■明日から吹く風
  
「じゃあ、お父さん。また明日来るね」
「気をつけてお帰り。おまえも忙しいだろうから、そう気を遣わなくてもいいんだよ」
「大丈夫、私もお父さんの顔みたいもん」
「そうか」
 良く似た笑顔を向け合う二人に、やはり親子なんだな、と秋山は少し離れた場所からその様子
を眺めて、思った。
 父親が末期癌だという話は、以前ちらりと聞いた事がある。
 それを物語るように、直の父親は癌患者に特有の痩せ細った身体をしていたが、その目には直
と同じく、いや、彼女以上に穏やかで優しい光があった。
 死を前にして。
 だからなのか、それとも何かを乗り越えてみせたからのものなのか。
 きっと大切に育ててきたのだろう娘を残していくことに、心の中では悲しい気持ちを抱えてい
るのであろうに。
 そしてなにより、自身の死を恐れてもいるだろうに。
 微塵もそんなものを、感じさせない。
「秋山さん、でしたかな」
 不意に名前を呼ばれて、はっと秋山は思い沈んでいた意識を引き戻した。
 顔を向ければ、直の向こうに彼女の父親が秋山の方へとに静かに微笑みかけている姿がある。
「………はい」
 名前を呼ばれたのだから、こう返すしかない。
「娘はご迷惑をお掛けしていませんか? この子はそそっかしいところがあるので」
「お父さん!」
「………まあ、それなりに」
「それなり、ですか」
 ははは、と笑う父親に、何で笑うの! と直が頬を膨らませて怒っている。
 しかし実際には秋山に対して迷惑どころの話ではないくらいに世話になっているだけに、直
はそれ以上は何も言えない。
「申し訳ありませんね」
「いえ、慣れました」
 慣れざるを得ないだろう。
 敗者復活戦といい、三回戦といい。
 秋山はどれほど直の真正直でお人よしで、そしてその優しさを見せ付けられたことか。
「しかし、どうかこの子のことをこれからもよろしくお願いしてもいいですかな? なにしろ
私はこの有様で、思うに任せないものですから」
「お父さん?」
 他意はないのだろう。 
 例えば友人であるとか、そう言った意味で、言っているのだと秋山はそう思った。
 いや、正しくは思おうとした。
 自分よりも遙かに年を重ねた老人の目に映るものが、どういった意味を持つものであるのか
が、秋山にも読み切れない。
 人の上に経った時間の長さが齎すものは、重いのだとこんなときに改めて知る。
「………出来る限りは」
「それで構いませんよ。ありがとう、秋山さん」
 自由にはならない身体で、それでも頭を下げてみせた直の父親は、お薬の時間ですよ、とや
ってきた看護士に連れられて病室へと戻っていった。
 遠ざかる後姿をじっと見つめていた直だったが、かつん、とリノリウムの床を蹴る音に、慌
てて振り返る。
 すれば、秋山が歩き出している背中が見えて、急いで踵を返した。
 そのまま何の会話もなく、二人は病院を出て広いゆったりとした作りの庭に出る。
 少し風が強いのか、直の長い髪が遊ばれて散らばった。
 それを直しているところに現れた小さな男の子が、他愛ない嘘で直をからかい、笑いながら
走り去っていく。
 秋山は、その様子をやはり少し離れた場所から眺めていたが、その顔には呆れたようなもの
を浮かべながらも、確かに暖かい何かがあった。
 本当に馬鹿正直で、何度騙されても懲りない頑固者。
 けれど、それが神崎直なんだな、と秋山はもう諦めの気持ちを持って、思う。
 それは苛立ちを呼ぶものではなくて、悔しいほど暖かいもの。
「馬鹿正直じゃ、いけませんか?」
 あの日と同じ言葉を、もう一度、直の口から聞いて。
 生まれたものはやはり呆れる気持ちであったが、はっきりと秋山は知る。
 その奥底に、まったく違う感情が灯っていることを。
 どうにも認めるにはまだ、色々と整理のつかないものはあることのだけれども。
「いいんじゃないのか」
 するりと、口から出たその言葉は、偽らざる本音だった。
 神崎直は、それでいいのだ。
 多分、その為にこの先も彼女の上には様々な火の粉が降りかかるとしても。
 彼女は変わらない。
 その火の粉を浴びてなお、自分の心に実直にあろうとするのだろう。
 だからこそ、そんな彼女に救われる者がいるのだろう。
 例えば、あのゲームを仕組んだ愚かな老人のように。
 例えば、あのゲームに巻き込まれてしまった連中のように。
 最後には金の為ならどんなことでもやる男をすら、自らの意志で自分ではなく、皆のために
動くことを選ばせたように。
 人を欺くことをなんとも思わなかった男に、人の言葉を信じるという選択をさせたように。
 そして、なによりも。
(俺に、あの男を、赦す力を)
 だから、彼女の上に降りかかる火の粉は俺が払ってやればいいのだ、と。
 秋山は思うその端で、多分彼女は、自分も一緒に、と言い出すだろう確信に近い予感もあっ
た。
 それならば、それでもいいじゃないかと、思う自分に。
 無意識のまま、秋山の口許には笑みが浮かぶ。
「いいんじゃないのか。別に」
 秋山に自分のことを認めてもらえたことが、よほど嬉しかったのだろう。
 直の顔には花が綻び咲き誇るような笑顔が広がっていく。
 正直でいたい、人を信じたい、みんなで幸せになりたい。
 そんな気持ちを何度も何度も裏切られては叩きのめされてきた、あのゲームは本当に辛くて
悲しくて、痛かったけれど、でも、と。
 笑顔を惜しむことなく咲かせたまま、直は小走りに先へ行ってしまった秋山の背中を追いか
けた。
 信じることは間違いではないんだと、皆が応えてくれて。
 皆が幸せになれる方法だって、ちゃんとあるんだと証明できて。
 そして、なによりも。
(秋山さんに、会えたから)
 歩幅の違う秋山に追いつくために、直はパタパタと急ぎ足で。
 それを知りながらも秋山は振り返ることなく、同じ速度で歩き続ける。
 けれどその顔には、今まで一度も見せたことのないような、穏やかで優しい笑顔がったこと
を。
 追いつくことが出来たとき、果たして直は見ることが出来るのだろうか。
 それとも、また秋山に見事に騙されてしまうのか。
 すべてはあと少し。
 彼女の手が伸びて、秋山の腕をそっと掴んで。
 そして、それから。


                                       -End-

ドラマ最終回ラストシーンからの捏造!
いや、なんかも色々あって、あり過ぎて
とりあえず、最終回がらみ捏造SS一発目です。
ふ………夜が明ける前にアップできたよ、神様!(っこら)