■Amantes, amentes.
「秋山さーん」
キャンパスからちょっと離れたところにある私のお気に入りのカフェは、私が通っている女子大の
学生にも人気があるようで、時間帯がちょうどお茶をする頃に重なっていたせいもあったかもしれな
いけれど、相変わらず人が一杯だった。
でも、どんなに人がいても、すぐにその姿は見つけ出せる。
手を振って声をかけながらテーブルのをすり抜けて、小走りに近付いた。
だけど、いつもならこんな時には必ず私の方を見て、軽く手を上げてくれたりすることもあるのに
今日は全然無反応。
もしかして、聞こえていなかったのかな。
人がたくさんいるから、ちょっと賑やかだし。
「すみません、秋山さん、お待たせしちゃいました?」
すぐ隣まで行ってから改めて声をかけて、ペコリと頭を下げる。
そうしたらやっと秋山さんの顔が、いつもよりも妙にゆっくりと動いて私に向けられた。
あれれ? どうしたんだろう。
なんだか、とっても………
「あの、秋山さん、なんか疲れてます? もしかして、私が無理に来てもらっちゃったから、それが
いけなかったとか………ごめんなさい!」
慌てて今度はさっきよりも頭を深く下げる。
私のせいだ、きっとそうだ。
秋山さんに無理させちゃったんだ。
「いや、疲れてはいるかもしれないけど、君のせいじゃないから」
どうしよう、と思っていたら、頭の上から秋山さんのそんな声。
「え?」
「ちょっとしたカルチャーショックがあったって言うかさ」
「はあ」
なにを秋山さんが言おうとしてるのか、それが分からなくて首を傾げてしまう。
秋山さんの頭の回転は私なんかとは全然比べ物にもならないほどとっても速いから、きっと色んな
ことを考えているのだろうけれど、私には到底追いつけない。
それでも、とにかくなにが秋山さんにとってカルチャーショックだったのかな、と考えてみる。
でも、やっぱり分からない。
「あの、なにがカルチャーショックだったんですか?」
だから分からないことをそのまま質問したら、秋山さんはとっても妙な顔をして私を見た。
「あ、あの、私なにかヘンなこと言いました?」
珍しいものを見てしまって吃驚した。
だからなんだか声の調子がおかしくなったような気がするんだけど、秋山さんはそれも気付いてい
ないみたいで、暫く私の顔をじっと眺めたあと、溜息を一つ吐いた。
「秋山さ………」
「あのさ」
いつになく重い声で秋山さんが不意に口を開いてそう言ったので、慌てて返事を返す。
「はい」
そうしたら。
「最近の女子大生ってのは、みんなあんな風なわけ?」
「………はい?」
なにを秋山さんが言っているのか、やっぱり、頭の回転のあんまり良くない私には、すぐに追いつ
くことは出来なかった。
「秋山さん?」
突然声をかけられて、顔を上げたのが不味かった。
この辺りには知り合いはいないのだし、そもそも疑問系で声をかけてくると言うのは、俺が誰な
のかの確証を持てていないからなのであり、無視していれば向こうも間違いだったと思って引き下
がったに違いない。
だが、反応してしまったものは今さらどうしようもない。
見ていた雑誌から声をかけてきた相手に視線を向ければ、そこにはやはりというか、当然ながら
俺にはまったく見覚えのない三人連れの女子大生と思しき姿があった。
「やった、当たり!」
「本当に一目で分かるわね。直ちゃんの言ってた通りだわ」
「雰囲気違うもんね」
今の会話から、どうやらこの三人があいつの知り合い、恐らくは学友というものなんだろうとい
う見当がついたものの、どうしてこの場所に俺がいると目星をつけて来たのかは分からない。
俺が彼女の通っている大学に足を運んだのはこれが初めてだ。
その理由は至って明瞭なもので、あいつが俺のアパートに忘れていった今日が提出期限のレポー
トを持ってきてやったからで、そのまま俺は帰るつもりだった。
だが、わざわざ持ってきてもらったのにお礼もさせて貰えないんですか! と真剣に訴えてくる
あの目に負けて、今日はもう講義がないと言うので、とりあえずレポートを出して来るまで待って
いることを約束させられて、この喫茶店で時間を潰していただけなのだ。
「あ、すみません、いきなり」
「直と待ち合わせしてるんですよね。あの子、嬉しそうに言ってたんですよ」
「で、この喫茶店で待ち合わせしてるって聞いて」
会いに来た、いや、見物しに来た、ってわけか。
女ってのはどうしてそういうことには、熱心なんだろうな。
「どんな人が、あの直と付き合ってるのかなーと思って、気になっちゃって」
「だって、あの子、真面目で素直だからすぐ人に騙されちゃうところあるから………変な奴に引っ
掛かってたら大変だと思って、ね?」
「そうよね。絶対彼氏が出来るのは一番遅いって思ってたら、実は彼氏います、って言うし、それ
が十歳も年上の人だって驚いたわよね」
「直って本当にお人よしだし、変な男に貢ぐようなことになったら大変だもの。だから、そうなる
前にとにかく、私たちで確認してやろうって………あ、ごめんなさい」
いや、いいけどさ。
つまり、彼女のことを心配して、彼女と付き合ってる男の正体を見極めようとした、ってわけ。
だからそんなに、妙に値踏みするような視線をぶつけてくるんだな。
「でも、安心したね」
「そうね。うん、安心したかな」
俺のなにを見てそう思ったか知らないが、俺のなにが安心なんだ。
「こんな大雨の日に、忘れたレポート届けれくれるなんて、優しいよね」
「それに、ちゃんとあの子の分の傘持ってきてくれてるし」
「あの子レポートのことで頭一杯で、傘のこと電話で言ってなかったよね」
なるほど、あいつが俺に電話しているのを、横で聞いていたから、俺が来るってことも知ってた
わけか。
「いきなり大雨になって傘忘れてどうしようって、困ってたのに」
「秋山さんが持ってきてくれたの、ってすごい嬉しそうだったもんね」
最後には俺のことはそっちのけで、三人はお互いに頷き合いながら話に盛り上がってしまった。
で、俺にどうしろってわけ。
どうやら彼女たちからは合格点を頂けたらしいが、はっきり言って今のこの状況は俺にとっては
まさに居た堪れない状況って奴だ。
コメントを差し挟むところでもないだろうしな。
さてどうしたものか、と溜息を吐きそうになった時だ。
一人が、あ、と声を上げて他の二人の肩を叩いて入り口の方へ視線を投げる。
するといきなり三人揃って俺に向かい矢継ぎ早に声をかけてきた。
「直ちゃんのこと、お願いしますね、秋山さん」
「あの子ホントに危なっかしいから心配なんだよね」
「あ、それから、あの子奥手とかウブとかそういうレベルの問題じゃないくらいそっち方面に疎い
から、ちょっとくらい積極的に攻めた方がいいですよ」
「そうそう、あの子いまどき在り得ないくらいその手のことの知識薄いし」
「頑張らないと、あと十年は望み薄になっても不思議じゃないかも」
「だから、オフェンシヴですよ、オフェンシヴ!」
そして言うだけ言うと、素早く三人は店の奥の方へと移動して行ってしまい、俺が座っている位
置からでは見えなくなる。
機関銃の様に、とはきっと今の彼女たちのことを表現するものなんだろうな。
いや、それより、最後の方のあれはなんだったんだ、いったい。
あいつのことを心配してったんじゃなかったのか。
それなのになに、俺のことをけしかけてんだよ。
あと十年は望み薄って、そういう本当になりそうな恐ろしいことをさらりと言わないでくれ。
オフェンシヴって簡単に言ってくれるが、簡単じゃないからこっちは大変なんだよ。
だいたい、俺は………
「秋山さーん」
カラン、と扉の開く音がしたと思ったら、同時に聞こえてきた声。
ああ、そうか彼女たちはこいつの姿が見えたから、見つからないようにと早々に逃げ出したっ
てわけか。
最後にあんな爆弾を投下して。
「すみません、秋山さん、お待たせしちゃいました?」
俺の反応があまりにもいつもと違っていたせいだろう。
何かを誤解したらしく、慌てて謝りだすから、とりあえずそれは勘違いだってことは納得させて
おいた。
そして、ついついぽろっと出てしまった本音。
「最近の女子大生ってのは、みんなあんな風なわけ?」
「………はい?」
わけが分かりません、と目をまん丸にしたその顔を見て、俺はただ、溜息を落とすことしか出来
なかった。
なんとかレポートを提出することが出来て、秋山さんとの待ち合わせの喫茶店に向かった私がそ
こで再会した秋山さんは、ちょっと様子が変だった。
なんでもない、って言うけど、いつもと同じポーカーフェイスに見えるけど、でも、いつもとは
違うってことぐらい、私にも分かるようになってるんですよ。
それでどうしたんですか、って聞いたら、なんだか良く分からないのだけれども、どうやら秋山
さんは私の大学の友達と、偶然あの喫茶店で遭遇して、ちょっとだけ話をしたらしい。
それでカルチャーショックを受けちゃったらしいんだけど、どんな話をしたのかはどんなに聞い
ても教えてくれなかった。
しょうがないから、明日友達の方に聞いてみよう。
「しかし、俺を見て安心とはね。前科持ちの元犯罪者捕まえて」
「あ、あの、秋山さんが言ってる三人って多分私と同じ専攻のクラスメートだと思うんですけど、
知ってますよ、そのこと」
「は?」
ああ、いけない、言葉が足りない。
これじゃ秋山さん誤解しちゃう。
「あの、違いますよ? 私が話したんじゃなくて、あのその友達の一人がマスコミ関係に就職した
いって言って、ニュースとか新聞とかすごく色々チェックして詳しいんです。で、秋山さんの記事
も知っててそれで他の二人も知ってるんですけど」
「それで、安心ってよく言えたな」
「だって、秋山さんすごく優しくていい人じゃないですか!」
心底呆れた、という顔をする秋山さんに、思わず声を荒げてしまう。
「それに、彼女たちが言ってました。殺人とかそういう犯罪だったらちょっと考えちゃうけど、
悪徳マルチグループをやっつけた詐欺なら、むしろいいことしたんじゃないかって。そのマルチの
ために増えたかもしれない被害者を結果的には生まないようにしたんだしって」
「………あー、なるほどね。そういう解釈になるのか………」
あれ、秋山さんどうしたんだろう。
すっごく疲れてるように見えるんだけど。
「だから、その、頑張ってモノにしなさいよ、って言われたんですけど」
あれれ? 今度はどうしたのかな。
なんだか分からないけど、すっごく警戒するような顔、してる。
「あの、モノにするって、どう言う意味だか秋山さん、分かりますか?」
そう言った途端、秋山さんの表情が固まってしまった。
前にも、こういう表情の秋山さんを見たことがあるなあ。
いつだったかな。
(そうか、ライアーゲームの二回戦で、SがMかって、問題が出されて、意味が分からなかったか
ら教えて貰おうと思ったときだ)
「秋山さん?」
「………………」
「秋山さん」
「………………………」
「秋山さーん、置いていかないで下さいよ〜!」
急に歩調の早くなった秋山さんが、そのままスタスタと駅の改札に向かってしまう。
あ、そうか、電車が来る時間なのかも。
じゃあ私も急がなくっちゃ!
モノにする、って言葉の意味は、今度秋山さんとどんな話をしたのか聞くときに一緒に皆に聞い
てみようっと。
-end-