■Moonlight
あきやまさん、とそう呼ぶ声が。
世界を動かすたった一つの呪文なのだと。
知った夜に。
「面白い、顔してます」
「誰が」
「秋山さん」
いきなり人の顔を覗き込んできて、その台詞か、と秋山は少々呆れたのと些か気に入らない内容
だったことに対して、眉を潜めて見せた。
すると、慌てたように直が違います違います、と言葉を重ねてくる。
「面白いって言うのは、そういう面白いって意味じゃなくって、ええと、えーとですね」
「なに」
なにしろ人のいい彼女が、間違っても他人を傷つけるつもりだとか馬鹿にするつもりでそういっ
たことを口にするわけがないと知っていながら、秋山はわざと不機嫌そうな表情を作ってみせた。
生憎と、彼女とは正反対に自分の感情を綺麗に心の奥底へと沈めて仮面の裏に隠してしまうこと
などお手の物である秋山には、そんなもの造作もないことだったろう。
けっこうな長さの付き合いになるのだから、直もそろそろそういったことに対しての学習や免疫
といったものを身に付けて当然なのだが、そこはそれ、神崎直は、あくまでも神崎直だった。
「だから、いっつも見ない顔してるな、って意味です。すごく珍しい表情を秋山さんがしてたから
それで、面白いなあって。………あーあ、勿体無いことしちゃったかも」
「なにが」
なんとか説明出来たかな、という表情をみせたその直後に、今度はいきなりがくりと項垂れてし
まった、まさに百面相な彼女を前にして秋山の明晰な頭脳もクエスチョンマークを飛ばす。
神崎直という人物の、心理動向は時々本当に、突拍子もない。
「だって、せっかく滅多に見れない顔を見せてくれたんだから、黙ってたらもうちょっとじっくり
見ることが出来たのにな、と思って」
「あ、そ」
あんまり人にじっと見つめられるというのは居心地のいいものではないので、秋山としてはそう
ならなくてよかった、と本気で思う。
ことに、直は真正面から人の目を真っ直ぐに見つめてくる。
その大きな黒水晶のような瞳に自分の姿が映る様を見返すのは、正直なところあまり、楽しいも
のではなかった。
「何考えてたんですか?」
「別に」
「そうですか」
素直に秋山の言葉を信じて、直はそれ以上の質問はしてこない。
でも、やっぱり惜しかったなあ、とむき出しの膝を抱え込み、その上に顎をのせて少し背中を丸
めながらぶつぶつ呟いている。
なにがそんなに、彼女に拘らせているのか。
秋山は気にしない方が間違いなく自分のためだ、と知りながら、左手は膝を抱えたまま、反対の
右手の指で自分の足の指を弄るような仕種をみせる直に、ついつい、問いかけてしまった。
「そんなに、珍しい顔をしてたのか?」
「はい。ええとですね、なんて言ったらいいのか………」
にこり、と笑って、直は問いかけてきた秋山のそれに応えようと、天井を見上げるように視線を
巡らせ言葉を捜し始める。
「すごく、穏やかっていうか、うーんと、楽しそうっていうか………ええとええと、ああ!」
あれも違うこれも違うと口に出されるものは、そのどれもが秋山にしてみればそんなものを顔に
出している自分というものが想像できないものばかりだった。
だが、最後に。
「すごくですね、満たされるって、そういう感じだったんです!」
間違いありません、これが一番ぴったりです、と満面の笑顔で向けてきた直に、秋山は一種頭の
中が本当に真っ白になって、固まってしまった。
「なんだか、とっても綺麗だったんですよ。だから、勿体無いフグググ………」
「もう、いいから」
いきなり大きな手に口を塞がれて、直の言葉は封じられる。
「………ふー………もう、なんですか、いきなり! 秋山さん?」
立てた左膝に額を押し付けるようにして、頭を抱え込んでいるようにも見える秋山の姿に、直は
口を塞がれたことの理由を尋ねようとした言葉を引っ込め、首を傾げながらも膝と手の四つん這い
の恰好でシーツの上を移動して、ベッドの窓側にいる秋山のすぐ近くにまで近付いた。
「あーきやーまさーん?」
「………よく分かった」
「はい?」
「君には、勝てない」
「ええと………それって喜んでいいんでしょうか?」
どういう意味で勝てないのか、勝っているのかさっぱりなのだが、とりあえず、自分にはとても
敵いそうもないと思っている秋山から、勝利宣言をいただいてしまったことに、直は首を傾げる。
ちらりと、その姿を顔を覆った手の指の間から見て、秋山は改めて溜息を吐いた。
どうやら俺の二度目の人生の世界は君で始まって、すべては君が動かしているらしい。
思ってから、自分に自分で笑ってしまう。
それは疾うに知っていたことで、とても今さらのことなのだ。
「いいんじゃないの?」
「そうなんですか?」
「俺が、君で満たされてるってことだからね」
「私で? え? ええ? それって、えーと」
多分、きっと俺の言葉の含む意味を、正しくは理解してはいないんだろうな、と思いながらも、
秋山はまあいいか、と頭を膝に乗せた恰好のままで、右手を不思議がっている直の首筋に滑り込ま
せた。
「秋山さん?」
己の名を呼ぶ、その声の甘さに自然と緩む口許を今さら隠すことなど意味もない。
そうして、彼の世界は柔らかい熱の中に動き出す。
なお、とそう呼びかける声が。
世界に色を与えるたった一つの呪文なのだと。
知った夜に。
-end-
えーと………なんでしょうね。
私はどのジャンルで書いても、基本的に○禁とかR○とか、そういった文字をつけるに値する
文章を書けたためしがありません。
すでに諦めておりまして、それでも努力はするんですが、こうして玉砕します。
まあ、どういう状況か、ってあたりは、ご想像にお任せしつつ、勢いよく、遁走。