■Pot-Au-Feu■




 野菜は少し小さめに。
 お肉は火の通りがいいように、けれどけして小さくなり過ぎないように適当な大きさに切って。
 大きめのお鍋でゆっくりとゆっくりと。
「やあ、いい匂いだね」
 手に本を持って部屋から出てきたハウルは、階段を下りながらキッチンを覗き見て嬉しそうな声
をソフィーにかけた。
「今夜は寒いから暖かいポトフにしようと思って」
「へえ、いいね」
 くるくると鍋の中をかき混ぜながら、ソフィーは改めてハウルに顔を向ける。
「もう呪いの方はいいの?」
「うん、あとはマルクル一人で大丈夫だからね、任せてきた」
「まあ。本当に大丈夫なの?」
 確かにマルクルはハウルの弟子で多少の魔法を使えることは知っているが、まだまだ勉強中の見
習いだ。
 うっかりと間違えて大変なことになったらどうするのだろう、とソフィーは心配そうな表情を覗
かせるが、ハウルは気にもかけずにイスに腰掛けてしまう。
「大丈夫。難しいところは僕が全部やっておいたし、マルクルもあれでけっこうやるんだよ。それ
に何かあっても平気なように一応呪いをしておいたからね」
「そうだったの、流石はハウルね!」
 ちゃんと弟子のマルクルのことを気遣っているハウルに、ソフィーはにこりと笑った。
 何だかんだと言って、本当に自分の懐にまで立ち入ることを許してしまった相手に対してのハウ
ルは、かなり面倒見がいい。
 それ以外の相手には、見事なくらいに態度が変わるけれども。
「それで、何を作ってるの? 朝からずっと暖炉の前だけれど」
 家族の皆に朝食を振舞ってその後片付けを済ませた後から、ハウルの言う通りソフィーはずっと
暖炉の前で大きな鍋と向き合っていた。
「それに珍しいね。カルシファーがソフィーの料理の手伝いをしてないなんて」
 暖炉には薪があって火が燃えているが、それはカルシファーの火ではない。
 普通の炎だ。
 料理なんてするもんか、と言っていたのは誰なのやら、今では毎日ソフィーの手伝いが出来るの
が楽しいらしくカルシファーの不平不満を聞くことはなかった。
 むしろ、自ら進んで鍋やフライパンの下敷きになっているようにも見えるが、それは多分気のせ
いではないんだろう。
「そうかしら? そうね、いつもカルシファーに助けられてるものね」
「別にオイラ、嫌だって言ったわけじゃないからな!」
 ふわふわとハウルの背後に近づいたカルシファーが、本当だからな! と意気込んで言うのを聞
いて、分かっているよ、とハウルは笑った。
「でもさ、ソフィーが普通の火でやるって言うからさ。オイラそこを譲ったんだ」
「ごめんね、カルシファー。ここはあなたの場所なのに。でももう少しの間貸していてね」
「それは別にいいけどさあ。オイラ、ちゃんとやったぞ」
「ははは、でも強がりは言わない方がいいんじゃないか? カルシファー。ソフィーが今作ってるの
はポトフなんだよ」
「何だよ、強がりってのは!」
  憤慨してパチパチと炎を爆ぜるカルシファーに、ハウルが少しだけ目を遠くへ向けた。
  何かを懐かしむ時の顔だわ、とソフィーはその横顔に思う。
「昔ね、もう随分前の事なんだけど、シチューを作ろうとした事があるんだ」
「ハウルが?」
「うん。なんだか急に食べたくなってさ。もちろん作り方なんか知らないから料理の本とにらめっ
こしながらね。結構上手くいったなあって自分では思ったんだけど、肝心なところでカルシファー
が逃げちゃってね」
「逃げた?」
「そう。もうやってられるかーってさ。シチューなんてゆっくり煮込んで作るものだろう?  だけ
で煮込みたくても炎はすっかりやる気をなくしちゃってね。どうだいカルシファー。思い出したか
い?」
「オイラそんな昔のことなんか知らないね!」
  ぷいとそっぽを向いたカルシファーに、ハウルとソフィーは一緒になって笑う。
「それで結局そのシチューはどうなったの?」
「火が使えないんじゃしょうがないからね。仕上は魔法を使って食べることは出来たよ。でも魔法
で料理なんてするもんじゃないね。ちっとも美味しくなかった」
「魔法に失敗したの?」
「いや完璧だったよ。味も何かも。でもそれだけ」
「?」
  完璧だったのに、美味しくなかったなんて、何故? とソフィーが首を傾げれば、ハウルは柔ら
かな笑みを見せた。
「ソフィーが作る料理はとても美味しいよね」
「そうかしら。私、料理をちゃんと作るようになったのってこのお城に来てからなのよ?」
「美味しいよ、ソフィーは料理は。マルクルだってあんなに嫌いだったじゃがいもを食べるように
なったしね。なによりソフィーの料理を美味しく食べて貰いたいって気持ちが、たくさん込められ
ているんだからね。言うだろう?  料理を美味しくする最高のスパイスは愛情だって」
  だから、とハウルはくるっと指で空に円を描いた。
  すればそこにカップが現れる。
  中身はおそらく紅茶だろう。
「こんなものだって魔法で出したものなんかソフィーが入れてくれたお茶には、到底敵わないよ」
 昔はそれでも全然かまいやしなかったんだけどね、今じゃとても食べたり飲んだりできないなあ、
と本気とも冗談ともつかない口調で笑いながらハウルが言った。
「ああ………それでだったのね、分かったわ」
「何が分かったの、ソフィー」
  突然、一人納得してしまったソフィーに、ハウルが持っていたカップを消しながら問い掛けた。
  するとソフィーは視線を壁に掛けられたフライパンに向ける。
「この城に私が転がり込んで来て最初の朝に、あなたベーコンエッグを作ってくれたでしょう?」
「そんなこともあったね。カルシファーが不満そうなくせに君の言うことをきちんと聞いていてお
かしかったよ」
「余計なお世話だぞハウル!」
  パチパチと爆ぜるカルシファーに、はいはいとハウルはぞんざいに応じる。
「あれがどうかしたの?」
「私が卵を渡したら、ハウル、片手で簡単に割ってたでしょう? あれって簡単に出来ることじゃ
ないもの。料理に慣れてるのがすぐに分かったわ」
「ああ、あれ。昔から普通にやってたから気付かなかったなあ」
「それにね、フライパンを操る手付きとかも凄く慣れていたから、ああ、普段から料理してるのか
しら、って思ったの。ただし、あの台所の状況を見てすぐに否定しちゃったんだけど」
「うーん、昔から片付けは苦手なんだよね」
「得意とか苦手とかの問題以前よ、あれは!」
 ソフィーに鋭く切り返されて、ハウルはただ笑ってみせるだけだ。
「で? 何が分かったんだい、ソフィーは」
「ハウルが、どうして料理を魔法に頼らずにするのか、ってこと」
「魔法」
 ええ、とソフィーは頷いてみせる。
 ハウルは魔法使いだ。
 それもとびきりの、もしかしたら世界一と言ってもいいかもしれない魔法使い。
 何もない空間にベッドやら椅子やらを生み出すことさえ何の苦もなくやってのけるのなら、食べ
る物を作り出すことなど造作もないだろうに。
 豪奢な外見とは裏腹にものぐさな性格をしているくせに、わざわざカルシファーにフライパンを
乗せて焼いたりするなんて。
 そんなことをしなくても簡単にベーコンエッグなんて幾らだって作れるはずだ。
 だのに、それをしない。
「良かったわ」
「何が?」
「ハウルが、ちゃんと美味しいものを食べたいって思って、そしてそのための手間を惜しまないで
くれて」
 なんでも魔法で出来てしまうとしても、なんでも魔法でやってしまったら、きっと魔法使いは人
としてはだめになってしまうだろう。
 人の力で出来ることは、人の力で成すべきもの。
 魔法に頼るのはその先だ。
「ソフィー、ソフィー、鍋がぐらぐら言ってるぞ」
「まあ、大変! ちょっと火が強過ぎるかも」
 カルシファーが回りを忙しく飛び回りながら声をかけてきたことで、はっとすっかり忘れていた
鍋のことを思い出したソフィーは鍋の下を覗き込んで薪を少しずらして調整しようとするが、あま
り上手くいかないようだ。
 困ったわね、とソフィーが四苦八苦するのを見て、ハウルが手助けしようかとするその前に一瞬
早く、カルシファーがするっと鍋の下に潜り込んでしまった。
「カルシファー?」
「だからオイラがやるって言ったんだ。普通の火なんかじゃ上手いこと加減なんて出来やしないん
だからな!」
 驚くソフィーにそう言って、カルシファーは自分の代わりにいた炎を薪ごと取り込むと、あっと
言う間に火を弱める。
「どうだい!」
「凄いわ! 流石ねカルシファー! ありがとう、美味しいポトフが出来るわ」
 嬉しそうなソフィーに、カルシファーも嬉しそうに炎を燃え立たせてしまいそうになって、慌て
て弱火になるように火力を抑えた。
 そんな姿に、くすくすとハウルが笑う。
「頑張りなよカルシファー」
「ふん、おいらだって成長してんだい。我儘で泣き虫なハウルよりもオイラの方が大人だね!」
「そこまで言うのなら、頑張って美味しいポトフを作ってくれるんだろうね」
「あったりまえだろ!」
「お願いね、カルシファー」
 相変わらず仲が良いのか悪いのか分からない遣り取りをする二人に微笑みながら、ソフィーは鍋
の中をぐるっとかき回した。
 ふんわりと、暖かく美味しそうな香りが辺りに漂う。
 そしてクルクルと忙しく動くソフィーのスカートは、柔らかな波を描いて。
 動く城のキッチンは、いましも雪の舞い降りてきそうな真冬の寒さなど微塵も感じられないほど
に暖かだ。
 こういうのを、何て言うのかな。
 ハウルは椅子に座ったままカルシファーと話をしながら忙しく動いているソフィーの姿を見つめ
て、つらつらと考える。
(ああ、そうか、幸せってことか)
 自然と浮かぶ笑みを抑えられずに、ハウルの顔にはなんとも穏やかで静かな表情が生まれていた。
「ハウル、今日はキッシュも作るつもりなんだけれど、アスパラガスのキッシュとブロッコリーの
キッシュのどっちが………ハウル?」
「なんだい、ハウルの奴寝ちゃってるのか」
 振り返れば、そこには椅子の背凭れに右腕を乗せて、そこへもたれるようにして目を閉じたハウ
ルの姿があり、ソフィーはそっと足音を殺して歩み寄った。
 どうやら本当に寝入っているようで、顔を覗き込んでもまったく反応がない。
「こうしてると、本当に子供みたいね」
「ハウルは子供さ」
「そうね。でもアスパラガスとブロッコリー、どっちにしようかしら」
 その二つにどんな違いがあるのかまではまったく分からないカルシファーは意見を控え、自分が
任された鍋の具合を気にしながら火加減を調節することに専念する。
 こんなところで寝たら風邪をひくかもしれないけれど、なんとなく起こしたらいけないような気
がして、ソフィーは自分の肩掛けを取ってくるとそっと眠るハウルの肩に掛けて、優しくその黒髪
を撫ぜた。
 そして鍋を一混ぜすると、今晩の食卓を飾るキッシュの下準備に取り掛かる。
 アスパラガスか、ブロッコリーか。
 果たしてどちらをソフィーが選んだのか、それは夜になったら、分かるだろう。
 





 
 
                                         -end-



フランス語で「ポ」は鍋で「フ」は火を意味します。 実際には、ポトフ作りに一日かけるなんてことはまずないでしょう。 どっちかと言ったら、そうやって作るのはカレーかシチューなんですが、 音の響きが可愛いので敢えてポトフに。 冬の寒い時期には美味しい家庭料理ですね。 お肉に野菜をたっぷり入れて、煮込んで作るのですが、 キッシュもポトフも、フランスの料理。 しまった、ハウルはイギリスが舞台………あわあわ。 以上、旧ハウルサイトに掲載したときのコメントでした。 2005年2月3日作成。 back