「………カルシファー、ハウルはまたお風呂なの?」 「そうだよ。まったくあいつも変わらないよな。お湯の使いすぎだって、一回言ってやれよソフ ィー」 あぐあぐと薪を食べながら、カルシファーは心底嫌そうな顔でそう言った。 なにしろこの城の給湯はすべて彼が賄っているのだから、ハウルの長時間に渡る入浴は多大な る疲労をカルシファーに齎すのだ。 家事においても結局カルシファーに頼らざるを得ないソフィーとしては、できるなら彼の負担 を減らしてあげたいとは思うけれど。 「そうね、でもそれを言っても聞いてくれるかしら」 半ば呆れたような、諦めたような、そんな口調でソフィーは是とも非ともつかない返事を返し ながら、洗濯物をたたんでいった。 この城に転がり込んだ最初の日からカルシファーにお風呂に入るからお湯を、と言う姿を見か けたけれども。 ソフィーの常識からするのなら、ハウルの風呂好きは度を越している。 しかし、それはもう彼の生活習慣に染み付いているものなんじゃないかと思うと、今さら何を 言っても改善される余地はないようにも思えるのだ。 多分、恐らくソフィーが本気で説得にかかればハウルはそれを聞き入れてくれるかもしれない。 だが、そこまでして無理矢理変えさせなくてはならないことでもない、ような気がするので、 ソフィーはカルシファーの苦労を労りつつもハウルの長風呂については口出しはしなかった。 彼のお風呂好きには、ただ単に綺麗好き、と言うこと以上に何か理由があるように思えたから、 でもある。 「ねえ、カルシファー」 最後の一枚をたたみ終えて、ソフィーはふと思いついたかのように視線を上げた。 「なんだい」 「ハウルって、昔からああだったの?」 「ああってのは、風呂のことかい? そうさ、ハウルの奴は昔っからああだったね。少なくとも この城で暮らすようになってからはずっとそうさ」 「私には信じられないわ。あんなに長くお風呂に入ってるなんて。身体がふやけちゃう」 けしてカラスの行水、とは言わないけれど、それでも髪を洗って身体を洗ってそして身体を温 めて、一時間もいらないで事足りる。 それだけの時間をどうしているのかと考えれば、やはりのんびりとお湯に浸かっているとしか 考えられない。 想像するだけで疲れちゃう。 それに時間が勿体無いわ、とソフィーはそれだけの時間があったらどれだけのことが出来るか しら、と思い浮かべてしまった。 「………あら?」 「どうしたんだよソフィー」 「ハウルったら、着替え持って行ってね、って言ったのに、下着を忘れていってるわ」 「平気だろ。ハウルならタオルでも巻いて取りに来るさ」 確かに、以前そういった事もあったわね。 この城に居座ってから数日後に巡ってきたハウルの髪の色にまつわる大層な事件の顛末が、ソ フィーの脳裏を巡る。 「だめよ。そんな行儀の悪いことさせられないわ。マルクルが真似しちゃったらどうするの?」 どう見てもそうは思えないが、あれでも立派な大人、なのだ。 実はハウルが自分より随分年上であることを知った時、ソフィーはとても驚いた。 金色に髪を染めていた頃はまだしも、本来の黒髪をしているハウルは、実年齢よりもずっと若 く、と言うよりも幼く見える。 顔の造作そのものは秀麗で整っているだけに年齢に相応しいものを持っているが、なにしろそ の行動や表情が大きくそれを裏切っているのだ。 「まったく仕方ないわね。これ、置いてくるわ」 子供より手がかかるんだから寧ろ始末に終えないわね、などと言うくせにそれほど嫌そうでも ないソフィーは、手に洗いたての洗濯物を持って階段を上がっていく。 カルシファーはふああ、と欠伸をしながらそれを見送り、少し昼寝でもするかなーとそう思っ た時だ。 「きゃー!」 突然、悲鳴が上の部屋から………つまりは風呂場から響いてくるではないか。 「ソフィー!?」 「ソフィーどうしちゃったの!?」 これには昼寝を中止にしたカルシファーと魔法書と睨めっこしていたマルクルも驚いて、その まま揃って風呂場へ駆け込もうとしたのだけれども。 がしっと、その二人を止める手があった。 誰あろう、それはおばあちゃんの二本の手だったりしたわけで。 「おばあちゃん?」 「なんだよ、邪魔するなよ!」 「邪魔なのはあんたたち。今行ったら、ハウルの機嫌を損ねるよ」 「へ?」 きょとん、とマルクルもカルシファーも目をまん丸にしておばあちゃんを見て、そしてお互い を見て、最後に階段の上を見た。 「ちょ、ちょっとハウル! 床が水浸しになるじゃないの、そんな恰好で出てこないで! 私は あなたが忘れたものを届けに来ただけで………わ、分かったわよ、嬉しいのは分かったから、お 風呂に戻りなさい〜!」 そして、響いてきたのはソフィーのかなり裏返った悲鳴にも似た大声。 マルクルはそれでもまだ事情が飲み込めずに首を傾げているが、妙に人間臭いカルシファーは 凡その事情を飲み込んだようで、丸かった目が細く眇められてしまった。 「なんだよ、ハウルの奴、わざと忘れて行ったのかよ」 「そうでしょうよ。ソフィーが届けに着てくれる事は計算済みだったんでしょうねぇ」 「ねえねえ、どう言うことなの?」 すっかり納得している二人に完全に置き去りにされてしまったマルクルは、カルシファーとお ばあちゃんの両方に答えを求める。 「たいしたことじゃないさ。ただ、あんたのお師匠様は、ソフィーに構ってもらうためなら手段 を選ばない、計算高いようでいて、行動があんたよりも子供な困った魔法使いだってことよ」 「あーあ、どうせまたハウルがこっぴどく叱られて終わるんだろ? ソフィーの機嫌が悪くなる とオイラ嫌だよ」 「僕もやだ」 「ほ、ほ、ほ。心配ないさ。あの子が怒ったとしてもそのとばっちりがハウル以外に向かうこと なんてないだろうからね」 楽しげに笑うおばあちゃんに、本当かなあ、とマルクルは心配げにそっと二階を見上げた。 「ハウルさん、そんなにソフィー構って欲しいならそう言えばいいのに」 ソフィーが来てからすっかり性格の変わったように思われる自分の師匠に、マルクルは首を傾 げながら至極真面目に言う。 「無理だろ。あいつ、斜めに真っ直ぐな性格してるからさ」 カルシファーは分かるような分からないようなことを言って、火の粉の溜息を吐くともそりと 薪の間に姿を晦ませた。 二階からはまだ、なにやら言い合っている声が聞えてくる。 形勢は、今のところソフィーがやや不利なようだけれども、さてどうなることか。 おばあちゃんはいつもの椅子にどっかりと腰を下ろすと、苦笑を交えた呆れた笑顔をその皺だ らけの顔に乗せる。 「まったく本当に、少しは成長したかと思えば、ソフィーに対しては全然ダメだね。先が思いや られることさ」 マルクルとカルシファーが心の中でその意見に同意していたことは、無論、言うまでもない。 -end-
2005年2月6日作成。 back