「深一さん、ヨコヤさんに悪気は………」 「あってもなくても、こいつの場合最悪なことに変わりはない」 気まずい雰囲気をなんとかしようとした直だったが、秋山の硬質な態度は一向に変わ る気配もない。 ゲーム以後何度か顔を合わせてはいるのだが、この二人の関係図はずっとこんな調子 だ。 一応、直のたっての願いで結婚式には呼んだし、子供が生まれたことをお知らせする はがきも送ったりしているのだが、直接本人が目の前にいるとなると、些か状況は別の ものとなるのだろう。 「お気になさらないで下さい、直さん。いいんです、秋山君に嫌われるのは当然のこと ですから、甘んじて受け入れましょう」 「ヨコヤさん………」 お人よしの直は、見るからに演技しまくってます、なヨコヤのそれをついうっかりと 信じてしまいそうになる。 おまえ、いい加減学習しろ、と深一がそんな奥さんに向かって一言注意を促すべく口 を開こうとした。 が、それよりも、一歩先んじて。 「あ、まっしろおじちゃんだ!」 明るくまっすぐ元気良く、そう朗らかに言い放ったのは、改めて言うまでもないだろ うけれども。 「深悠、駄目だよ、あの人はヨコヤさんって言うんだから」 「でも、まっしろおじちゃんだよ?」 だってほら、いっつも真っ白だもん、と笑顔で朗らかに言ってみせる深悠に、慧はえ えと、と困った顔になってしまう。 妹の言うことはその通りで、ヨコヤノリヒコという人物は、何時いかなるときに顔を 合わせても真っ白しろすけなのだから、妹の言葉を否定することが兄には出来なかった のだ。 「それにね、おとーさんが、まっしろおじちゃんて呼びなさいって」 「………深一さん………」 「事実だろ」 しれっとして秋山は悪びれもせずに言い放つ。 「まっしろおじちゃん、こんにちは」 「………こんにちは」 相手がまだ年端も行かない女の子とあっては、流石にヨコヤも心臓を一突きにするよ うな一撃必殺の言葉を返すことはできないのだろう。 もっとも、相手がそれなりに成長を遂げていたとしても、直という最大最強の砦が存 在する以上いかなる報復もなすことなど出来るわけもなかった。 秋山以上に、直はツワモノなのだ。 悪気もなくニコニコと笑いながら挨拶をしてペコリと頭を下げる深悠に、ヨコヤも同 じように恭しく頭を下げた。 深悠の顔は父に良く似ていたので、彼の心境はいかばかりか。 「あれ? それ、もしかして」 そこで、彼の右手に捧げ持たれていたお盆に気付き、直が声を上げた。 「ああ、はい、エリーさんに頼まれまして持ってきました。どうぞ、トロピカルジュー スです」 すいっとテーブルの上に素晴らしい手さばきで置かれたそれに、直と子供たちはあり がとうごさいます、と声をそろえて礼を言い、深一だけは無言でそのうちの一つを手に 取る。 「あ、おいしー」 「いろんな果物の味がするね」 「深悠これすきー!」 「お気に召して頂けてなによりです」 いつの間に戻ってきたのやら、秋山家の面々とヨコヤが集うパラソルのそばに、エリ ーが立っていた。 さらに言うのなら、その傍らのもう一つのパラソルの下ではハセガワがゆったりと腰 かけて同じようにトロピカルジュースを手にしている。 実に見事なくらいに不似合いな絵面だったが、それについては誰も突っ込まない。 「美味しいですね、深一さん」 「ああ、そうだな。かなり飲み易く作ってある。市販品とは思えない………あんたが作 ったのか?」 深一の指摘に、ニコリ、とエリーはいつもの笑みで応えた。 言葉はなくとも、それが雄弁に彼の指摘が正しかったことを物語っている。 だが、にこやかな笑顔を見せていたその表情が、彼女の傍らに立つ男に向けられた途 端にコンマ1秒もない速さで変貌してみせた。 「それにしてもヨコヤ、さきほどの態度はなんですか。そのお二人は大切なゲストなの ですよ。不愉快な気持ちにさせてどうするのです」 ストレートを滅多には投げないくせに、こんなときには変化球を使わずまっすぐにス トライクゾーンを攻めて来るエリーの一言が、ヨコヤの笑顔を固まらせた。 恐らく、広い世界をどんなに探しても、彼にこんな表情をさせられる人って世の中に エリーさんと深一さんくらいじゃないかいしら、などと直が思っている間にも、カツカ ツカツ、とヒールの音をさせてエリーはヨコヤに詰め寄る。 「まったく、大切なゲストである秋山家の方々に対して御不快なお気持ちにさせるなど ホストとしてはあるまじきことでしょう。もう少しあなたは自覚をお持ちなさい」 「すみませんね、エリーさん。どうも、秋山君の顔を見ると反射的に………」 「それを自制できなくてどうするのですか」 ぐうの音も出ないほどにビシバシとやられているヨコヤを見て、直もさることながら 深一も思わず言葉を失ってしまう。 別にヨコヤを哀れに思う気持ちはないのだが、エリーにあそこまで容赦なく切り捨て られてはたまらないだろうな、とはちらりと思ったりもした。 しかし、そこに割って入る怖いもの知らずが一人。 「エリーおねえちゃん」 「はい、なんでしょう、深悠さま」 「まっしろおじちゃん、あんまりいじめちゃ可哀そうだよ? ええとね、ええとね、ま っしろおじちゃんこの前、深悠にね、可愛いくまさんのぬいぐるみくれたの。だからね あんまりいじめないであげて」 お願いします、とばかりに直譲りの素直さを丸ごと体現したように頭をペコリと下げ てみせた深悠の姿に、ハセガワが一人うんうん、と頷いていたのだが、それを視界に収 めつつも、深一はそれに突っ込んでいる場合ではなかった。 「ちょっと待て深悠。あのぬいぐるみの出所は直じゃなくて、ヨコヤだったのか?」 「あれ? 言いませんでしたっけ? そうですよ、深一さん。深悠にプレゼントして下 さったんです」 悪気などもちろん欠片もない直に、深一は思わず頭を押さえてしまう。 ヨコヤからのプレゼントに我が家の敷居を越えさせるとは、なんたる失態、と思って いたのか、中に盗聴器の一つでも仕込まれていたらどうするつもりなんだ、帰ったら即 調べてやる、と思っていたのかどうか。 「お父さん、大丈夫?」 すっかり力ない様子の父親に、心配そうに慧が声をかけて顔を覗き込んでくる気配が あって、深一は即座に立ち直った。 父親として情けない姿を晒すわけにはいかないという根性が、すべてを叩き伏せたら しい。 「大丈夫だよ。心配ない」 「本当?」 「ああ」 力強い声と優しい笑顔に、慧も安堵したのか、よかった、と言うように笑顔になった。 そうすると本当に直によく似ている。 無条件に自分のことを信頼してくるその様など、本当に母と子はどちらもそっくりで、 深一は夫としても父としてもなんともくすぐったい気持になった。 同じくらい、重大なものを背負っていることを自覚するのだけれども。 「仕方ありませんね、深悠さまにそう言われては、これ以上ヨコヤを責めるわけには参 りません。感謝なさい、ヨコヤ」 冷ややかなブリザード吹きすさぶ視線をぶつけられ、ヨコヤは苦笑を洩らしながらも 恭しい仕草で深悠に深く頭を垂れた。 「ありがとうございます、深悠さん」 「ううん、深悠なんにもしてないよ」 にこおっと笑う深悠の顔は確かに父に似ていたが、母独特の笑顔を受け継いでいるら しく直のそれにも似ている。 ここでも、ヨコヤの心中はいかなるものだったろうか。 「それではヨコヤ、あなたはすぐに仕事に戻って下さい。これとこれ、それにこれを、 至急各部署へ届けるよう、お願いします。それから、こちらも」 そして次々と鮮やかな手つきで取り出した書類の束を、彼の手の上にあっという間に 積み上げて見せた。 「今日中に処理するようにお願いします」 「承知しました、エリーさん」 これまた恭しい態度で一礼して(これはもう彼の基本スタイルなのだと、最近になっ て明らかになった)みせたヨコヤは、それでは失礼しますね、と一言言い置いてプール サイドを去っていく。 やはり真夏のプールサイドに真白いスーツの男というのは、どうにも不似合いだ。 かといって、ヨコヤが水着一丁で現れたら現れたで、思い切りドン引きしただろうこ とは疑いようもなく、あれはあれでよかったのかもしれない、と思いつつ深一はこちら もやっぱり不釣り合いな黒づくめのエリーを見た。 「あいつ、あんたの部下をやってたんだな」 「ヨコヤですか? いいえ。部下ではありませんが」 「え? でも今………」 直が途惑いの声を上げる。 どう見たって、たった今目にした二人の会話からはそれ以外の関係図など浮かび上が って来ない。 じゃあ、いったいどういう関係なんですか、と問いかけようとしたのは直だったのか それとも深一だったのか。 「ジュースのお代わりは如何ですか? 深悠さま、慧さま」 「深悠、飲みたい!」 「えっと、僕も」 「承知しました、では用意して参りますね」 子どもたちに微笑みかけて、エリーは空になったグラスを集めると事態を飲み込めず いる深一と直へとさらににこやかな笑みを向けて、一言告げた。 「あれは、私の夫です」 そのまま彼女の後姿がプールサイドから消え、子どもたちがハセガワの誘いに応じて ウォータースライダーをジュースが届く前に一度堪能してこようとプールに戻っていっ てからもしばらくの間、深一と直は見事なくらいに固まっていた。 ただし、その理由はまったく違っていたけれども。 「ヨコヤが夫って、とんでもないもの好きだな。だいたい、それでどうしてヨコヤなん て呼んでるんだ、あの女」 「大変です、深一さん! 私たちエリーさんとヨコヤさんの結婚のお祝いをしてません よ! 私たちの時にはあんなにいろいろしてもらったのに!」 「あれはむしろ迷惑の領域だろ………そうじゃなくて、今それを心配するところなのか」 それより、あの二人が自分たちと同じ夫婦関係であるというのなら、もうっとこう、 突っ込みどころはいろいろあると思うのだが、深一のそうしたごくごく一般的な思考は 直には通用しないのが常なのだ。 「二人ともみずくさいですよね! そうと教えて下されば、お祝いいろいろと考えたの に………」 あの二人に何を贈るつもりなんだ、俺にはまったく想像もつかないが、という夫の心 からの声は心の声であったが故に直の耳には届かない。 「でも、あのお二人の間に子供ができたら、どっちに似るんでしょうね? エリーさん 似でもヨコヤさん似でも、かっこいいと思いますけど」 「………………」 想像したくない、と思う秋山は思考をシャットアウトする。 しかし、直の放つ爆弾はどんなシェルターだって吹っ飛ばすのだ。 「慧君や深悠ちゃんのいいお友達になってくれるといいなあ」 やめてくれ、それだけは。 とは、声に出すこともできない父の切なる願いだったけれども。 なぜか脳裏には、自分や直によく似た我が子と手を繋いだ、エリーとヨコヤに似た子 どもの姿が浮かんでしまったわけで。 「楽しみですね!」 にこやかに笑顔を咲かせた妻の鉄壁のそれに、夫はただただ曖昧な笑みを浮かべるだ けで精一杯だった。 まだ来ぬ未来の素晴らしいバラ色をしているらしい直が描いた予想図が、現実のもの とはならずに済んでくれることを信じちゃいない神様に願う彼のそれが叶うかどうか。 夏の楽しく素敵でホラーな風合いを醸す、よく晴れた日のハセガワ邸、プールサイド 物語は子どもたちの歓喜の声によって、まだまだ盛り上がりをみせていた。 - 幕 -
エリーさんとヨコヤさんのご夫婦は、とってもサバイバルなご夫婦だと思います。 微笑みあいながら、水面下にはいろいろ含んでいそうな感じで。 ちなみに、ヨコヤさんはお婿入りしてますので、実はもうヨコヤノリヒコではなく ハセガワノリヒコさんなんですが、エリーさんからは「ヨコヤ」と呼ばれております。 がんばれ夫。 秋山家はハセガワ一族からいろいろとプッシュされまくってます。 ハセガワ氏にとって直ちゃんは孫みたいなもんですね。娘よりも可愛い孫ってやつです。 深一さんは、息子ではござませんが、なんてゆーか、色々あって、直ちゃんのことも あって………好かれていないのは承知の上で、いろいろ援助(笑) 深一さんは、 一切受けつけませんが。 エリーさんは秋山家をあったかーく見守ってる人ですかね。自分にはなかったものを、 そこに見て守っている感じ。ヨコヤさんは………ヨコヤさんですから。 エリーさんの尻にひかれて、ドMっぷりを発揮していただきたく。 ………あれ? これは秋山家の話じゃなかったのかしらー?