初夏の気配が、はっきりと風の中に感じられるようになった頃。 木の葉の里の日常からすれば実にささやかな、しかし当事者たちにして みればとても重大な事件が起こった。 それが何か、と事情のすべてを知る少女はクスリと楽しそうに笑うだろ う。 本当にささやかなことなのよ。 淡い名前と同じ色をした髪を少しかき上げて、その手に持った籐で編ん だバスケ ットを大事そうに抱えた肩が、震える。 でもきっと、あの二人には大事件なんじゃない? 私が片想いしてた、彼には特に、ね。 さあ………っと、悪戯な風が少女の髪も服も巻き上げるようにして空へ と向い 乱暴に拭き抜けた。 雨の少ない季節の必然として、砂埃も舞い上がる。 かすかに視界が土色を帯びたように思えた次の瞬間。 少女の姿はそこにはもう、なかった。 心地良い陽射しが降り注ぐそこには、もう、誰もいなかった。 ハーブガーデン どったんばったんと、一体なにをどうすれば、そんな騒がしい生み出す ことができるのだろうかと、冷静沈着にして鉄面皮、と言うのはいささか この年の少年には 過ぎた表現かもしれないが、同年代の子どもらに比べれば感情の起伏をあ まり表に出さない、木の葉の里切ってのエリート忍者であるうちはサスケ は、文字通り頭を抱えていた。 実際、彼は頭を上げるのも億劫なほどの頭痛に苛まれていたのだが、そ れはついさっき飲んだ薬のおかげで収まっている。 しかし、それとは別の、外部から与えられる騒音によって、彼の頭痛は 再発しかけていた。 このまま黙っていても一向に止みそうもない騒音に、ついにサスケは重 たい身体を無理矢理起して布団から出るとどうにか廊下に出た。 「………おい、ドベ。どこにいる」 声を出すことも、正直辛い。 だから、どうしてもトーンが普段よりも下がってしまって、通りが良い とは言えなかったそれは肝心の相手に届く前に消滅してしまう。 もっとも、この騒音の中では普通の状態でも聞こえなかったかもしれな いけれども。 仕方がない、もう一度声をかけようかと、うざったくてしょうがない頭 を押さえながらサスケが一つ息を吸い込んだ時。 「うわ、わわわわわぁっ!!!」 ど派手な叫び声と共に、空気を震わせてサスケの脳天を直撃したのは、 ガラガラと崩れる鍋の音。 「ナルト!?」 あの馬鹿、何しでかした! 考えるよりも前に、サスケの身体は廊下を走り出して音の発生源、すな わち台所へと向っていた。 「おい、今の音は………」 「あ、サスケ?」 金の髪をした頭が振り返る。 それを視界の端にしっかり留めながらも、サスケは絶句していた。 目の前に広がった光景に、名を呼ばれたことも気づかぬほど、絶句して いた。 まず滅多に、虚をつかれたり呆然とすることなどないサスケであるから、 その彼が怒りの言葉もなく、さりとて冷たい言葉もないままに扉の所で固 まってしまったことに、いまだ床の上に転がっていたナルトは首を傾げる。 いったい、どうしたんだろうか。 目をまん丸にしちまって、こいつでもこんな顔するんだな。 熱で、おかしくなってんのかな? ――――――― などと、もしもそれをそのまま口にしていたら、間違 いなく脳天にきつい一撃を食らわされていただろうナルトが、突然がばっ と立ち上がった。 「おい、サスケ!」 そして、ガラガラとまたしても派手な音をたてて、サスケの頭を横殴り する。 「お、おまえ………、でかい音、たてんなっ!」 「そんなのどーでもいいってばよ、おまえ、何やってんだ!」 どうでもいい訳はないのだが、ナルトの勢いが常ならざるものであった ので、サスケは咄嗟に突っ込みを入れ損ねた。 「風邪ひいてるヤツが、こんなところに起きてきて来たら駄目だろ! ほ ら、さっさと布団に戻れってば!」 肩を掴まれ反転させられたかと思うと、そのままぐいぐいと背中を押さ れて危うく言うなりに台所を離れかけたサスケだったが、はたと我に返っ て踵を返し、反対にぐいっとナルトの肩を掴んだ。 「ちょ、待て、おまえ、それより、この状況は一体何なんだ!?」 「何って………」 う、とナルトは言い淀む。 その彼の背後には、見事に散らばるだけ散らばった大小中とサイズもば らばらの鍋たち。 上を見れば、開きっぱなしになった開き戸がある。 「おまえ………まさか、あそこから鍋を取ろうとしたのか?」 「う、うん」 収納庫の扉の位置は、かなり高い場所にあり、通常の大人でも少々背伸び が必要かもしれなかった。 うちは一族は比較的長身の者が多かったせいだろうか、屋敷全体の作りが 標準的規格からはいくらか大きめになっている。 だから子供のサスケが収納庫から何かを出そうとしたら椅子を持って来て 乗るしかなく、それでも少々辛いのだ。 サスケをもってしてそうであるから、当然ながら彼よりも身長の低いナル トが同じことをしようと思ったら、椅子で事足りるわけがない。 しかし、それを押して無理矢理に鍋を取ろうとした結果。 「それでこの有様、って言うわけか」 「あ、あのさ、一応、ちゃんと気をつけたんだぞ! だけど鍋がすげえ重く て、その、支えきれなくてさあ」 「いい、おまえのやる事に、何かを期待するだけ無駄だってことは良く知っ てる」 「あ、ひでー! そんな言い方ねーだろ!」 「その通りだろうが」 ふう、と一つサスケは溜息をつく。 「おまえ、変化の術は得意だろうが。だったら大人にでも化けてから取れば それで済んだんじゃねぇのか?」 「あ、そっか」 言われて、ナルトはぽん、と手を打ちそうな顔でナルホドと頷く。 今さら、納得してどうするんだよ。 サスケは頭を押さえる。 「思いつきもしなかった訳だな。だから、おめえはドベなんだよ」 本気で呆れ返ったと言わんばかりのサスケの表情に、ナルトは自分の失敗 が恥ずかしかったことも相乗効果となって真っ赤になった。 「あー、もう! 一々、うるさいんだよ、てめーは!」 とても病人を相手にしているとは思えない剣幕で、普段通りに食ってっか る。 「だいたい、俺はわざわざ修行の時間割いて、おまえの看病してやってるん だぞ! 少しはありがたく思えよな!」 それを聞いて、丹精な作りをしたサスケの顔からすうっと表情が消えた。 「別に、頼んだ覚えはない。修行したいのなら、こんな所で時間潰してない でさっさと何処へでも行けばいいだろう。だいたい」 そこで、一度わざと言葉を区切って、その顔がナルトのそれとの距離をギ リギリまで詰めた。 「俺が、こんな風になった原因を作ったのは誰だ? 俺がおまえに感謝する 義理はあるのか?」 ぐっと、ナルトは言葉に詰まる。 サスケの言うことは紛れもなく真実を突いており、当然ながらナルトには 申し開きをするわずかの隙もなかったのだ。 「………だからぁ、あれはよぅ」 「ああ、そうだな、修行してたんだよな? それで、ついうっかりと熱中す るあまり湖に落っこちた挙句、仮にも忍の端くれのくせにあろうことか足を 攣って溺れて死にかけたのを、俺が余計な真似して助けたりしたんだよな?」 普段、あまり必要なことすらも言葉にしないサスケが、淀みもなく一刀両 断にそう言ったものだから、ますますナルトは言葉がない。 サスケとは反対に、日常において黙っていることの方が珍しいと言えるナ ルトではあるが、彼の語彙はその年齢の子供にしても恐ろしく不足がちなの で、いざ理論立てた言葉を向けられると咄嗟にそれに適切に応じることがで きないのだ。 ましてや、それが(多少の嫌味な部分を差し引いたとしても)現実を正確 に示しているとしたら、そうそう言い返すことなどできる訳もない………は ずだったのだが。 「なんだよ! おまえってばすっげー嫌味だなっ! そりゃ俺だってマヌケ だったかもしれないけど、あん時のことはちゃんと悪かったと思ってるし、 反省だってしてんだってば! なのに、おまえ文句ばっかりじゃねぇか!」 逆ギレしやがった、と言うのが、恐らくもっともこのときのサスケの心情 を如実に示した心情だったろう。 目の前で顔を真っ赤にして怒鳴り地団駄を踏む相手に、もう呆れるのも通 り越して言いたい放題の文句を黙ってぶつけられていたサスケは、すっかり 自分の頭痛のことも忘れかけていた。 「俺だってなあ、ちゃんとやろうとしてんだってば! だけど、人の看病す るなんて初めてだから………」 そこまで言って、突然、ナルトが黙る。 どうしたんだろうか? とサスケもそうとは絶対に他人からでは分からな いほどに小首を傾げた。 その瞬間。 「サスケ! おまえ、熱があるんだろ! こんな所にいないで、早く布団に 戻れってば!!」 看病、の単語を発したしたところで、はたと現実の問題に立ち返ったらし い。 喧嘩をしている場合じゃないと、いきなりサスケの腕を掴むが早いか力任 せに引いて板張りの廊下を、寝室目指して歩きだした。 「おい」 「ウロウロ歩き回って熱が上がったらどうすんだよ!」 サスケの訴えなど勿論まったく聞く耳を持たず、ナルトは必死の形相でサ スケを寝室へと連れ戻す。 「ほら、さっさと布団に入れってば」 「………分かったよ………」 「あ、その前に!」 「まだ何かあるのか?」 いい加減、辟易した表情を隠そうともしないサスケなど気にもせず、ナル トはぐいっとばかりにサスケの寝巻きを掴んだ。 「な、なにを」 掴んだかと思うとそのまま脱がそうとするナルトに、サスケは慌てふため く。 「着替え!」 「は!?」 「汗かいただろ! そしたらすぐ着替えないと良くないんだってばよ!」 真剣な顔で寝巻きの襟許を掴んでいるナルトは、一歩も譲らない体勢だ。 「これくらい、なんでもねぇ」 「良くない!」 「ああ、分かった! 自分で着替えるから、離せ!!」 このままでは本当にナルトに剥かれるという、ありがたくも無い状況にな りかねないと悟ったサスケは、なんとかそれを阻止する為に必死になって襲 いかかるナルトを引き剥がして怒鳴った。 「じゃあ、早くしろってば」 サスケの返事に、案外とあっさりナルトは手を離す。 (この、ウスラトンカチ………疲れさせてどうするんだよ) 上がってしまった息を整えながらサスケはよろめく身体を叱咤して、新し い寝巻きを箪笥から引っ張りし、ナルトが見張っている前で手早く着替える と、何かを言われる前に布団に入ってしまった。 どうも、人を看病する、と言うどうやら初体験らしいこの状況を、ナルト は楽しんでいる節がある。 それを薄々勘付いていたサスケであったが、それを言ったら間違いなくま た爆破したように怒るであろうから、言葉にはしなかった。 流石に、正常な状態ならばいざしらず、風邪のせいで熱やら頭痛やらに見 舞われているこの状態では、ナルトとの口喧嘩には耐えられそうもない、と 言う的確な判断の結果、サスケは普段の毒舌を珍しくも控える。 「ったくよー、おまえってばホント無茶ばっかすんだな」 それは、そっくりおまえに返す、と心の中でぼそりとサスケは呟いた。 (それにしても、俺が風邪引いてこいつが引かないってのは癪に触るぜ) 同じように水に濡れて、同じようにびしょびしょのまま取り合えず近場だ ったサスケの家まで戻って、風呂に入って着替えて………二人の間に大きな 違いは見当たらない。 にも関わらず、サスケはその夜から体調を崩し、おかしいな、とは思った ものの久しく風邪など罹っていなかったこともあって大丈夫だろうといつも 通りに修行をこなしてから、床に就いた。 結果、朝の目覚めは最悪で、己が頭を襲ったいっそ殴り捨てたいほどの痛 みによって床から身体を起すことさえ難儀する有様。 朝食など作る気力も食べる気力もない。 忍たる者、その身体の健康管理も怠ることは許されず、一人になってから も朝食を抜くなどと言うことはあり得なかったサスケにとって初の事態であ った。 (最後に、風邪を引いたのはいつだったかな) ぼんやりとした脳裡に、母の姿が浮かび上がる。 まだ、その先に待っている絶望と言う名の未来を知らぬ幼い時代の自分が、 母の手に額を撫でられている姿を思い出して、サスケは吐き気を覚えた。 身体が弱ると心も弱ると言うのは、本当のことらしい。 思い出に縋る事だけは、けしてしないと誓っていたはずなのに。 キリキリとした痛みが額の奥の方で生まれて、サスケは顔を知らず歪めて いた。 「サスケ、大丈夫か?」 それを、病人に聞くのはまったく無意味だぞ、とまたしても声なき言葉を 呟いたサスケの額に、ひんやりとしたものが乗せられる。 「………?」 「へへ、気持ちいいだろ〜?」 それは、水に濡らして絞ったタオルだった。 「頭痛かったり、熱が出たら、そうやって冷やすといいんだってさ」 確かに、痛みはそれで緩和されるわけではないが、なんとなく心が落ち着 く。 ふう、とサスケは小さく息を吐いた。 「おい、ドベ」 「ドベじゃないって、言ってんだろ!」 怒鳴ってから、あ、ヤベ、と相手が病人であったことを思い出してナルト が首を竦めるのを見たサスケも、自分の無意識の口の悪さに溜息をつく。 そうするつもりはないのだが、基本的に自分以外の世界への関心を殆どと 言っていいほど持ち合わせていないサスケにとって、外界からの刺激は鬱陶 しいことが多く、どうしてもその気持ちが先にたって他者とのコミュニケー ションに支障を齎すのだ。 それをサスケ自身分かってはいるのだが、簡単には直せない。 「ナルト」 黙ってしまった相手にちらりと視線を投げて、サスケはゆっくりと言葉を 選んで口を開いた。 「なに?」 「おまえ、先刻、なんで鍋を探してたんだ」 「え? ああ、おかゆ作ろうと思ってさ」 「おかゆ?」 サスケの声が半トーン跳ね上がって、普段だったらけして聞けないような 口調であったことに、ナルトが気がついていたかどうか。 「だって、病人にはおかゆ、なんだろ?」 「………おまえ、作れるのか」 「あー! 今、絶対疑っただろう! 馬鹿にすんなよな! 俺、これでも一 人暮しはてめーより長いんだぜ!」 食べ物のことで口を開けはラーメンの事しか言わないナルトのこの台詞を、 サスケが鵜呑みにするには無理があった。 「………取り合えず、食べれるものにしてくれよな」 「まーかせとけって!」 サスケの含みのある言葉に、あっけらかんとしてナルトは笑う。 それがむしろ恐ろしくもあったが、こんなにやる気に満ちた相手に待った をかけるのは気が引けた。 「じゃ、俺作ってくるってばよ。そんで、飯くったら、薬な!」 サスケの額に乗せていたタオルを一度濯いで乗せ直すと、ナルトは台所へ 戻って行く。 自分と違って普段と変わらぬ元気のいい背中を横目で見送りつつ、サスケ は思った。 やっぱり、なんとかは風邪ひかねーって奴は、本当かもしれねぇな、と。 ■■■■■■ 「俺ってば、天才!」 出来上がった鍋の蓋を開けて、ナルトは嬉しそうに胸を張る。 一人分にしては少々大きすぎる鍋の中には、一見すると美味しそうな卵入 りのおかゆがあった。 「流石、イルカ先生だってばよ!」 テーブルの上にあった紙切れを手にして、ニッコリ。 それは、ナルトにも分かり易いようにと書いてくれた『栄養たっぷりの卵 入りおかゆ』のレシピだった。 病人にはどんな食事を作ったらいいのか分からず、料理の得意なイルカな ら、と教えてもらいに、ナルトはサスケの看病をすべくうちは邸を訪れる前 道すがら元教師の家に立ち寄ったのだ。 何故突然そんなことを、については一切語ろうとしないナルトに、なんと なく事情を察したイルカが快くその願いを叶えて渡してくれた一枚の紙。 なにやら染みができて、すっかり汚れてしまっているそれが、このおかゆ を作る為にナルトが苦労したことをさり気なく主張していた。 勿論それ以外にも台所のあちこちに名残は点在しており、後でそれを片付 けることを余儀なくされている現実については、ナルトも溜息をもらしたい ところなのだが、それよりも今はこの見事な出来映えのおかゆをサスケに持 っていくのが先決と気持ちを切り替える。 「えっと、あと、水に、湯呑み湯呑み、それから匙と、茶碗と………」 お盆の上に次々と必要なものを乗せて、最後にとっておきの物を一つそれ に添えたナルトは、意気揚々とサスケが寝ている部屋へ向った。 時刻は、すでに逢魔が刻。 庭に面した廊下の向こうには、大きな太陽が崩れ掛けながら沈んでいる。 「すっげー、色」 あんまり気持ち良くねぇな、と思いながら、ナルトはその先の部屋の襖を そっと開けた。 もしかしたら、サスケが寝ているかもしれない、と言うナルトにしては上 出来だとサクラ辺りに評価されたかもしれない気遣いからのことだったのだ が、サスケは寝ていなかった。 「あ、起きてたんだ」 「ああ、だるくて逆に寝れねぇ」 「ふーん、じゃあ、食欲もないか?」 「………いや、食べる。何でもいいから腹に入れねぇといつまでも体力が戻 らねぇからな」 何でもいい、と言われた事にはにカチンときたが、相手は病人病人、と呪 文を心の中で呟いて気持ちを押さえる。 「身体、起せるか?」 「ああ」 そう言うわりに、サスケの動きは鈍い。 普段の彼からすると、およそらしくないにも程がある。 これにはナルトも眉を顰めた。 いつも何につけ鼻につくくらい全てにおいて自分よりも完璧にこなしてみ せるサスケとは同一人物とも思えない姿に、無償に腹がたって気がつくと手 を貸していた。 「おい」 「見てらんねーからさ。おまえ、トロすぎ」 「ドベに言われたくねぇな」 「口だけはいつもと同じで、ヤなヤツ!」 などと言い合いをしながらも、なんとかサスケは上半身を起す事ができて、 ひとまずほっと息を吐く。 (やっぱ、辛いんだなあ) 「なんだ?」 「なんでもねーってばよ。それよか、ほら」 「ああ」 渡された茶碗と蓮華を受け取ると、サスケの目は自然とお盆の上にある大 きな鍋にいった。 「………でかすぎじゃねぇのか」 「いーんだよ、これで。それより、見て驚くなよ〜!」 イシシ、と楽しげに笑い、ナルトは手品師よろしく蓋を開けてみせた。 ふわりと湯気が立ち、それと共に柔らかい匂いが辺りに漂う。 「どうだよ? 驚いたろー!」 「………一応、食えそうだな」 「なんだそれー!!」 本当は、先刻までまったくなかった食欲を感じるほどにいい匂いがしたの だが、素直に美味そうだ、とは言えないところがサスケのサスケたる所なの かもしれない。 「じゃあ、食べんなよ!」 「誰も、食べないとは言ってないだろ」 拗ねてしまったナルトに、サスケは殊勝な口調でそう言って茶碗を差し出 した。 「ったく、食べたいなら食べたいで、最初っからそう言えよなー。おまえっ て素直じゃねーもんな」 折角サスケの為に、と、獅子奮迅の思いで(いや、文字通りそうであった 事は台所の惨状が物語っているが)作ったおかゆを食べてもらえるのが嬉し いのだろう、ナルトは気持ちがそのまま現れた顔で、茶碗にたっぷりとよそ いでみせた。 (分かり易いヤツ) 自分も実は嬉しげな表情を見せていたことを、恐らく自分では分かってい なかっただろうサスケは、ナルトの笑顔に視線を逸らして蓮華を動かす。 「どうだ? なあ、なあ、どうだってばよ!」 「だー、五月蝿いぞ! まだ食ってねぇだろうが!」 「さっさと食べろよ!」 こんな熱い物をすぐに食えるか! と怒鳴りたいのを堪えて、サスケは蓮 華にすくったおかゆに息を吹きかけて冷ました。 (………本当に、食えるんだろうな) 一瞬、見た目と匂いに騙されて、痛い目を見る羽目になりはしないだろう か、と疑いを持ったサスケであったが、ここまでしてもらっておいて食べな いと言うのは男が廃るだろう、と覚悟を決めて口の中に運ぶ。 それを、ナルトはじーっと瞬き一つせずに見守った。 「………………………」 もぐもぐと、サスケの顎が咀嚼の動きを繰り返し、最後に喉が僅かに上下 して飲み込む。 「どうだ?」 今度は、少し緊張した面持ちで、ナルトが聞いた。 「………不味くはねぇな」 「ひでえ、それだけかよ? ほっぺたが落ちそうなくらい美味いだろ!!」 自分でそれを言うか? 思った言葉をおかゆと一緒に飲み込んで、サスケはナルトの訴えを無視し 黙々と食べ続ける。 「? なに?」 そして、ずいっと空になった茶碗をまだ怒っているナルトに差し出せば、 それまでぎゃんぎゃんと言い募っていた口をぴたりと止めて、不思議そうに 茶碗とサスケを交互に見た。 「おかわりだよ、さっさとよこせ」 鈍いヤツ! と思いつつもサスケはぶっきらぼうな声で言い捨てる。 が、その頬がかすかに赤いのをナルトは見逃さなかった。 途端に、それまでの不機嫌は何処へやら、満面の笑顔になる。 「なんだよ、美味かったんじゃんか」 「食べられる味だ、って言っただろ」 「それ、もしかしておまえの最高の褒め言葉なワケ?」 信じられねー、と笑う目で言う相手に、サスケはそっぽを向いてまったく 応えないが、今度はナルトも気にしなかった。 「ほら」 「………サンキュ」 小さな声で一応の礼を言うと、またしてもナルトの笑みが広がる。 「にしても、良かった〜」 「なにがだ?」 「俺さ、実はあんまり味とかってこだわらないからさ、美味いとか不味いと かってこう、人がどう感じるもんなのか分かんないんだよ。でも、サスケが 食えるってことはけっこういい味なんだよな」 うんうん、と頷きながら、ナルトはもう一つ用意しておいた茶碗に自分の 分をよそいだ。 イヤな予感が、サスケの脳裡を過ぎる。 「おまえ………味見してないのか」 「うん」 あっさりと返されては、呆れるよりない。 (信じらんねぇ、このウスラトンカチ!) 味見もしていないものを美味いと言って憚らず、病人に勧めるとは大した 神経だな! と言ってやりたかったが、それをすでに二杯も完食しようとし ているサスケには流石に喉元まで出かかって、止まってしまった。 取り合えず、食べられたわけだから、いいとしよう。 (俺の寛大さを感謝しろよ。このドベ) などとサスケが思っているなどとは知る由もないナルトは、美味い美味い と自ら作ったおかゆを嬉しそうに食べている。 結局、自分の方がナルトに振り回されているような気がするが、それは考 えるまい、と、サスケは最後の一掬いを口に入れた。 「もういいのか?」 「ああ」 「じゃ、薬!」 「分かってる」 サスケはお盆の上にあった水の入った湯呑みと薬を取り、口に放り込んで 飲んだ。 「ふーん。おまえ、そうやって粉薬飲むんだ」 「? 当たり前だろ」 「俺さ、薬とかって、あんま飲んだことねぇけど、粉薬って嫌いなんだって ばよ」 嫌そうに目を細めるナルトに、サスケは思わず吹き出してしまう。 「な、なんだよ」 「なんでもねーよ」 「嘘つけ! おまえ、今、俺のことガキだとか、思っただろ!」 「分かってんなら、聞くなよ」 「悪かったな〜!!!」 「おまえ、うるせぇ。俺は病人だってこと、忘れてキレるなよ」 「あ、ゴメン」 しゅん、となってナルトは食べかけのおかゆをモソモソと口に運んだ。 どうしてすぐに喧嘩になってしまうのか、別にそうしたい訳じゃないのに、 どうも上手くいかない。 (サスケも口悪いけど、俺もすぐ頭に血が上るからなあ) しばらく、そうやってどちらも何も言わず、ただナルトが動かす蓮華が茶 碗にぶつかる音だけが部屋の中に響いていた。 それもついに止み、ことり、と小さな音をたてて二つの茶碗と蓮華をお盆 に戻したナルトが、視線の先に見つけた『とっておきのもの』に悲しそうな 表情になる。 こんな雰囲気では、とても渡せそうもない。 そう思った時。 「世話、かけたな」 ぼそり、とサスケが言った。 ありがとう、とか、美味しかった、とかそんな優しい言葉ではなかったけ れど、恐らくはそれが精一杯のサスケの感謝の言葉なのだろう。 我ながら単純だとは思うが、それだけで沈みかかっていたナルトの気持ち は一気に浮上した。 らしくもなく落ち込んだナルトを見かねての言葉だったのかもしれないが、 サスケは後になってらしからぬ真似をした自分を呪うことになる。 それはともかく、サスケに礼を言われてすっかりご機嫌になったナルトは、 諦めかけていたことを実行することにした。 「あのよ、サスケ」 「なんだ?」 「これ」 「?」 差し出されたものは、小さなコップ。 中身はどうやらジュースか何かのようなのだが、色からでは想像がつかな い。 「あのさ、あのさ、俺ってば小さい頃から山とかで遊ぶことが多くてさ、ん で、火影のじっちゃんに薬草なんかの見分け方とか教えて貰ってて、けっこ うそっちの知識があるんだ」 「へえ」 意外な話だな、と思ったが、今の三代目の火影はナルトを色々と昔から世 話していたと言うのは知っていたから、不思議なことではないとも思う。 「んでさ、熱冷ましとか痛み止めとか、あと良く寝れるヤツとか、色々調合 したじいちゃん特製の薬草を煎じた薬をさ、俺も教えて貰っててさ、それ、 作ったんだ」 「おまえが、自分で薬草取ってきたのか」 「俺の修行してるトコの傍に、薬草がいっぱいあるんだってばよ」 「ふうん」 渡されたコップを受け取り、まじまじと眺める。 匂いは、確かに薬草を煎じたものの独特のそれだ。 「絶対、きくから飲んでみろってば」 「………」 少し、考える。 ナルトの知識レベルには少々疑問を抱かずにはいられないが、しかし火影 からの伝授であるなら間違いはなさそうだと言えなくもない。 目の前には、期待に目を輝かせた子供が一人。 考えて、考えた結果、サスケは覚悟決めた。 コップを口許に持って行き、まずは確認の為に、と舌先で軽く舐め ――― 「………ナルト」 プルプルと、サスケの手が震えている。 「どうしたんだよ、サスケ」 「どーしたもこーしたもあるかっ! おまえ、これに使った薬草、まだ残っ てるんだろうな!?」 「あ、うん」 あまりのサスケの剣幕に、ナルトは素直に頷いた。 「それ、持って来い」 「なんで」 「いーから!! さっさと持って来い!」 「分かったってばよ」 急いで部屋を飛び出したナルトは、すぐに籠に山と乗った薬草を持って戻 って来る。 「これ、どうするんだ?」 ナルトの質問にまったく耳も貸さず、サスケはその山の中を探り始めた。 その殆どが、サスケも知っている薬草ばかりだ。 (おかしい、あるはずだ) そう思って、さらに下の方へと手を入れたところで、ピタリと動きが止ま る。 「………この、ウスラトンカチ」 「な、なんだよ、いきなり!」 「これは、なんだ?」 ずいっと差し出されたものは、ナルトの記憶にはさっぱりとない植物だっ た。 あれ? と首を傾げる。 「知らねぇ」 「し・ら・な・い、だぁ?!」 さわと一言ずつ区切って言ったサスケは、殺気も露わにして悪気の欠片も ない相手を怒鳴りつけた。 「じゃあ教えてやる! これは、薬草じゃなくて、毒草だ! アカデミーの 授業で習っただろうが! こんなモン飲んでみろ、俺はとっととあの世行き だ!」 「ええええええええ?!」 本気で驚いて、ナルトはまじまじとその草を見る。 「………俺、摘んだ覚えねぇ」 「何かと一緒に摘んだんだろうよ。まったく、ドベならではのマヌケな行動 だな」 「………………………ゴメン、サスケ」 てっきり、ドベって言うな、と怒鳴りつけてくると思ったサスケの予想に 反してナルトの声には全く力がなかった。 見れば、本気で落ち込んでいるらしく、項垂れてしまっている。 一歩間違えば毒殺事件になりかけていたかもしれない事を考えれば、それ くらいの反省はして当然なのだが、そこで自分が悪い事を言ったような気持 ちになるあたり、サスケも大概にして(本人の自覚はともかくとして)ナル トに甘い。 「まあ、やっちまったもんはしょうがねぇだろ。いつまでも落ち込んでんな よ、ドベ。幸い、この俺が最初に口にしたから何事も無かったんだ、感謝し ろよ」 「う………うん」 「やけに素直だな。気味悪いぞ」 「なんだよ、人が反省してるってのに、おまえは」 あからさまな嫌味にナルトがカッとなって顔を上げると、独特の笑みを見 せたサスケがいてドキリとする。 「結果は大失敗だったにしても、おまえ、俺の為にざわざわ薬草集めてくれ たんだもんな。一応、礼、言っておくぜ」 「なんか、あんまり気持ち入ってないけど、でも、サスケにしちゃ上出来?」 へへ、と照れたように笑う目尻に、かすかに光るもの。 そう言う最終兵器をさらっと見せるなよ、と小さく呟いて、サスケはつい っと伸ばした手をナルトの細い首に回して引き寄せると、少し赤らんだ目の 端に唇を寄せた。 途端に、ナルトの顔が燃えあがる。 「サ、サス」 「取り合えず、これは飲めねぇし、やばいから始末しねぇとな」 慌てふためくナルトをよそに、サスケは毒薬入りのコップを盆に戻す。 「あ、じゃあ、俺がかたして来るってばよ! で、も一回作ってくる!」 「今度は失敗すんなよ、ドベ」 「一言、余計だってばよ、サスケは!」 べーっと舌を見せて、ナルトはお盆を両手に持ってバタバタと部屋を出て 行く。 その背中を見送りながら、サスケはくすりと笑った。 「キスくらい、今更だろーに」 頭痛の方は、薬のお蔭が、あのウスラトンカチのお蔭が、収まっている。 薬のせいもあって、サスケの意識が揺らぎ始めた。 「寝る、か」 次に起きた時には出来上がっているだろう薬草の煎じ薬が、まとも飲める ものであることを祈りながら、サスケは横になって目を閉じる。 窓の外には、昇り始めた立待ち月が輝いていた。 沈み始めた意識の端に、やはりどたばたと騒音を立てずにはいられないら しいナルトの格闘ぶりが届いていたのも束の間、サスケはいつしか寝息を立 てている。 風邪によって寝込んでから、ようやく訪れた、穏やかな時間だった。 「ナルトー? サスケくーん?」 呼べど叫べど(本当に叫んだわけではないが)、返る返事はなし。 「おかしいなあ、いるはずなんだけど」 時刻は丁度、朝の七時を回ろうか、という頃。 まだ、寝てるのかしら。 サクラは、一番可能性のありそうなことを考える。 「どうしようかなあ」 風邪で寝ているサスケは、まだ寝ていても不思議ではない。 しかしナルトは朝が早い方であるはずだ。 スリーマンセルを組んでいた頃に遅刻は絶対にしなかったし、早朝から修 行に精を出していたことも知っている。 「サスケ君の看病で、疲れちゃったのかしら」 それはあり得る。 なにしろ、異様にやる気だったから。 (いきなり、風邪引いた人の看病ってどうするの、って聞かれた時は驚いた けど) ナルトに、熱で汗をかいたら服はこまめに着替えることや、良く寝てたっ ぷりと栄養を取ることなどを教えたのは、他ならぬサクラだった。 「うーん、しょうがない、コレ、せっかく作ってきたんだし、置いていくし かないかしらね」 腕に抱えたバスケットをチラリと見て、サクラはそう結論を出すとうちは 邸の門をくぐる。 バスケット籠の中身は、サクラが早起きして作ったナルトとサスケのため の朝食だ。 元々あまり料理などには関心の薄いナルトのこと、夜はイルカから情報を 得て作るつもりだと言っていたが(そこでどうして女の自分に聞かないのか と、サクラが腹を立てていたことをナルトは無論、ご存知無い)、朝までは 気が回らないだろうと考えて、持って来たのである。 「えーっと、確か、この裏辺りが、サスケ君の部屋よね」 以前何度か来たことのあるうちは邸の造りを思い起こしながら、サクラは 庭に回った。 部屋の前の縁側に置いておけば、きっと気づくだろう。 窓は閉まっているかもしれないが、そこはそれ。 忍たる者、鍵の一つや二つ開けれなくてどうしたものか。 「この辺かな?」 予想をたてて、ひょいっと背伸びをして窓の中を覗いて見る。 「あらら、やーねえ、二人とも」 そこに見たものに、思わす笑ってしまったサクラは必死に声を殺した。 「まったく、仲がいいんだから」 笑いを堪えられないまま、器用な手つきで鍵のかかっていた筈の窓を開け ると、そこからそっとバスケットを差し入れて、元通りに閉める。 くるっと踵を返して空を見れば、なんとも言えない青が広がっていた。 「いーい、お天気」 風がサクラの髪を揺らして通り過ぎる。 彼女の言う通り、今日は初夏の過ごしやすい一日となりそうだ。 そんな外の様子を知らずに、家の中の二人がどうしていたかと言えば。 布団の中で休んでいるサスケと、その黒髪の散らばる肩口に頭を寄せるよ うにして眠るナルトは、片方が右を、片方が左を向いている。 そして、お互いの手を不器用に左手と右手で握り合って、ただいま現在お 休み中。 目が覚めて、そんな自分たちの姿に気づいたら、どんな顔をするのかな。 ほんのちょっぴりの好奇心を押さえて、少女は家路を辿る。 それは、あのバスケットを返してもらう時に聞いてみればいい。 きっと一人はむすっと黙り込んで、一人は真っ赤になるだろうけれど。 それはそれで楽しいから、今は邪魔をしないでおいてあげよう。 久しぶりの、休日だもんね。 風は、空へと。 夏本番は、もうすぐそこに来ていた。 01.04.28【BGM】『プリンセスメーカー』by Hyperion Copyright(C)HyperionのMIDIROOM
や、やっと終わった………長すぎますね。ネットで公開する小説としては、これは ちょっと長すぎでしょう。二つに分けて載せれば良かったかも、と思ったりもした んですが、どんなもんでしょうか。 私は、どうも短い話より長い話の方が書き易いらしく、気がつくと長くなっている 節が。そんでもって校正なんかすると20%増(当社比)になるから洒落になりま せぬ。同人の場合印刷してしまったらもう取り返しがつかないので、最低でも3回 は時間があろうがなかろうが校正しなくてはならんのですが、これが更にページ数 を増加させて自らの首を締める結果になるなんて、日常茶飯事。 このハーブガーデンも、本当はただ単に風邪引いたサスケをナルトが看病するドタ バタラブコメにするつもりだったのに、無駄に長くて、しかもどこいら辺がサスナ ルやん? つーくらいいちゃついてねぇよあんたら!!! だしな〜ガックリ。 サクラは好きです。でもサスケとナルトが出来ちゃったら必然的に彼女の恋は実ら ない訳で………ゴメンよ。でも好きなんだ。彼女には鹿埜の思考回路が多分にすり 込まれております。こんな事するわけないだろ〜と言うツッコミは無しで、ひとつ お願いします。いや、もうナルトもサスケもバチモンですけど………シクシク。 Back