■夏のご挨拶
突拍子もないことを言い出すのは、言ってみれば神崎直という人間の、いわば個性の一つなのかも
しれない。
そして、当人はまったくそれが他人には非常に驚きを持って受け止められるものだとは、思っても
いないので手に負えないとも言えた。
変わっているといえば、そうなのかもしれない。
それとも、彼女は少しも変わっていなくて、世界が少し斜めに歪んでしまっているだけなのか、最
近そんな風に考えるようになってしまった自分に、秋山は自分で突っ込みを入れたくなることも多々
あった。
「お中元を、贈ろうと思うんです」
前置きもなしに。
そして今日も今日とて、夕食一緒に食べましょう、と両手一杯に食材を手にして現れた直が、キラ
キラと目を耀かせて、包丁を片手にビックリ箱のような唐突極まりない発言をかましてくれたものだ
から、秋山は読んでいた雑誌を危く取り落としそうになるのを寸前で持ち堪え、にこにこと笑ってい
る顔をじっと見つめた。
「お中元?」
とりあえず、聞き違いではなかったことを確かめるように、そう口にしてみる。
すると、はい、と元気よく返事が返り、直はいつものように楽しそうに話しだした。
「はい! 今日、デパートに寄ったんですけど、催事場でフェアをやってたんですよ」
話を聞いてみれば、なんとも分かりやすく納得のいくものだった。
人がたくさん集まっていて、なんだろうとちょっと気になったから覗いてみたら、それがお中元の
ギフトコーナーだったわけだ。
「色んなものがあって、面白かったですよ。今度一緒に見に行ってみませんか?」
「いや、別に俺はそれを贈る相手はいないから」
「そうですか?」
見るだけでも楽しいと思いますけど、と言いながら、直は食事の支度をするために包丁を手に台所
へと戻っていく。
とりあえず、凶器となりうるものを手にしてフラフラするのは止めて欲しいんだけど、と思いつつ
も、秋山は横に逸れてしまった話の軌道修正を試みた。
「で? そのギフトコーナーを見ていて、お中元を贈りたくなったってわけ。でも、誰に贈るつもり
なんだ?」
友達というのはないだろう。
それだったら、誕生日プレゼントをいくらなんでも連想するはずだ。
しかし、それ以外にというのなら、せいぜい直の父親が世話になっているホスピスの関係者、とい
ったところぐらいしか思いつけないのだが、これも少し違う気がする。
などと、忙しく思考を巡らせていた秋山に、しかし直はなんともあっさりと、そして予想外の回答
を投げて寄越した。
「藤沢先生です」
カクン、とそんな擬音がどこからか聞こえきたような気がする。
今度こそ、秋山は雑誌を落としそうになった。
が、そこはどうにかこうにか、神崎直と言う人物によって相当に鍛え上げられた根性と忍耐と理性
でもって、耐える。
なんとか、耐え抜いた。
そして、ふー、と一つ息を吐くと、すでに読むことの出来そうにない雑誌を床に無造作に置き、こ
ちらに背中をみせている直に向かって改めて声をかける。
「なんで、いきなりそうなった」
「いきなりっていうか………先生には中学の頃にすごくお世話になってたし、それに、父のところに
あの一回戦の後で会いに行ってくれてるんです。あ、勿論、ゲームのことは話してないですよ? 父
に余計な心配かけたくないから、何も話してないこと先生に言ったら、そうだろうね、って」
そんなことがあったとは知らなかった。
まさかあの藤沢が直の父親に会いに行くとは、これまた予想外な話だ。
(ああ、そう言えば、父親が末期癌だってことは、藤沢に話してたな)
かつての教え子を騙し一億円を奪い取ろうとしたこと、そしてその騙した教え子によって、一億円
の負債を背負わずにすんだこと、そんな諸々のことをひっくるめて、藤沢は直の父親に会いにいった
のか。
「先生、そんなこと全然言ってくれなくて、昨日ホスピスに行ったときにお父さんから聞いたんです
よ。中学の時の先生が会いに来てくれて、私の中学の頃の話とか、懐かしい話が出来てすごく楽しか
ったって笑ってました」
すごく、嬉しそうで。
(それを見て、君も嬉しかったわけか)
「ホスピスの先生も言ってくれたんです。嬉しいことや楽しいことがあったり、笑うことが出来ると
身体にもいいんだって」
その後の彼女の頭の中にどんな思いが巡ったかは、秋山にしてみれば想像するに容易い。
父を見舞ってくれて、楽しい一時を過ごさせてくれた藤沢のことを、やっぱりいい先生なんだ、と
本心から感謝したに違いないのだ。
ゲームの一回戦では危く一億の負債を背負わされそうになった相手だというのに、そんなことはも
う彼女にとって瑣末な問題なかもしれない。
そして、何かお礼をしたいと心の何処かで思っていたところにデパートのギフトコーナーを見て、
まさしくドンピシャリ、というわけか。
(………ほんとーに、お人よしだな)
普通は絶対に考え付きもしないだろう。
自分を騙した相手に、そんなことをしようだなんて。
秋山は軽い眩暈を覚えたが、それが神崎直という人間の根底をなしているものなんだと思い返して
溜息を一つ落とすことに変えた。
「だからお礼をしたくて、だから、丁度いいかなって思ったんですけど、どうでしょう、秋山さん」
「止めた方がいいと思うよ」
「え? なんでですか?」
まさか思い止まるように勧められるとは思っていなかったのか、直は吃驚して振り返る。
その手には、今度は菜箸があった。
包丁よりは殺傷能力は低いだろうが、彼女にかかるととんでもないシロモノに変化してもおかし
くないので、やはりそれはきちんと置いてくれないだろうか、と秋山は心の中で呟く。
「君は感謝の気持ちを表したいんだろうけど、相手はどう思うかな? あんな結末で終わったゲーム
の後で、あっちとしてみれば君に対して負い目があるんだ。それなのにそんなものを贈られたら、ま
すます君に対して、居た堪れなくなるんじゃないか?」
「あ………そう、か………」
普段どおりの様子を見せていたけれども、どこか酷く申し訳なさそうなところがあったと、父親の
話に聞いた藤沢の様子を思い出して、直は考え込むように項垂れた。
直は別にもう、一回戦の時のことはなんとも思っていない。
確かに騙されて悲しくて辛かったのは事実として残っているが、それはもう終わったことだとそう
思っていた。
けれどきっと藤沢はそうではないのだろう。
秋山の言いたいことが、直にもようやく理解できた。
「先生に、余計に気を使わせちゃうことになるかもしれませんよね。ありがとうございます、秋山さ
ん。秋山さんに相談してよかったです」
また失敗しちゃうところでした、と言って、直は再び秋山に背を向けて作業に戻る。
その後姿から、自分の指摘によって自分のアイデアは良くないものなのだと納得しているものの、
やはり何かしたい、と思っているのだろう心境が入り混じっている直の気持ちがのが手に取るように
秋山には分かってしまった。
分かってしまった以上、何もしないで放って置くと言うのも、やはり後味がよろしくない。
「そんなに藤沢に礼がしたいなら、暑中見舞いでも送ったらどうだ?」
「え?」
「そろそろ、それも時期になるだろ」
「あ、そうか! そうですね! 暑中見舞い! 私、高校生のときまで担任の先生には年賀状と暑中
見舞いのハガキは出してたんですよ! よかった、今年は色々あったから忘れちゃうところでした。
ありがとうございます秋山さん!」
「担任の先生………年賀状に暑中見舞って………まさか、小学校からか?」
「違いますよ」
思わず声が頓狂な響きを持ってしまった秋山に対して、顔だけ振り向かせて直は笑って見せた。
「幼稚園からです、もちろん」
どこがどんな風に『もちろん』なのかを、是非、教えて欲しい。
秋山の心境はそんなところだろうか。
その律儀さはもはや感心を通り越して感嘆の域だ。
しかし、絶句する秋山をよそに、直はせっせと料理を作る手を休めることなく動かしながら、一人
お喋りを続ける。
「藤沢先生にもお中元はやめて、いつも通り暑中見舞いを送りますね。そうだ、明日、学校の帰りに
早速買ってこなくちゃ。確かもう、暑中見舞い用のハガキが郵便局で売り出されてるはずですから。
秋山さんもいりますか? 一緒に買ってきますよ?」
「いや、俺はいいよ」
「そうですか?」
ようやくこの話題に決着が着いたか、と知らずほっと息を吐いて、秋山は放置していた雑誌を再び
手に取った。
そしてページを捲った先に、折りしもたった今、直が言っていた夏の挨拶状の販売開始を知らせる
広告が載っていたのは、偶然の悪戯か、運命の悪戯か。
「あともうちょっとですから、待っててくださいね〜」
聞こえてきた直のその声に、秋山は今度こそ本当に、全身を脱力させて溜息を落とす。
そして結局、雑誌をパタリと閉じてしまうと、暮れ行く窓の向こうに視線を投げるのだった。
「………で、いったいどれだけ出すつもりなんだ、その量」
翌日、しっかりと暑中見舞い用のハガキを買い込んで部屋を訪れた直を見て、秋山はまず、それを
聞かずのはいられなかった。
それも無理もなかっただろう。
テーブルの上に置かれたハガキは、なにしろ一枚は二枚、いや、軽く二十枚以上はありそうな厚み
があったのだから。
「ええと、四十枚はないと思いますけど」
「それ全部、出すの?」
「はい。担任の先生皆に、中学や高校時代の友達とか、それから、エトウさんとかフクナガさんとか
皆さんにも………」
「待った、ちょっと待った」
「はい?」
どうしたんですか? と直が小首を傾げてみせる。
それを見て、秋山ははーっと大きく溜息を吐き長い前髪をかき上げながら、改めて直を見た。
「君、本気で言ってるんだよな?」
「はい」
そうだった、聞くまでもなかった、と秋山は自分の失言を認識する。
神崎直は嘘を吐かないし、吐けない。
彼女の口にする言葉は常に、本心であり真実であり真正直な本音だったのだと。
「で、なんであいつらにも出そうなんて思ったんだ」
「いえ、色々お世話になったし、その意味では藤沢先生と同じだなあと思って」
「世話になった?」
いつ、何処でどんな形でどんな風に。
突っ込んで聞きたいことは怒涛のようにあったが、そのどれに対しても直が返すだろう返事は全て
自分の気力を根こそぎ奪い去ってくれるものに違いない。
分かっていることをしようとするほど、秋山は愚かではなかった。
しかし。
「一回戦で共闘した連中なら、まあ、分かる。エトウもまだ分かる。だが、どうしてそこにフクナガ
が入るんだ?」
あれだけ色々騙されていてながら、と言いかけて、秋山は直が返事をする前に彼女の出す応えに気
付いてしまった。
「だって、フクナガさんだけ仲間外れにしたら悪いじゃないですか。それに、騙されたことは騙され
ましたけど、それって私が馬鹿だったからなんですよね」
やっぱり、と言わずにおれた自分を、秋山は心底褒めてやりたくなる。
だが、直はさらにその上をいった。
「藤沢先生もそうだと思うんですけど、フクナガさんだって本当に悪い人じゃないと思うんですよ」
あれが悪い人でないというのなら、誰を捕まえて悪い人だと言えばいいのか。
「………まあ、君がそうしたいならそれでもいいけど、住所なんて分かるのか?」
「はい! ちゃんと皆さんとお別れする前に聞いておきました!」
ゲーム中にも時々見せていた、泣き虫で気弱なところの見え隠れする態度とは裏腹な行動力や根性
を発揮してみせた直の、一面がそこにちらりと見える。
そして彼女の勢いに押し切られるようにして、恐らくはあのフクナガですら、連絡先を教えたのだ
ろう。
それが本当の住所だとは限らないが、多分、でたらめな住所を書いてはいないだろうな、と秋山は
何故かそう思った。
直のあの妙な迫力には、秋山でさえ時々押し切られるのだから。
「それくらいですかね? あ、あとそれから、事務局の人にも」
「待て!」
今度こそ本当に、秋山は普段の三倍はある音量で待ったをかけた。
「なんだその、事務局の奴ってのは」
「ええと、私に声をかけてくれた人がいたんです、敗者復活戦の時に。多分、秋山さんに敗者復活戦
に私が参加していることを連絡してくれた人、だと思うんです。女の人から連絡を貰ったって、秋山
さん、言ってましたよね?」
脳裏を掠めた、黒に身を包んだ女の姿。
神崎直という人間は、こういう時は本当によく頭が回る。
「だから、お礼言っておきたくて」
「うん、分かった。君がそういう子だってことは、俺も十分もう認識しておいて然るべきだったんだ
よな。聞いた俺が間違ってた」
これはダメだ、何を言っても根本的に思考回路の原点が違っているのだから、永遠に平行線を辿る
だけだと判断した秋山は、その話題をここで終わらせることを選んだ。
だがしかし、これだけは言っておかなくては。
「で? 事務局の住所は、誰に聞いたんだ?」
「あ!」
まあ、多分、そんなことだろうとは思ったけれど、と秋山は一つ、やれやれと、溜息を吐いた。
そして、薄汚れたサッシの向こうに広がる青空を見上げて、思う。
頼むから、直接渡しに行きます、なんて、言い出さないでくれよ、と。
信じた事もないこともない神とやらに、このときばかりは本気で祈った。
「そうだ、秋山さん!」
けれど信心の薄さはいかんともし難いのだろう。
「名案があります!」
満面の笑顔を湛えた直に、秋山は知る。
どうやら、願いは叶いそうもない、ということを。
-end-
このあと、秋山氏がどうしたかは、ご想像にお任せします。
二次創作の元ネタが現代が舞台という作品で、そのSSを書くのはライアーが初なんですが、
こういった時事ネタを普通に取り込めるのはありがたいですね。
「特設ギフトコーナー」なんていう看板が出ているのを見て、思いついたネタです。
ドラマ版にするか原作版にするか考えて、ドラマにしてみました。
予定外に長い話になってしまったと、ちょっと後悔。