■Something old, something new,
  

 カンカンカンと、そのつもりはなくても、古びた階段は勝手に音を立てる。
  久しぶりに雨が止んだ晴れた空の下、アスファルトは水溜りを光らせていて、紫陽花の花も随
分と盛況だ。
 夏が近い事を感じる気温に、湿気が混じるとやや重い。
 明日にもまた雨だろうか、そう思いながら秋山は階段を昇りきり、ポケットを探った。
 そして指先に触れた冷たい感触に、それを握り取り出そうとして。
「あ、やっぱり秋山さん! お帰りなさい!」
 それよりも一手先んじて、開かれた扉の向こうから、にこりと笑う顔が飛び出してきた。
「来てたのか」
「はい。予定より早い電車に乗れたんです」
 ニコッと笑って、直は中に引っ込み秋山が入れるようにする。
 その後を追うようにして、秋山もいささか年季の入ったアパートの玄関に入った。
 以前住んでいたアパートは、簡易なキッチンが併設されただけのワンルームといってよく、本
当に質素なものだったが、現在秋山はそこから1LDの古くはあるがそこそこ余裕のある場所に
居を移している。
 その理由は、まあ、色々だ。
 ちなみに、新しい住まいは、直のアパートから所謂『スープの冷めない距離』といった所に在
る。
 偶然だ、としれっと言って退けた秋山の言葉を、偶然でも嬉しいです、と言って喜んだのは勿
論だが直だけであり、それ以外の者は一様にして生温かい視線を秋山に送った。
 そんなもの、秋山にとっては痛くも痒くもなかっただろうけれども。
「秋山さんもどこかにお出かけだったんですか?」
「いや、ちょっとコンビニ」
「そうなんですか」
 言いながら、直は手早くお茶の支度を済ませると、てコンビニから買ってきたらしい新聞を開い
ている秋山の隣にちょこんと腰を下ろした。
「着替えて来たんだ」
 てっきり新聞に意識がいっていると思った秋山から不意に声をかけられ、直は吃驚したように目
を丸くしたが、すぐに笑みをみせて頷く。
「はい。なんか、いつもと違う恰好だと肩が凝っちゃって」
「せっかく可愛かったのに」
「揶揄わないで下さいよー」
「本当のこと言っただけなんだけどね」
 秋山は新聞を畳んで脇にやると、直が運んできたお茶をそれぞれの前に置いた。
「本当に?」
「本当」
「そうですか! よかった! ああいう恰好って普段しないから慣れなくて、おかしくないかなあ
って不安だったんですよ。お化粧とかも」
「そう言えば、あんまりしないね」
「した方がいいですか?」
「いや、今のままの方が君らしくて、俺はいいと思うけど」
「よかった………お化粧って苦手なんですよー」
 今この場に、かつて修羅場をともに潜り抜けた連中がいたのなら、揃って砂どころかコンクリー
トあたりを吐いていたに違いない。
 秋山、おまえ、キャラが全然違うだろう、と叫ぶ者もいたかもしれない。
 残念ながら、二人以外の誰もこの場にはいなかったので、そうはならないで済んだが。
「あ、そうだ。これこれ」
 突然何かを思い出したように、直は腰を浮かせて少し離れた場所にあった自分の鞄の隣に鎮座し
ていた大きい紙袋を引き寄せた。
「引き出物?」
「そうです。じゃーん、見てください、美味しそうなバームクーヘンですよね!」
「いや、外装があるからちょっとそれは分からないけどね」
「見た感じ、すっごく美味しそうなパッケージって意味ですよ!」
 秋山さん想像力が足りません、と憤慨して言う直に、君の想像力の翼が大き過ぎるだけなんじゃ
ないのか、と思ったが、それを秋山は口にはしない。
 言わずにおいた方が世の中円滑に回るものが、いくらもあると彼は身に染みてよく知っていた。
「これ、お茶請けにしましょう」
 秋山の返事を待たずに、直はその美味しそうに見えるというパッケージを開けて、いそいそと中
身を取り出して用意してあった皿に移し、これまた用意しておいた包丁でそれを切り分けていく。
 秋山には別にそれを断るつもりもなかったので、黙ってその作業を見守った。
 そんなに真剣にならなくても、多少大きさが違った所で別にいいのに、と思いつつ、ふと転がっ
ていた紙袋を手に取る。
 そこに描かれた、WEDDINGの文字。
「それで、どうだったの?」
「すごく綺麗でした! 花嫁さんってやっぱりいいですね。なんかもうすごく幸せそうで、花婿さ
んも格好よくて、すごくいいお式でした」
 直は、高校時代の友人の結婚式に招かれて、昨日からその子が嫁いだ先へ泊りがけで出かけてい
た。
 相手は地元でもなかなかの名士だとかで、式自体も立派なら招かれた客も立派で、披露宴で出さ
れた料理はどれも超一流の素晴らしく美味しいものだった、と直はバームクーヘンと戦いながら秋
山に色々と話して聞かせる。
「ドレスとかすごく綺麗でした」
「やっぱり、女の子ってのはそう言うのに憧れるんだな」
「皆がそうかは分からないんですけど、私は綺麗だなあって思いますよ、やっぱり」
 よし、切れました! と高らかに宣言して、直はそのうちの一切れを秋山に、そしてもう一切れ
を自分の皿に盛った。
「うん、やっぱり美味しいです。秋山さんどうですか?」
「ああ、そうだな」
「ふふ………おいしーい」
 嬉しそうに顔を綻ばせる直に、秋山はちらっと視線を投げると、く、と喉の奥で笑う。
「なんですか?」
「ほっぺた、付いてる」
「え? どこですか?」
 慌ててペタペタと直は自分の顔に触れるが、見事に外した場所しか触らない。
 仕方ないな、と秋山は自分の手を伸ばしてそを取ってやる。
 そしてそのままパクリと食べてしまった。
「あ、秋山さん!?」
「なに?」
「ななにっていうか………あの………いえ………いいです」
 顔を赤らめて俯き、フォークで無意味に動かすその皿の上では、バームクーヘンが酷いことにな
っているのだが、恐らく気付いていないだろう。
 くす、とポーカーフェイスの下で笑いながら、やりすぎたか、と少しだけ反省する。
 あくまでも少しだけ。
「君も、その友達みたいない盛大な結婚式に憧れる?」
「え? いえそれは別に。友達にはすごく羨ましがってる子がいたんですけど、私は、確かにとっ
ても豪華ですごく綺麗で、いいお式だったな、とは思うんですけど、もっとシンプルでもいいかな
って思うんです」
「例えば?」
「ええとですね、親しい人たちだけで集まってもらって、教会で神父様に式をしてもらって、その
後は集まってくれた人たちと、一緒にわいわいやれるホームパーティみたいのがやれたら、それで
十分だなあって」
「随分と、控えめだね」
 秋山に言われて、直はそうですか? と首を傾げた。
 彼女としてはそれでもう、十分だった。
 本当に小さくてもこじんまりした質素なものでも、全然構わないのだ。
 好きな人がいて、そして大切な人たちから祝ってもらえるのなら、それ以上の何を願う必要があ
るだろう。
「それに………お父さんに、出来たら私の花嫁姿を見せてあげたいな、って思うんです」
「………ああ」
 直の父親は、医師が驚くほどの頑張りをみせて無理だろうと思われていた正月を越えて今も、ど
うにか永らえていた。
 ただ、それもやはり限界が近く、いずれ遠からずその日が来るだろうとすでに告げられている。
 娘を持った父親の、ましてや一人手で育てあげた娘の行く末を案じる気持ちは、いかばかりか。
 こればかりは秋山には推測するよりないものだったが、少なくとも、この真っ直ぐに育った娘の
将来を心配する気持ちは他の親よりもきっと、大きいに違いないことは、窺えた。
「どうせなら、ホスピスに神父を呼んで、そこで式を挙げたらいいんじゃないのか?」
「え?」
「そうすれば、花嫁姿だけじゃなくて、式も見れるだろ」
「ああ、そうですね! でも、ホスピスでそんなこと出来るんでしょうか」
「やってみなきゃ分からないだろ」
「そ、そうですよね!」
 確かに、それならば身体の弱っている父親も、式に参加することが出来るだろう。
 そんな方法思いつくなんて、秋山さんって凄いなあ、と直は改めて思ってしまう。
「それから」
「はい?」
「それ」
 残ったバームクーヘンの欠片を一口で食べて、秋山はまだ半分ほど残っている直の皿を示し、
食べないの、と促した。
「あ、食べます食べます!」
 今やすっかり崩れてしまっているそれを、慌てて直はフォークで突いて口に運ぶ。
 やっぱり美味しいなあ、とそう思ったとき。
「今の君のリクエストで本当に構わないんだったら、なんとかなるけど。六月の花嫁は幸せになれ
るらしいから」
「へ?」
 食べかけていたバームクーヘンが、ぽろりと、フォークの先から落ちる。
 まん丸にして秋山を見る直の瞳に映る、秋山の顔には滅多にお目にはかかれそうもない柔らか
い笑みが浮かんでいて。
 その背後にはまるで謀ったように、六月のカレンダーがあって。
「………………ウェディングドレス、間に合うでしょうか」
「やってみないと、分からないだろ?」
「そ、そうですよね」
「で、それって」
「はい?」







「結婚してもいいってこと?」







「してもいいじゃなくて、したい、です」
「なるほど。それは俺も同意見だ」





 

 
                                        -End-



砂は吐いていいでしょうか。
こんなの秋山さんじゃないよなあ。どこの偽者捕まえてきたんだろう………
イメージは、どちらかといえば、原作よりなんですが、
発言の仕方がドラマよりな感じがしている秋山氏。
もっとこう、はっきりきっぱりドラマ版と漫画版の
区別をつけて書けるようになりたいです。
赤い夕陽のバカヤロー!(こら)

タイトルの「Something old, something new,」は
花嫁が身につけると幸せになれるとされている言い伝えを歌った唄の歌詞から。

Something old, something new,
Something borrowed, something blue,
And a sixpence in her shoe.
 
古いものに 新しいもの
借りたものに 青いもの
花嫁のくつには 6ペンス銀貨

「古いもの」は「過去」を、「新しいもの」は「未来」、「借りたもの」は「福を借りる」、
そして「青いもの」は「誠実」で、「靴の中の6ペンス」は「富」を意味するのだとか。

秋山氏がこれを実行したら、笑えますな。