カチャリ、と響いた音が耳に届く。 けれどそれに気付いていながら、目を手にしていた本から顔を上げることもなく、微動 だにもしないで読み続けている姿に、谷村は小さく肩を竦めた。 彼女のこんな態度はいつものことだった。 むしろ、普通に迎え入れられたことの方が少ないだろうな、などと思いながら、わざと 音を大きくたてて扉を閉める。 これもまたいつものことであったが、やはり、目が本から離れることはなかった。 「なんの用なんだ? いきなり俺を呼び出すなんて」 いくら待っても、こちらから切り出さなければ話が始まる気配もないのもいつものこと で、谷村はいかにも自分は忙しい時間を遣り繰りして来てやったんだぞ、というポーズを みせる。 それも一つのパターンの踏襲であり、まるでデジャヴのように同じ様なやりとりを何回 これまで繰り返してきたかなあ、などとそんなことを谷村が思ったときだった。 「あなたに、お願いしたいことがあります」 不意に目の前で机に向かい本を読んでいた相手から、声がかかる。 おや、いつになくストレートな切り出しだな、と谷村が質素で無駄がまったくない部屋 の中を彷徨わせていた視線を戻せば、そこには自分を見つめる視線があった。 「だから俺を呼んだんだろ? まあ、俺はあんたの部下なんだから、命令なら従うしかな いわけだ。で? 俺に何をさせたいんだい」 「ある人物を探し出して、渡してもらいたいものがあります」 「ある人物?」 はて、と谷村は思わず目を眇めてしまう。 彼女の部下にはそうした捜索にはうってつけの者などいくらでもいるだろうに、何故ま たわざわざ自分を指名するのか。 意図するところを探るように、じいっとその目を覗き込む。 だが、無表情で人形のガラス玉の瞳にも酷似したそこから、読み取れるものなど欠片も ありはしなかった。 (ま、この女の考えてることなんて、分かったためしがねーけどな) ふん、と小さく鼻を鳴らし、谷村は近くにあった椅子に腰を預けるようにして凭れた格 好になると、足を組んで少しばかり胸を反らす。 「やりましょう? あんたの命令は絶対だ。で、そのある人物ってのは誰なんだ?」 「秋山深一です」 「………………はあ?」 思いもしない名前だった。 二年前のあのゲームが開催されていた頃には幾度となく耳にした名前で、彼自身も何度 も当時ゲームの主催の一人であり彼の所属している組織の頂点に立っていた男からの命令 という形で、関わってきた人物だったが。 なぜ今更。 そう思う気持ちがまず先行する。 「なんで、秋山なんだ? いまさらあいつになんの用があるっていうんだよ」 あの方はすでに他界し、その意思で行われていたゲームも最終的にライアーゲームとい う名前とは裏腹な結末を迎えて終わったはずだった。 今更、秋山深一とこの組織との間には、繋がりを示すもなど何もない。 「あなたが知る必要のないことです」 にべもない言葉に、谷村は隠そうともしないで嫌そうに顔を顰める。 それにも、まったく意を介することなく白く長い指は一枚の封筒を机の上に置き、それ を谷村に向かって差し出した。 「秋山深一を探し出し、これを渡してください」 「おい、これは」 「四回戦の招待状です」 「四回戦!?」 谷村の声が部屋中に響き渡る。 それは驚愕の声だった。 「おいおい、待てよ。あのゲームは二年前に」 「三回戦まで終了しています。ですから、四回戦を行うのですが、それがどうかしました か?」 「どうかしたって、四回戦は行わないことになったんだろう」 「誰がそんなことを言いました?」 そう切り替えされて、谷村はぐ、と言葉に詰まる。 確かに。 ゲームの四回戦を行う、と聞いてはいなかっただけで、二年前のあの時点で、四回戦は 行わない、とは一度も誰からも言われていない。 谷村は思い返して、それを確認する。 あの方も、はっきりと行わない、とは言わないままにこの世を去った。 「だが、この組織はもうあのゲームからは手を引いたんだろう? 今あのゲームをやって るのは当時あの方に次いで二番目に勢力のあった組織が中心になってる、そう聞いてるぜ。 勝手なことをすれば、揉め事の火種になるんじゃないのか?」 「現在のゲームは確かに、その通りですが」 ぱらり、と再び一度は目を離した本へ、その視線は戻る。 「二年前に行ったあのゲームの主催は、あくまでも我が組織です。現在行っているものと は完全に切り離されたものとして、行われますから、そういった心配は不要のものです」 「仮にそうだとしても。なんだって今更四回戦なんだ」 谷村の疑問は、最初に戻っていた。 三回戦で終わったはずのゲームを、今更蒸し返すその目的はなんなのか。 「同じことを何度も言う趣味はありません」 しかし、返されたものは彼の疑問をまったく省みないものだった。 そう一言だけ言って、それきりパラリ、とページを捲る音だけが部屋の中に響く。 谷村はこれ以上何を言っても時間の無駄だと悟り、机の上の封筒を乱暴な手つきで取り 上げると、くるりと踵を返した。 そして大股に部屋を横切り、扉のノブに手を掛けたところで一度だけ肩越しに振り返っ てみたけれども。 そこには一ミリたりとも表情の動かない姿があるばかりだ。 ち、と小さく舌打ちして、谷村は部屋を出る。 まったく、あの女だけは苦手だ。 (あの方が亡くなって、あの女が後を継いだときは驚いたが、まさか娘だったとはね) いまや、この組織の頂点に立つ彼女に、谷村が意見することなど出来るわけもない。 それでも、恐らく彼女の手足となって動く部下とは違う意味合いをもって、自分は彼女 から重用されいる部分があることを知っていた。 そのことに嵩にかかって威張り散らせる立場でもないことも。 二年前のあのゲームで、彼女とは色々な意味で関わりが大きくなった。 それが今の自分の立ち位置関係していることは明白だったが、そうであるからこそ、そ れを利用してのし上がることなど出来ないこともまた。 谷村は知っていた。 (まあ、あの方は娘だからってだけで組織を任せるような人間じゃない。それだけの力が あると認めたからなんだろうよ) 実際その判断は正しく、現在の組織は父親の代よりも発展している。 闇の部分に手を染めることを、格段に減らしていながら。 閉じた扉の前でそんなことをつらつらと考えていた谷村だったが、いつまでもこんな所 にいても仕方ないか、と軽く床を蹴った。 「にしても、なんだって今更四回戦なんだ? しかも秋山を探し出せって、あいつ、行方 知れずにでもなってるのかよ」 「そうですが?」 「!」 いきなり声が誰もいないと思っていた廊下の先から聞こえてきて、谷村はびくり、と身 体を竦める。 そして、すうっと曲がり角の先から姿を見せた聞き覚えのあった声の持ち主の姿を目に して、再びぎょっとしてしまった。 「ヨ、ヨコヤさん」 「彼女は何もい言っていませんでしたか?」 「え、ああ、言っていませんよ。ただ、秋山深一を探し出して、これを渡せ、それだけで 説明は一切なしです」 「相変わらずですねえ、彼女は」 くすくすと笑いながら、ヨコヤはゆっくりと谷村に歩み寄る。 その秋山と神崎直、その他のゲーム参加者たちによって引き分けで終わった二年前のゲ ームで、負債を背負うことなく終わったヨコヤは、今も組織の一員としてそれなりの位置 にあった。 彼の頭脳は組織としても有用だと判断されたのだろう。 「ヨコヤさん、さっき、秋山は行方知れずだっていってましたよね」 「ええ、その通りです。一年前………になりますかねえ。彼は突然姿を晦ませて、ぷっつ りと消息を絶ってしまったんですよ」 「なんでまた。あいつ、あのお馬鹿さんと一緒によろしくやってたんじゃないんですか」 「半年くらいは、そうしていたようですよ。でも今は消息不明の、立派な失踪者です。神 崎さんは必死に探しているようですが、彼女に見つけられるような秋山君ではありません からねえ」 ヨコヤの言葉に、谷村は何がなんだか分からなくなってきた。 彼が知っている最後に見た秋山は、確かに神崎直と一緒にいるもので、その姿は遠目に 見ても仲睦まじい印象を与えるものだったと記憶している。 それなのに、何があったというのか。 「つまり、俺に、その失踪者の秋山を探し出せってことですか」 「そうなるでしょうねえ。秋山君は曲者ですから、頭を使った方がいいですよ?」 にこやかに言うヨコヤに、谷村は気が重くなる。 簡単に言ってくれるよ、と心の内でぼそりと呟いた谷村の、その目の前にすい、っと何 かが差し出された。 「………これは?」 「秋山君を仮に見つけても、彼が四回戦に参加することを了承する可能性は低いでしょう からね。これは、私からのあなたへのちょっとした手助けですよ」 ヨコヤの手助け、という実に危険な香りのするものを躊躇いながらも受け取って、谷村 はなんの変哲もないそのい白い封筒を開くと中から綺麗に畳まれた紙を取り出した。 開けば、そこには。 「………………………これは、本当ですか?」 大概のことには驚くこともなくなっていた谷村が、珍しくも驚愕の表情を顕わにする。 ヨコヤはそれを相変わらずの感情が読めない笑みを湛えた顔で、頷くことで肯定した。 「ええ、もちろんですよ」 「なんでまた、あの子がこんなことに………秋山はこのことは」 「知りませんよ。彼が失踪した後のことですからね。というよりも、彼が失踪したことが 原因だと言うべきかもしれませんか」 「秋山が原因?」 「詳しいことは、最後までそれを読めば分かりますよ。まあ、頑張って下さい。彼がいな くてはゲームが始まらないですからねえ」 そう言い残し、ヨコヤはカツン、と靴音を立てて谷村に背を向けると、ゆったりとした 足取りで歩み去っていく。 谷村はそれを見送るともなく見送り、手にしていた紙に綴られた文字のただただ呆然と して、西日の差し込む廊下に立ち尽くしていたのだった。
秋山さんも直ちゃんも名前しか出てこないし! でも、こんなサイドキャラたちの会話を書くのも楽しかったりします。 あの方の組織がどんなもんでどれくらの規模でどんなことしてたのか、さっぱりなので その辺は適当かつご都合で捏造しています。 ………本当にそろそろタイトル決めないといつまでもシリアス捏造って呼ぶのは どうなんだろう(笑) 次はどこから切り込もうかしら〜。