■lotta
やっぱり、そうだった。
もしかして、もしかしたらそうなのかなって。
検査ルームで、それまで次々とゲームの勝負に負けていた、ほんの少しの間にやつれてしまたよ
うに見えたその姿をがらりと一変させた秋山さんが、ヨコヤさんに対して自分がやってみせた作戦
を鮮やかに披露し、そして彼の『支配者』としての仮面を引き剥がしていく様を、画面の向こうに
見ていた時。
「このトランクの中は、空だ」
そう、秋山さんがヨコヤさんの耳許で教えているのを見て、吃驚した。
だって、私がヨコヤさんにされたことと、まったく同じだったから。
そしてもっと驚いたのは、本当にトランクの中は空っぽで、秋山さんの言葉を嘘だ思ってとダウ
トを宣言し敗北したヨコヤさんに向かって彼が言った言葉。
「俺は、おまえのようにつまらない嘘は吐かない」
秋山さんの、いつものような冷静な態度の中に、ちらりと覗いた炎が見えたと、思った。
それは怖いくらいに、静かな炎で。
本当のことを言って、ヨコヤさんからお金を奪い取った秋山さんが私たちのいる部屋に戻ってき
ても、私は動けなかった。
でも、どうしても聞きたいことがあって、なんとか足を動かして彼の傍まで行ったら、秋山さん
はいつもの、どうしたんだ、と私に聞くときと同じ表情を見せてくれた。
だから勇気を掻き集めて、なんとか言葉を紡ぐ。
「秋山さん」
「………なに」
返事を返してもらえたことが、すごく嬉しくて、思わずほっとして力が少し、抜けた。
あんな風に言われた後だったから、ちょっと怖くて躊躇っていた気持ちが、やっと消えていく。
「聞こえてたんですか?」
偶然だったのかもしれないけれど、あの言葉は。
「あの………ヨコヤさんが密輸人で、私が検査人だった、あのゲームのとき」
そこまで言って、思い出す。
あのときヨコヤさんは、カメラ越しに秋山さんに向かって、彼が一番触れてほしくないに違いない
過去を引きずり出してみせたことや、私が秋山さんをこのゲームに誘き出すために利用されたんだっ
て事実を話したこと思い出して、唇を噛み締めて、それでも、続けた。
「ヨコヤさんが、私に、トランクの中は、空だ、って言ったこと」
「ああ」
偶然じゃなかったんだ、と、私はYESでもNOでもない返事に、彼の答えを見つける。
私の気のせいじゃなかったんだ。
「おまえ、まんまと騙されてたな」
「………私、馬鹿なんですよね」
「相手を見て考えろ、って言っても、おまえには無理だろうな」
秋山さんは心底呆れたような口調でそう言ったけれど、その声音は優しかった。
だから、私も、ちょっと笑って返すことが出来たんだと思う。
そして思い出す。
このトランクの中は。
そう言った秋山さんと、ヨコヤさんの、二人の声。
秋山さんは、あの会話を聞いていて。
「それで、言ったんですか? ヨコヤさんに、あんな風に」
でも、どうして秋山さんはあんなことをしたんだろう。
秋山さんの作戦の一つだったのかな。
だったらどんな作戦なんだろう、と私は気になって聞いていた。
だって、本当に。
「まあな。あいつに、思い知らせるには丁度いいだろう? あいつは嘘を吐いておまえを騙し、
金を奪ってみせた。だから、俺は本当のことを言って、あいつから金を奪ってやったのさ。なか
なか効果的だったろ?」
吃驚して、しまった。
それから何故だか、嬉しくなって、しまった。
だって、だって、それはまるで。
「なんか、驚きました。私、ヨコヤさんの言ったこと信じて、騙されちゃいましたけど、でも、
信じちゃったこと、秋山さんにそれは悪いことじゃないんだって言ってもらえたみたいで」
そう言ったら、秋山さんに怒られた。
簡単に信じるな、といつものように。
分かってるんです、分かってるんですけど。
でも私は、それでも。
思わず手を握り締めてしまった私に、秋山さんは息を吐き出すのと合わせるように、言った。
「そんなんだから、俺にもあっさり騙されるんだよ」
「え?」
吃驚した。
さっきから吃驚してばっかり。
だけど、今はさっきのとはまた違う驚きだった。
騙されるって、なんのことだろう?
そんなことあったかな。
分からなくて、それはそのまま言葉になっていた。
「私、秋山さんに騙されたこと、ないですよ? 本当のこと教えてもらえないことは、あります
けど」
でも秋山さんが本当のことを私に教えないのは、教えないことに意味があるからだってことも
ちゃんと分かってる。
だから騙されたわけではない。
なのに、秋山さんは言う。
「騙しただろ」
考えても、そんな記憶がまるで見つからない。
それって、いつのどのことを、言ってるんだろう。
「いつですか?」
分からないことは聞くのが私の癖で、問いかけたら秋山さんは少し視線を私から反らした。
「ヨコヤの挑発に乗って、俺が暴れてあいつに殴りかかるようなまねをしてみせた時だよ」
「………ああ、あの検査ルームの外の」
あの時は、自分が目にしたものが信じられなかったんですよ。
だって、初めて見たから、あんな風になってしまった、秋山さんを。
私は自分の無力さを痛感させられて、何も言えなくなって。
ああ、でも騙されたってことは、あれも演技だったと、秋山さんは言うのかな。
けど、けどね、秋山さんはちょっと間違ってます。
「騙されてませんよ? 私」
そう言ったら、なに言ってんだ、って顔をして秋山さんが私を、見た。
だけど本当ですよ。
私が、嘘吐けないの知ってるでしょう。
あの時、分かってしまった。
突然突きつけられたものに、全部、分かってしまったんですよ。
「だって秋山さん、本当にあのとき、苦しかったでしょう?」
今まで見たこともない、秋山さんだった。
床の上に崩れて、開かないドアに縋って、泣いていた。
呼びかけた私の声に、ただ、煩い、とだけ言い放った。
あれは演技なんかじゃなかった。
たとえ秋山さんがそうだと言い張っても、私、違うと思うんです。
あれは、あの時は確かに、秋山さんは本心から哀しみと怒りと、どうにもならないものを抱え
て独りきりであの場所で私を、すべてを拒絶した。
そうなんだと、思うんです。
「秋山さん、演技だって言ってますけど、それ、違いますよ。秋山さんはそう思ってるのかもし
れませんけど、そうだったのかもしれませんけど、だけど秋山さん、本当にあの時、苦しくて、
悲しかったんだと思います」
思ったことが、上手く伝えられない。
どう言えば、秋山さんに私の思っていること、全部伝えられるのか分からない。
だから思いつく限りの、言葉を綴るしかない。
「私、馬鹿で騙されやすくてどうしようもないですけど、でもこれは勘違いなんかじゃないって
言えます。秋山さんが苦しんでるのは、本当だったと思います。今も」
どれだけ自分が、馬鹿だったのか気付けたあの瞬間。
ヨコヤさんが私に対して投げかけた言葉は、そのまま秋山さんへと向けられた刃だった。
悲しくないわけがない、辛くないわけがない。
だって秋山さんは、そのために全部全部捨てて、犯罪者になってまで自分の大切なものを奪っ
た相手と戦ったんですよね。
そして今でも、秋山さんの中には少しも薄れることなくその時の苦しさも悲しさも、傷痕を残
しているんじゃないのかな。
「だから、私に言ったんですよね。俺のなにが分かるんだって。あれ、秋山さんの本心だったん
ですよね」
その言葉は、本当に例えなんかじゃなくて、私の心臓を突き刺した。
あの国境線の閉じた扉の前に崩れ落ちていた秋山さんを見つけたときから、じわじわと感じて
いたものが、とうとう形を持ってしまった。
私は本当に馬鹿で、どうしようもない間抜けで、そして愚かだった。
秋山さんに言われるまで、気付こうともしなかった。
『こんなの秋山さんらしくないですよ、秋山さんはいつも冷静で、ちゃんと作戦を考えて』
どうして、そんな酷いことが、言えたんだろう。
秋山さんらしくないって、なんでそんなこと。
私は秋山さんのなにを知っていて、なにを分かっているつもりだったのかな。
秋山さんが抱えていたもの、何も気付いてなかった。
気付こうともしなかった。
ごめんなさいと、謝るのは簡単だ。
だけど、そんなことしても何の意味もないんだってことくらいは、分かる。
私にそんな言葉を向けられたって、秋山さんにはなんの意味もないんだってこと。
「私、やっぱりダメですね」
私を跳ねつけた時、きっと秋山さんは本心からあの言葉を吐き出したんだと思う。
秋山さんは演技だと言っても、分かるんです。
だって、あの時の、秋山さんの私に向けられた瞳の中にあったもの。
「なにが」
「秋山さんは、苦しくて悲しくてどうしようもない気持ちで一杯になってても、ちゃんと、どう
すればゲームに勝てるのかしっかり考えてたんですよね。それなのに、私、秋山さんが苦しんで
るのに何も出来ない自分の落ち込んでるだけで、結局なんにも出来なくて」
「そう思うように、俺が演技してたんだから仕方ないだろ」
「いえ、だから、秋山さんは」
おまえがそんな風に思うことはない、と、そう言っている秋山さんの黒い瞳がが私を映す。
優しい人なんだ。
だって、お母さんに似てるってただそれだけで、見ず知らずの私を助けてくれたんだもの。
でも優しすぎるから、秋山さんはたくさんの痛みを抱えてるんだと、やっと分かった。
私は馬鹿正直で簡単に騙されて、それで傷つくこともたくさんあるけれ、秋山さんはきっと
相手のために嘘を吐いて、それで自分が憎まれても傷ついても平気な顔をしてみせるんだ。
どうしてそれに、気付けなかったのかな。
皆のいた部屋に戻って、それから検査官として火の国の密輸人と対決するために出て行くまで
の、あの短い時間の中で、秋山さんはとてつもない作戦を考え付いて、それを実行してみせた。
凄い、と皆が言う。
私も凄いと、思う。
思うけれどそのどこかで、秋山さんはいつもそうして最後には、全部自分で背負ってしまうん
だってことが、寂しくて、悲しくて、痛かった。
一回戦のとき、見ず知らずの私が突然泣きついたのに助けてくれて、そして藤沢先生に五千万
を渡した私に、ならこれは貰えない、そういってもう半分の五千万をあっさりと返してくれた。
ニ回戦のとき、騙されてまたゲームに参加することになった私を、秋山さんは代理参加という
ことまでして、助けてくれて、最後にはゲームから離脱してしまった私の代わりに勝利を勝ち取
って。
敗者復活戦だって、もしも秋山さんが私のことを気にかけてくれていなかったのなら、私は今
頃、莫大な借金を背負ってただ泣いているだけだったと思う。
おまけに、せっかく秋山さんが集めてくれたお金も全部、私はそれで秋山さんをゲームから降
りることが出来たはずのお金まで、皆に返してしまって。
そしてこの三回戦だって。
『誘き出す、餌として』
結局、全部私のせいだった。
秋山さんをゲームに巻き込む原因になったのは、私。
秋山さんがゲームから降りることの出来るチャンスを、二度も捨ててしまったのも私。
ヨコヤさんは私を利用したと言ったけれど、私は面白いくらい彼らの思い通りに動いたことに
なるんだろう。
秋山さんのために、そう思ってやったはずのことも、結局は。
「話は後だ。ゲームは、まだ終わってないんだ」
「………はい」
秋山さんは、残りのゲームでもヨコヤさんと対決するだろう。
火の国の三人はもう秋山さんとの協力関係を結んでいるから、これから先のゲームでヨコヤさ
んは自分でお金を運び、密輸を阻止するしかない。
そして多分、そのヨコヤさんと対決するのは秋山さんなんだと思う。
だから、私に、私たちに出来ることってもしかしたらもうないのかもしれない。
でも、私たち同じチームで、同じ仲間で、一緒に戦ってるんですよね。
私たちと一緒に戦っても勝てない、そう秋山さんは言ったけど、でも、今、まだゲームは終わ
てないって、そう言ってくれた。
秋山さんは、そう言ってくれたんだから。
「しっかりしろよ、ここからが正念場なんだ」
その言葉に、はっとして私は俯いていた顔を上げた。
「すみません、私、頑張ります」
「まあ、出来る限りでいいけどな」
「いえ、出来る限り以上で頑張りますから!」
「………ほどほどで頼むよ」
なんとなく困ったように聞こえるけれど、秋山さんの横顔はいつもと同じで変わらない。
だけどそれは確かに、私の知っている秋山さんだ。
それはまだ本当の秋山さんではないのかもしれなくても、やっぱりすごく、頼もしい。
でも、演技じゃなくて、嘘じゃなくて、いつか私にそれを見せてくれる時が来てくれることを
願うのは、思い上がりなのかな。
秋山さんをこのゲームに巻き込んでしまった、私なのに。
だけど、こうやって最後にはいつも、秋山さんは立ち止まって動けなくなる私に、声をかけて
くれるから。
ごめんなさいとか、すみませんでした、とか。
謝るのは簡単だけど、今は言いません。
だって、まだ戦わなくっちゃいけないんだから。
「勝てますよね、私たち」
「ああ」
不思議だ。
秋山さんがそう言ってくれるだけで、気持ちがすごく強くなれる。
だから大丈夫、戦えます。
だってこれは、私のゲームでもあるんですから。
信じることしか私には出来ないけれど、でも、だったら最後まで、信じるだけです。
秋山さんのこと、このチームの皆のこと、それにこのゲームの結末だって。
「秋山さん」
「いくぞ」
「はい!」
全部、全部終わったら言いたいことがあるんです。
だから頑張ります。
絶対に、勝ちましょう。
みんなで一緒に、笑えるように。
秋山さんが笑ってくれるように。
ごめんなさいも、ありがとうも、もう少しだけ心の中。
そして最後の瞬間まで真っ直ぐに前を向いて、秋山さんと一緒に。
歩いて、いきますから。
-end-
ドラマ第10話を鑑賞後に、降りてきた萌の神様からの贈物、直ちゃん視点で(笑)。
ああ、これはますます、すんごい捏造・大嘘になっていること間違いなし。
秋山氏に比べて、直ちゃん視点での真面目な文章は非常に難しいです。
彼女の心情を描くのに、何処までやっていいのかが量りきれません。
ドラマでの描かれ方が原作に比べて、かなり複雑な心理になっているので、
彼女の心の動きを掴み取れないといいますか………人間修行が足りません………
「lotta」は、イタリア語で戦い、という意味です。