトの耳に届いたのなら、確実になんらか
の反応が得られることをサスケは知っていた。
 たとえ気配を完全に断っていても、自分の声に、確実にナルトは反応するだ
ろう。
 その僅かに動く気配を掴み取ればいいのだ。
「何処にいる! ナルト!!」
 見逃すことはないと、サスケには自信があった。
 どんなに小さなものであっても、けして見逃さないと。
「この、ドベ! 何処だ!」
 雪の地面から軽がると跳躍して再び木の上へ。
 そして枝から枝へと音一つ立てずに飛び移るサスケの姿は、まるで風だ。
 付き従う炎の塊と共に、そうして幾つもの木を乗り越え、白く染められた大
地を駆けて………
(………!) 
 ふと、何かがサスケの肌を震わせた。
 音でもない、気配でもない、だがそれよりもっとはっきりとした何かが。
 枝の上で動くことを止めたサスケの、その身体がゆっくりと反転して樹木の
枝に隠されたものを、見る。
「………………ナルト!!」
 白い大地に倒れ伏して、今にもその白の中の一部になってしまいそうなナル
トの姿がサスケの視界に飛び込んできた。
 瞬間、考えるよりも前に身体が動いていた。
 そこに敵が潜んでいるかもしれない、とか。
 罠があるかもしれない、とか。
 冷静に考えれば、当然のことをサスケは全て忘れて飛び出していた。
 倒れているその姿を目にした瞬間、サスケはもう、何もかもを忘れていた。







                            

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