■コタエを出すまで後五分
夕方を少し過ぎた頃の、商店街はとても賑やかだ。
今日の夕飯を何にするか、その日の特売商品や、値引きの表示を眺めては考えて品定めしていく
主婦層がその賑やかさの中心を担っている。
店の側も、書き入れ時とばかりに声を大きくして客を呼び込み、賑やかさに輪をかけていた。
「ええと、これで全部買い終わりかな。あとは今日のおかずを決めればおしまいですね!」
そんな買い物客でごった返した人ごみの中に、直は秋山と二人連れ立って歩いている。
メモをじっと眺めて買い残しがないかを確認した後、直は秋山に視線を転じた。
「秋山さん、今晩、なんにしましょうか」
なんでもいい、とつい言ってしまいそうになって、それを寸前で堪える。
その一言で、にこにこと笑って隣を歩く彼女の表情が一気に曇ってしまうことは余りに明白だっ
たからだ。
しかし、さて何を希望したものか、と周囲に視線を走らせ店先に並ぶものを見ながら考えを巡ら
せる。
直も、そんな秋山に倣うようにして店に並ぶ商品へ目を向けた。
「昨日は鯖の味噌煮込みだったから、今日はお肉にしましょうか。秋山さん魚よりもお肉の方が好
きですもんね」
「好きっていうか、まあ、なんとなくな」
「でもお魚も食べるの上手ですよね。秋山さん、手先器用で羨ましいですよ」
お父さんに教わって、箸の使い方はけっこう上手い方だとは思うんですけど、と言って、直は自
分の指先を見た。
「どうしても、お魚って上手く解せなくて」
本人はそう言っているが、直の食べ方は別に下手でも汚くもない、と秋山は思っていたし、実際
その通りだった。
敢えて言うのなら、秋山のそれがあまりにも綺麗過ぎると言うべきだろう。
彼のお母さんがしっかりしていたんだろうなあ、と、そんなところに直は会ったことのない女性
のこをと思い、気がつくと秋山の服の裾を握っていた。
「どうした?」
「あ、いえ、あの、なんでもないです」
慌てて手を離そうとした直のそれを、秋山はさりげなく捕まえる。
「人が多いからな」
「………はい」
少しだけ俯いた頬が赤らんでいるのが、目線の高い秋山からは良く見えた。
必死に普通の顔をしようと努力しているようなのだが、残念ながらそれはまったく実りそうな気
配さえもない。
「えっと、それで、晩御飯どうしましょうか」
なんとか普通を装って話し始めたけれども、その声もやはりいつものものとは少し違う。
もう随分と同じ時間を共有するようになったが、相変わらず些細なことにも慣れない反応をみせ
る直に、秋山は笑ってしまいそうになるのを堪えて、返事をしようとした。
その時だった。
「仲が良くて羨ましいねえ、そこの若奥さん、どうだい、今日は鯵が安いよ!」
自分に向けられた言葉だと、直はすぐには気付けなかった。
二テンポほど遅れて、あれ、もしかして今のは私に向かって言ったの? と半信半疑の顔を魚屋
の店先に立つ男に向ける。
すると、それが正解だとばかりに、人の良い笑顔をみせた男が、ほら、と鯵の乗ったざるを示し
てみせた。
「奥さん、どうだい、美味そうだろ?」
「え? ええ? えっと、はい、そうですね」
見せられた鯵は確かに新鮮で美味しそうだったので、まず直はそう応える。
が、すぐに、そうじゃなくて、と思い返した。
「あの、ですね、私」
「旦那さんはえらい男前だね」
「えっと、はい、恰好いいですよね! じゃなくて、だから」
「こんなに可愛い奥さんがいて、羨ましいねえ」
「あの」
「どうも」
何をどう言っていいのか、上手く整理の出来ない直がオロオロとしている間に、秋山は店の男の
言葉に、さらりと返事を返してしまう。
こうなっては、直には何も言えない。
「すみません、じゃあ、その鯵、頂けますか?」
「はいよ、毎度!」
男の声は大きく、店先にいた人たちの視線を集めてしまったことにますます居た堪れなくなって
しまった直は、とにかくこの場を離れたくて示されたざるを指差した。
すると男が慣れた手付きでそれを包み、はいよ、と差し出してきたものを秋山が受け取り、直は
財布を開いて代金を支払う。
そしてそそくさと逃げるようにして、また宜しくー、とかけられた声を背中に聞きながらその場
を離れた。
その足が再び止まったのは、商店街の出口近くになってからだ。
「どうした?」
「ど、どうしたって………」
財布を握り締めたままだった直は、あ、とまずはそれをもっていたバッグに戻し、それから秋山
に視線を戻す。
「だって、恥ずかしいじゃないですか。それに、秋山さん、なんであんなこと言ったんですか!」
「あんなことって、どれ」
「だから、その、か。可愛い奥さんって………」
「ああ。あそこで否定するのも面倒だったし、別に問題もないと思うけど」
そこまで言ってから、秋山の目が少しだけ困ったような色を浮かべて直を見た。
「正直者の君には、悪い嘘だったかな?」
「悪いっていうか………だって、本当のことじゃないじゃないですか」
騙してしまったとか、嘘を吐いたとか、そういうことじゃなくて、と直はどう言ったら自分の気
持ちを伝えられるんだろう、と眉を八の字にしてしまう。
そんな表情に、秋山はくす、と人の悪い笑みを浮かべた。
「な、なんですか、秋山さん!」
「つまり、本当のことじゃないのが、君は納得いかないってことか」
「ええと、そういうことになる、んでしょうか」
奥さんでも旦那様でもない、それなのにそんなふりだけをしたこと。
それが嫌だったということの、その意味は。
「帰ろう」
「あ、はい」
考え込んでしまった直の手を再び取って、秋山が歩き始める。
すでに買い物はさっきの鯵で終わっているので、あとはアパートに帰るだけだ。
直は一人で歩くときよりもずっと歩調のゆっくりな秋山の隣に並び、まだ考えているらしく、難
しい顔をしている。
「で、まだ納得いく答えは出ない?」
「うーん………はい」
素直に認める直に、秋山はさっきとは違う、やや苦笑めいた笑みを浮かべた。
そして、そのまま歩く足を止めることなく視線は前を向いたまま。
「じゃあ」
「じゃあ?」
「本当のことにする?」
「え?」
思わず見上げたそこには、笑みを浮かべた秋山の顔がある。
そこには実に珍しく、何も隠そうとしない優しい色があって、直は目をまん丸にしてしまった。
だが、彼女の目がもっとまん丸になるのは、秋山が言った言葉の、その意味を正しく理解したそ
の後だろう。
「俺としては、それでも全然構わないけど」
アパートまでの距離はそう長くはない。
果たしてそれまでに彼女は答えに辿り着けるだろうか。
歩き続ける二人の手にはそれぞれに買ったものが詰め込まれた手提げがあって、歩く歩調に合わ
せて小さく揺れている。
さて、どうだろうな、と、秋山は自分を見上げたままやや危なげな足取りの直の足許を気遣いな
がら、残照が照り映えるアスファルトをゆっくりと歩いていくのだった。
-end-
秋山さん、色々努力してます。頑張れ。
全体的にどの話もイメージがドラマなのか原作なのか、ちょっと曖昧になってます。
ので、足して割った感じでお願いします。