目を閉じると、そこには闇があって。 けれど目を開いても、やはりそこには闇しかなくて。 何度瞬きをしてもそれは変わらない。 だのに太陽が輝いていることを、僕は知っている。 真昼の、真っ暗闇。 太陽の光のその下で、目の前にあるものは闇ばかり。 これをなんて言うのか、僕は知っている。 知っているけれど、言葉にはしない。 そのかわりに、ただ。 深く呼吸を吸い込む。■深く呼吸を吸い込んで■
「ハウル」 耳に優しい声が聞こえて、閉じていた目を開く。 「こんな所にいたら風邪を引くわ」 近付く気配と一緒に流れてくる暖かなものに、自然と笑みをもらしながら、ハウルは欄干にも たれさせていた身体を起こした。 「何をしていたの?」 「ちょっと考え事してた」 「こんな所で?」 「うん」 悪びれもせずに答えるハウルに、ソフィーは呆れた顔を覗かせた。 それも無理もないだろう。 なにしろ今の季節。この国は冬だ。 いくら空を飛ぶ城とは言え、それを免れる事はできない。 いっそのこと城の周囲を魔法で覆って、常春にしてしまおうか、とハウルは提案したのだが、 それはソフィーがやんわりと退けた。 自然の巡りとは、世界を司っているものたちがあるべき姿を示すものであるのだから、それを 無理に捻じ曲げることはないのだし、それに季節を感じられる方がずっと素敵だと。 ゆえに、今、この城もまた冬だった。 当然、バルコニーに出れば寒風に吹きっ晒しになる。 ましてやさほどの速度は出していなくても空を移動してるのだから、当然にして風の強さも割 増になった。 そのせいだろう。 ハウルの耳も手も、すっかり赤くなっている。 「何を考えていたのかは知らないけれど、とにかく中に入りましょう? これ以上ここにいたら 本当に風邪を引いてしまうわ」 「そうだね。ソフィーが風邪を引いたら大変だ」 「大変なのはハウルでしょ!」 あなたが寝込んだらそれこそ大変よ。 言いながら、ソフィーはハウルの手を引いて城の中に戻る。 ハウルは抵抗することなく導かれるままにその後に続いて暖かな部屋に戻った。 「皆もう、寝たの?」 「ええ。マルクルとヒンはさっきお休みの挨拶に来たわ。あなたがいないから、伝えておいてく れって」 「そう」 部屋に戻ったハウルは、ベッドの隅に腰を下ろすとそっと視線だけを窓の外へと向けた。 闇だけが広がった世界へと。 「今日は月も星も出ていないのね」 そんなハウルの隣に同じように座って、ソフィーもまた窓の外に目を向ける。 「曇ってるからね。随分分厚い雲だ。もしかしたら明日には雪になるかもしれないよ」 「雪? どうりで寒いはずだわ」 そして、ハウルの手をそっと持ち上げた。 「そんな寒い中に、こんな薄着でいるなんて、本当に困った人ね」 「あんまり寒いって感じなかったんだ」 「ハウルの悪い癖ね。一つに夢中になると、自分のことを忘れちゃうんだわ」 冷たく氷のようなその指先をそっと自分の指で撫ぜて、暖かく熱を灯そうとソフィーは優しく手 を動かした。 「ソフィーとはいい勝負だと思うけどね」 「そりゃ私もそう言うところはあるけど、ハウルよりはましよ」 「そうかな」 「少なくとも、こんな風に凍っちゃうまで夜風に吹かれて考え事なんてしませんから」 まったく、霜焼けにでもなったらどうするの? と言ってもハウルは笑うだけだ。 本当に仕方がない、と思いながらも、ソフィーはせっせと手を温め続けた。 「………聞かないんだね」 ソフィーの好きにさせながら、ふとハウルがそんな言葉を零す。 それは応えを期待しているともしていないともとれる、本当に独り言だった。 だからどうしようかと少し考えて、ソフィーはゆっくりと応える。 「何を?」 「考え事の、こと」 「聞いて欲しいの?」 逆にそう問い返されて、ハウルは少しだけ黙り込んだ。 そして、実に曖昧な表情になる。 「どっちか自分でも分からない」 「困った人ね」 さっきとは少し違う響きを含ませて、ソフィーは同じ言葉を繰り返し、そして笑った。 「それじゃあ、聞くわ。何を考えていたの?」 「闇の向こうには何があるのかなって、考えてた」 「闇の向こう?」 「そう」 ハウルの使う言葉は、時々とても抽象的になったり、何かの意味を含めた暗喩的な表現が入り混 じることがしばしば見られる。 彼が口にしたものを額面通りに受け止めて良いかどうかは、その時々の前後関係を踏まえて判断 しなくてはならない。 ソフィーは慎重に考えを巡らせて、そしてそっとハウルの顔を見上げた。 「ハウル、夜が明けたら、朝が来るわ」 「そうだね」 「そして、夕暮れが訪れたら、また夜が来るわ」 「うん」 「闇の向こうには光があって、そしてまた闇があるのよ。二つは繋がってるんだもの。誰かがおは ようって挨拶をしている時、どこかでおやすみなさいって、誰かが挨拶を交わしているのよ。朝が 来るのは夜があるからよ。闇が世界を眠りに誘ってくれるからこそ、朝 を迎え入れることができるんだわ」 ソフィーの一言ずつ区切るようなその言葉に、ハウルはゆっくりと笑みをその顔に広げた。 そしてそっと、ソフィーの手から自分の手を抜き取ると、その手で彼女の背中を抱き締める。 やんわりと、それはまるで羽のように。 「ソフィーは凄いな」 「なあに? 何か言った?」 「なんでもない」 小さく呟かれた言葉はくぐもっていてソフィーには届かなかったようだ。 普段は目にしないハウルの頭の天辺に、どうしたのかしら、と思いながら、ソフィーはそっと唇 を落として同じように抱き返す。 心配なんてしなくてもいい。 それを言葉なんて曖昧なものでなく、伝えるために。 弱虫で臆病で、でも誰より優しいソフィーにとって世界にたった一人の魔法使いの為に。 目を閉じると、闇があって。 そして、目を開いてもそこに、闇しかなくても。 瞬きを何度してもその闇は消えなくても。 真昼の、真っ暗闇。 太陽は遠く遠く、闇の彼方で輝いているのかもしれない。 これをなんて言うのか、僕は知っている。 ずっとずっと、抱え込んでいたもの。 言葉には出来ずに飲み込んでいたもの。 無限に続く闇を、僕は知ってる。 でも、僕は知ることが出来た。 闇の向こうにある光が、いつもそこにあること。 見えなくても、そこにいてくれること。 大丈夫。 もう大丈夫。 だから、闇を見つめて、その闇の向こうの光を見つめて。 僕はそれを言葉にする。 深く深く、呼吸を吸い込んで。 -end-
モチーフは、谷川俊太郎氏の「朝のリレー」と言う詩です。 谷川さんは私が好きな詩人の一人なのです。 出会いは小学生の時の教科書。そこに載っていたのが、この 「朝のリレー」。ネスカフェのCMに使われたので、知っている 人は多いかもしれませんね。版権あるので掲載は出来ませんが(笑) 本屋さんで探せばすぐに見つかると思います。 ネスカフェのサイトに入っても、そのCMが見れます。 以上、初掲載時のコメントより。 果たして今もネスカフェサイトで見れるのか……… んな訳ないですね(笑) 2005年2月16日作成。 back