「もっと恋人らしいこと、したいんです!」
「………………………君がもうちょっと大人になったらね」
「大人って、二十歳になったらってことですか?」
「や、そういう意味じゃないんだけど」
「じゃあ、どう言う意味なんですか!? 秋山さん!」
「だから君にはちょっと早いかなと」
「なんですかそれ、全然分かりませんよ! 私にも分かるように言って下さい!」
(それが出来れば苦労しないんだけどね)
「秋山さん、秋山さん、もしかして、私のこと、本当は………」



■恋と愛の曖昧なる境界線について
   「あんた、そんなところで何やってるのよ」  唐突に聞き覚えのある声が、威高な響きを持って耳に飛び込んできた。  俯いてじっと地面を見つめていた直は、それを聞いてぱっと顔を上げる。  するとそこには、やはり思った通りに。 「フクナガさん!」 「やあねえ、くっらい顔して黄昏てる奴がいるかと思ったら、あんただったのね」  相変わらずの凹凸のはっきりした見事なボディラインを強調する衣装を身に付けた、フクナガユ ウジが呆れた顔を隠そうともしないで立っている。 「ええと、お久しぶりです。お元気そうですね」 「はいはい、お久しぶり。あんたは元気そうじゃないわね、ちっとも」  スバリと言われて、直は再び視線を彷徨わせ、首を折って項垂れてしまった。  バックに真っ暗な闇のオーラが見えるのは、多分気のせいではないだろう。  その分かり易いまでの落ち込み方に、フクナガはフン、と鼻を鳴らしたが、そのまま立ち去るこ とはしなかった。 「たっく、あんたって本当に面倒な子ね! なんなのよ、その真っ暗っぷりは。どうせ秋山でしょ う?」 「なんで分かるんですか?!」  てっきりそのまま去っていってしまったかと思っていたフクナガが、気付いたら自分と並んでベ ンチに越し掛けていることにも吃驚したが、それ以上に彼が言った言葉に直は吃驚して、それをそ のまま言葉にしてしまう。   だが、それを聞いたフクナガの顔には、直一層のこと不機嫌さを象徴するかのような眉間の皺が 数を増やしていた。 「おめでたい頭してるあんたに分かるように、言ってあげるわよ。あのねえ、あんたがそうやって 落ち込む理由なんて、一つしかないでしょ。ゲームやってたときからあからさまだったじゃないの よ、何かあればアキヤマ、アキヤマって懐きまくってたくせに。で、なに? 何をされたわけよ、 あの馬鹿男に」 「秋山さんは馬鹿じゃないですよ? すごく頭いいです」 「お馬鹿。そんなことは分かってるのよ。あの男の頭がムカつくくらい良いってことは、私だって よく知ってるのよ! 私が言ってるのは、人間的なバカって意味よ!」 「………秋山さんは、悪くないんです………私が、馬鹿なだけで………」  そう言って、ますます項垂れてしまう直を見て、フクナガの苛々はさらに増大する。 「あーもー、ウジウジしない! ただでさえ梅雨の湿気がウザイって言うのに、余計にうざくなる じゃないのよ! で、なんなのよ? キリキリ話なさいよ! 何があったのか簡潔かつ明瞭に!」  足を組み替えてフクナガが言えば、驚いたように直が目を丸くして彼を真正面から見た。   彼女のこういうところが、フクナガは苦手だったのだ。  じっと相手を見つめられるのは、疚しいことがない人間だけに出来ることであって、フクナガの ように色々とある人間にはそこに策略でも絡んでいない限りはまかり間違っても出来ることではな い。  それを、神崎直という娘はあっさりとやってみせる。  フクナガの苛々はまた少し増大した。  それを知ってか知らずか。 「あの、話、聞いて貰えるんですか?」 「あんた、私の話を聞いてたの? いいからキリキリ巻きいれて話なさいよ! 私も暇人じゃない んですからね!」 「は、はい、あの、あのですね」  あまりのフクナガの剣幕に押されて、直は溜まっていた涙も引っ込んでしまい、大急ぎで頭の中 に話すべき事をまとめてみる。  そして、どうにかこうにかまとめ上げた話を、直は躊躇いがちにも語りだした。  ある程度予測はしていたものの、やはり彼女の説明はあっちへこっちへとフラフラ余計な寄り道 が多く、その都度フクナガによって軌道修正をする。  それでもどうにか最終地点に辿り着くまでにはかなりの時間が必要で、よくぞ持った私の堪忍袋 とフクナガが思っていたのはさておき、直は話し終えたことで少しは気持ちが落ち着いたのか、も う涙をみせてはいなかった。  相変わらず、俯いた顔はそのままだったけれども。 「………………………シンジランナイ」 「フクナガさん?」 「あんたら、なにチンタラチンタラやってるわけ? あんた女子大生ったわよね? 十八でしょ、 少なくとも。アキヤマだって四捨五入すりゃ三十路に近い男のくせして、なんなのよ、その、お子 様な恋愛状態は!」 「お、お子様?」 「お子様よお子様! まあ、あんたは仕方ないと思うわよ。はっきり言って、ガキだものね。思考 回路も行動も! だけどなに? アキヤマまでなんなの? 少しは余裕のあるところを見せるとか できないのかしらね!」 「フクナガさん、落ち着いて下さい、あの、秋山さんは」 「悪くないって言ったら、その口ひん曲げるわよ?」 「す、すみません、でもですね」 「ナオ、ちょっと聞くけど、あんた、アキヤマとキスくらいしたことあるわけ?」 「え? は? ええ!? えーと、あの」  いきなりの方向転換に、直の頭はついていけない。  何がどうして、いきなりそんな話になってしまうのだろうか。  そんな直を置き去りにして、フクナガは何かを悟ったように一人、頷いてみせた。 「分かったわ、あるのね」  どうして分かるんですか、と目をまん丸に見開いた直を見て、フクナガは心中でわからいでか、 と大阪人ツッコミをしてしまう。  見え見えのバレバレもいい所だ。  これで分からない人間がいるのなら、寧ろそっちにお目にかかりたい、と思ったところで、目の 前の人物がそれだな、と思わずこめかみを押さえてしまう。 「それってどのレベルよ。まさか、唇と唇がくっついただけ、なんてオッソロシイこと」  言わないわよね、と言いかけた言葉は、きょとんと自分を見ている直の前に、消えた。  恐ろしい、本当に恐ろしすぎる。  この世の中に、こんな恐ろしい生き物がまだ存在していたなんて。 (アキヤマ………あんたに、ちょっとだけ同情してやるわよ)  ふう、と気持ちを切り替えるようにフクナガは大きく息を吐いた。 「ナオ」 「はい」 「とりあえず、やっぱりアキヤマは馬鹿よ」 「なんでですか?」 「好きな女が大人になるのをただ指を咥えて待ってる馬鹿が何処にいるっての! だったら自分で 大人になるようにしてやりゃーいいだけのことじゃないのよ」  はん、あの臆病者、と鼻で笑うフクナガだったが、内心ではこの娘相手ではそれも致し方なかろ うか、とやはり同情的思考も同時に生じる。  しかし、直の方はといえばそんなフクナガの心の声など知るはずもなく、難しい顔をして何やら 悩んでいる。 「あの、フクナガさん」 「なによ」 「秋山さんには、私のこと大人に出来るってことですか?」 「別にアキヤマでなくても出来るわよ。でもね、あんたが仮にもあの男の彼女を名乗るなら、少な くとも他の選択肢は選ばないで、アキヤマにやってもらうべきね」  フクナガとしては秋山を困らせてやりたい気持ちが多少ありつつも、直の女心を思えば彼女のた めにはそう言っておくのがベストだろうと考えた。  まかり間違って秋山以外の男と、なんてことになったら、何が起こるか想像するだけで恐ろしい ものがある。  そんなフクナガの複雑な思いの混じった言葉を聞いて、直はまた少し考え込む。  そして。 「分かりました」  いきなり意を決したように、重々しく直の口からこぼれた音。 「何が」 「私、秋山さんにお願いしてみます。断られるかもしれませんけど、頑張ってみます!」 「ちょっと待ってよあんた、なんだか知らないけど、何をそんなにやる気になってるのよ。てか、 お願いするって」 「ありがとうございました、フクナガさん。話を聞いてもらえて、元気になれました。私、諦めな いで頑張ってみますね!」  あのね、とそう言って引きとめようとしたフクナガの言葉は、直の耳には届かなかったのか。 「今度、お礼させて下さいね! それじゃあ、お引止めしてしまって、すみませんでした。私、帰 ります。今日はありがとうございました」   そしてひらりと薄いターゴイスブルーのスカートを閃かせて、直は小走りに走り去って行ってし まい、後にはぽつんと一人フクナガが残るばかり。 「………暫く、旅に出た方がいいかしらね………」  秋山の顔が脳裏を過ぎった彼の口からは、無意識のうちにそう零れ落ちていた。 「秋山さん!」 「おかえり………って、どうしたの、血相変えて」 「私、秋山さんにお願いしたいことがあるんです!」 「はい?」 「恋人らしいことするのは、私が大人になってからって言いましたよね?」 「言ったけど………」 「じゃあ、秋山さんが私のこと、大人にしてください!」 「………………………………………誰かに、なんか、相談した?」 「フクナガさんに、さっき、偶然会って」 「ナ・ル・ホ・ド・ネ」 「それより秋山さん、私のこと、大人にしてくれるんですか? くれないんですか?」  とりあえず、目的達成のためのお願いの内容が本末転倒しているというか、過程と結果が同じこ とを意味しているとか、まあその辺りを説明する方法も考えないといけないわけだが。 (フクナガ、おまえへの報復もきっちり、考えてやらないとな)    恋と愛の曖昧なる境界線についての、この稀なる複雑怪奇な事例の解決法は。  さて、どこにあるでしょう。                                             -End- とりあえず、逃げましょう、フクナガさん。 国内よりも海外をオススメします。 秋山さんの報復は怖いですよ。 なんぜマルチぶっ潰したような人ですから。 何するかわかんないですよー。 直ちゃんには勿論全部隠し通して、フクナガさんへの報復はきっちりと。