昼下がり。
  秋山家のリビングでは、直と深悠の二人が歌を歌いながらクレヨンを手にして絵を描いて
いた。 
  まだ三つの子供の描くものであるから、抽象的、あるいは前衛的と言えばいいのかはさて
おき、何を描こうとしているのか分かりに難いのは仕方のないことだろう。
  しかし、隣で一緒に描いている母親の直の絵も、娘のものと似たり寄ったりというのは如
何なものか。 
  それが娘のレベルに合わせた結果か、当人の実力であるのかについては、今の所不明だっ
た。
  とりあえず、二人が楽しいのであればそれでいいじゃないか、それが秋山家の一貫した考
え方なので、問題にされたこともない。
  そんな穏やかな午後のひとこま。
  ピンポーン、と。 
  太平の眠りを醒ますチャイムが響く。
「はーい」
「はあい」
  母子揃って大変よろしい返事をすると、とたとたとまだ少し不安定な感じのする足取りの
深悠が後ろに転んだりしないようにと気遣いながら、直は廊下をパタパタと通り抜けて玄関
へと向かった。
 いきなり鍵は開けずに、まずは確認。
 結婚前から散々繰り返されてきた言いつけが実を結んだのは、結婚して子供が出来た後だ
った、というのは笑うべきことなのかどうか。
「どちらさまでしょうか?」
「すみません、お届け物なんですが」
「あ、はい」
 なにかしら、と思いながら、直はサンダルを突っかけて玄関の鍵を開け、それを押し開く。
 すると、そこには明らかに宅配業者とは思えない出で立ちの男が一人。
「………あの?」
「すみませんね、奥さん、私、○○新聞の者なんですが」
「え? お届け物って」
「そんなこと言いましたっけ? それより、うちの新聞、とって頂けませんかね?」
「ええと、うちは、もう××新聞を取ってるんですけれど………」
 思いもしない人物が現れて吃驚するあまり、対応に遅れた直は玄関の中に入ってこようと
する男を押し止めることが出来ずにその侵入を許してしまった。
 それでも、遅ればせながらこれは新聞の勧誘だ、と気づいて、慌てて言葉を捜す。
「あの、すみませんが、うち、××新聞を取っているので」
「いやいや、奥さん、○○新聞に変えませんか? 今うちの新聞をご契約していただけると、
色々特典が付くんですけどね、どうですか? 三ヶ月だけでもいいんですよ」
「あの、申し訳ないんですが………」
「ほんと、三ヶ月だけでいいんですよ。それで解約してくれちゃって全然構わないんで」
「はあ、でも」
「今ご契約頂けるとですね、すごい特典があるんですよ、ホントの話、今キャンペーン中な
んで、びっくりするようなものが揃ってるんですよ」
「でも、あの」
「ちょっと見てもらったら絶対驚きますから、本当に」
「えーと………」
 畳み掛けるような相手の言葉に、直はどうしよう、と困惑の表情を浮かべてしまう。
 完全に相手のペースに飲まれていて、追い返すどころかこのままではその特典とやらを見
せられて、契約書にサインさせられること間違いなしだ。
 ど、どうしよう、と困り果てる直に対して、これはいける、と思ったのか販売員の男はさ
らに直に声高にどこか脅すような響きのある声で契約を迫ってきた。
 そして、いよいよ契約書を取り出そうか、としたとき。
「申し訳ないが」
 不意に背後から聞こえた声に、直はパッと振り返って嬉しそうにそれまでの不安そうな表
情を引っ込めて顔を綻ばせる。
「深一さん!」
「さっきから言っているように、うちは××新聞を取っているし、他の新聞に変えるつもり
も一切ない。ですからこれ以上無駄なセールスは止めて、帰って貰えませんかね?」
 深一の口調はあくまでも穏やかなものであったが、その顔が完全に声を裏切っていた。
 笑顔のその中で、相手を見据えるような冷ややかな視線。
 一段高い所に立っていることもあってだろうが、見下ろした深一の眼光の鋭いことといっ
たらなかった。
 勧誘員はすぐさま悟ったに違いない。
 相手との格の違いを。
 そりゃそうだろう、秋山深一はかつて巨大マルチをぶっ潰した男だ。
 たかが新聞の勧誘員ごときの立ち向かえる相手であろうはずがなかった。
 ここで即座にそのことに気づけただけ、まだ今回の勧誘員はそれなりのレベルにある者だ
った、ということなのだろう。
 そそくさと立ち去る姿に直はほっと息を吐いて、玄関の鍵をかけて振り返った。
 するとそこには、仁王立ちになった深一と、その足許で父親の足を必死な様子をみせてよ
じ上る深悠の姿。
 一見すると微笑ましいが、深一の見せた表情はちっとも微笑ましくなかった。
「直」
「………………はい」
「おまえ、俺に何度言われたら、学習するんだ?」
「うう………ご、ごめんなさい」
「謝って済む問題じゃないと思うけど?」
「ううう………反省してます」
「その反省が次回に役立つならいいんだけどね」
「ごめんなさい」
 しゅん、とうな垂れる直の姿はこれ以上怒るのも可哀想な風情だったが、深一としてはそ
の直の身の安全を思えばこそ、しっかりと言っておかねばなるまい、と心を鬼にしてお説教
を続ける。
「これからは、本当に注意しろよ?」
 もう今までも何度も繰り返してきたことを、今一度しっかりと直に言い聞かせて、深一が
最後にそう言うと、直が素直にこくり、と頷いた。
「はい、気をつけます」
 これで本当に次に反映されればいいのだが、その期待が非常に薄いのが深一にとっての悩
み種なのだ。
 まったく目が離せない、とそう思いながら、もういいから、上がったら、と声をかけたと
き。
「ただいまー………って、何してるの、お父さん、お母さん、深悠」
 外から帰ってきた秋山家の長男・慧は、鍵を開けて入った玄関先に見たものに、そう言わ
ずにはいられなかった。
 なぜって、そこには。
「おとーさん、かんぜんせいはー!」
 深一が直に説教をしている間に、父親の頭の上までよじ登っていた深悠がVサインを突き
出しとても満足げな顔でにっこりと笑っていたのだから。






どこからか、落ちてきたネタ。 会社からの帰途の道すがら、ぼんやりと創作。 脳内メモ帳には限度があるので、忘れないようにするのが大変でした(笑) 新聞の勧誘は適当です。されたことがないんですよね。 てか、うち、新聞自動引き落としなんだよなー。 時々新聞屋さんのおまけ、とか気になったりしますけれど。 解約したり契約したりするの面倒なんで。 秋山さんが、インドア自宅で稼ぐ人なのは、直ちゃんを放っておくと 大変なことになる、という警戒心もあってのことかもしれません。 とりあえず、過保護、心配性、苦労賞、もとい苦労性。 秋山パパのデフォルトです。 「もしかしたら、深悠は慧くんよりもスポーツマンになるかもしれませんね」 「(スポーツマンって………)なんで」 「だって、慧くんよりすっと早いですよ、深一さん登り!」 「………………………そう」 「はい!」 秋山さんは多分文系の人間だけど、そこそこ運動もいけると思う。 でも、必要がない限り、きっと、動かない(笑)