■夏のご挨拶 宝物決定
 大学の講義は今日は二限で終了。
 午後からは何の予定もない。
 直は大学で特にサークルに所属しているわけでもなく、講義が終わるとすぐに大学を後にした。
 今日は合コンがあるんだけど、一人行けなくなって困ってるのよね、神崎さんどう?
 そういう誘いも、申し訳ないと思いつつも、用があるから、ごめんね、と断って。
(何の予定もないはずなのに、用があるからなんてするりと口から出るなんて)
 少し早歩きで帰り道を歩きながら、直は少し自分に吃驚する。
(嘘、吐いちゃった)
 自分で自分に吃驚だ。
 ほんの些細なことだったけれども、考える前に嘘が言えるなんて。
 そう思ったのだけれども。
(そっか、嘘じゃないんだ)
 確かに予定は何もない。
 行かなくてはならない場所もないし、やらなくてはならないこともない。
 けれど、やりたいことはある。
「今日は何を作ろうかな」
 秋山の家にお邪魔して、晩御飯を作って、一緒に食べる。
 それがこのところの直の日課なのだ。
 母親が早くに、というよりまったく顔も記憶に残らない頃に他界していたため、直は随分と早くか
ら父を助けて家事を手伝うようになっていた。
 そのお陰といえるのだろうか、料理は自分で言うものなんだけれども、けっこう人に自慢できるだ
けのものが作れると思うのだ。
 秋山はいつも美味しい、と言ってくれるのだが、それが本当のものなのか、自分のことを気遣って
言ってくれているものなのか、それは直には分からないのだけれども、彼が好きな料理は段々と分か
るようになってきて、密かにそれをローテーションを組んで作るようにしている。
 それらは例えばカボチャが美味しい頃には、それを少し甘めに煮込んだものだとか、美味しいジャ
ガイモが買えた時には肉じゃがだとか、とてもシンプルで家庭の味といわれるものば多い。
 きっと、お母さんが作ってくれて、秋山さんには思い出の味なんだろうな、と直は思っている。
 果たして自分の作ったものが、その味と近いのか遠いのか。
「今日は秋山さんの家の近くのスーパーが特売日だから、そこで決めようかな」
 とりあえず、まずは自分のアパートを掃除して、洗濯をしよう。
 それからも出かけるまでの間に、明日の講義の予習を済ませてしまえばいい。
(分からないところは………秋山さんに教えてもらおう、かな)
 秋山は、中学、高校とトップクラスの成績で卒業し、おまけに超難関の名門の帝都大学で院まで修
め、おまけに頭の回転もずば抜けて速く、要するに秀才でもあり天才でもある。
 自分には到底理解出来ないような難しい問題を殆ど一瞥しただけで理解してしまう、その頭の中が
どうなっているのか、直にはひたすら不思議でしょうがない。
 そして秋山は、そうした人にありがちな教え下手、ではなかった。
 口調や言い方は素っ気無いところがあるが、直が質問をすればそれを理解出来るまで、根気よく丁
寧に教えてくれる。
 だからついつい、秋山に何でも聞いてしまうのだ。
 しかし、時々、そんな問題とは違った日常の中に疑問に感じたことを何気なく聞くこともあるのだ
が、なぜかたまに秋山が非常に珍しい表情を見せることがある。
 どうしてそうなるのかが、直には分からない。
 分からないので、それを聞くと、さらに秋山は難しい顔になって、最後は沈黙して終わった。
(何でなのかな)
 そんなことをつらつらと考えているうちに、自分のアパートが見えてきた。
 少し歩く速度を上げて、鞄の中から鍵を取り出し、ドアの鍵を開ける。
 中に入り、内から鍵を掛けて靴を脱いで。
 そして玄関を上がろうとしたところで、ポストに何かが入っているのが見えた。
 昨日は遅くなったので秋山の家に泊めて貰ったから、多分昨日配達されたものだろう。
「えーと、あ、電気代支払わなきゃ。それから、うーんダイレクトメールが多いなあ」
 あの恐ろしいゲームに遭遇して以降、直は自宅に届く郵便物を慎重に開くようにしていた。
 秋山から散々気をつけろと、言って聞かされた効果でもあるだろう。
 誰かが訪ねて来ても、即座にドアを開けないことも、それと同じだ。
「………あれ?」
 料金の請求書やダイレクトメールを捲っていった、その最後に。
 直は見覚えのあるものを見つけた。
 つい最近、何枚も書いた暑中見舞いのハガキだ。 
 普通のハガキと違って、切手の部分の模様が夏仕様になっているし、年賀ハガキと同じで、下の部
分にくじが付いている。
「誰からだろう」
 宛名は当然書かれていたが、リターンアドレスはない。
 しかし直が皆に宛てたものを投函したのはつい三日前のことであるから、出した相手から返事が戻
ってきたというのには、やや早すぎるだろう。
「でも、これ、何処かで」
 じいっと自分の名前を綴った文字を眺めるていたら、見覚えがある気がしてきた。
 どこでだったろう。
 絶対知ってるんだけど、と考えながら、直はハガキをくるりと返してみた。
 すると、そこには向日葵の花の写真が印刷されていて、たった一言綴られていた。
 それを目にしたとたん、直は他の手紙たちをすべて床に落として、向日葵のハガキを胸のところに
でぎゅうっと押し付けてしまう。
「出す相手が居ないっていってたのに」
 嬉しくて、顔がにやけてしまうのを止められない。
「えへへへ」
 秋山はあまり形を残すものに対しての関心が薄く、写真も殆どないのだ。
 だからこれは、まさにサプライズの贈り物。
「よーし、今日は神崎直、頑張っちゃいますからね!」
 予定変更。
 掃除も洗濯も明日に延期だ。
 とにかく、これからまずは買い物に行かなくては。
「ふふふふ、驚かせてあげますからね、秋山さん!」
 バタバタと部屋の中を駆け回って、いつも秋山の家に行くときに使っているちょっと大きめの鞄に
必要なものを次々と詰め込み、最後に大学に持っていった鞄からお財布を引っ張り出した。
 最後にお財布と鞄の中をチェックして、部屋の中をぐるっと見回し、準備万端、OKだ。
 そして脱いだばかりの靴を履いて、かけたばかりの鍵を開けて、入ってきたばかりの扉を開けて。
 外に出ると、太陽が眩しいくらいに耀いていた。
 それが嬉しくて直はにっこりと笑い、しまったばかりの鍵を取り出して、しっかり施錠。
 ふと、もう一度、鞄の中から一枚のハガキを取り出し、それをニッコリと見つめて。
「サプライズ、リターンマッチですよ」
 いつも、やられっぱなしじゃないんです。
 心の声で高らかに。
 そうこの場には居ない相手に宣言すると、直は躊躇いもなく走り出す。
 一気に加速して、向かう先は。
 世界で一番素敵で、格好よくて、優しくて、物凄く賢くて、いつも吃驚させてくれる、とっても器
用なのにちょっと不器用な人が暮らす場所。
 風のように後ろへと飛んでいく景色を追い越して、直はいつもよりも少し早いスピードで、嬉しそ
な笑顔を隠すことな走って、息が少し苦しくても。
 大好きな、あの人のところへ。
 

 
 
                                         -end-



夏のご挨拶、の続きです。
もっとさらりと書くつもりだったんですが………
ドラマ10話が大変激しいことになりそうなので、ちょっと明るめにしてみました!