■金曜日は寄り道禁止
  
 穏やかな夜だった。
 いつものように大学での講義を終えた直が、秋山の家を訪ねたのは夕暮れ時の頃。
 病院での偶然のような必然のような再会を果たしてからというもの、金曜の夜にはいつも、直
が秋山のアパートを訪ねてくるのがきまりごとにようになっている。
 別にこれといった約束をしているわけでもなく、一応定職とは言い難いながらも仕事をしてい
る秋山がその時アパートに戻っていない可能性はまったくのゼロとはけして言えないのだが、今
のところ直が誰もいない部屋を訪れたことはない。
「俺がいないかもしれないって、思わないのか?」
「あ、そうですね。でも、いつも秋山さんいてくれるから、大丈夫かなーって」
 一度秋山が訊ねた、そんな風に直は応えてきた。
 おまけに。
「それに、もし秋山さんがいなくても、待ってればいいことですから」
 などと言われたからには、秋山が金曜の夜にいかなる用事も入れることが出来ようはずがない
だろう。
 こうして、真っ直ぐアパートに戻ると言う以外に。
 なにしろ初対面の時に、丸一日以上同じ場所に立ち続けて秋山が来るのを待っていたという経
歴があるのだ、彼女には。
 例えば秋山が土曜の朝になって戻らなくても、きっとアパートの前に立っているに違いない。
 もしかしたら、もうすぐ戻ってくるかもしれないし、などと思いつつ、時折道の向こうなどを
覗き見ては、その場から動かない彼女の姿が秋山には目に見えるようだった。
「まあ、いいけど」
「どうかしたんですか?」
「入れば?」
「あ、はい、お邪魔します」
 しかし、アパートの前で一夜明かしても待ち続ける直のことを案じるのであれば、最初から金
曜の夜に彼女がここを訪れることについて、明確なる約束を交わしておけばいいのだ、という実
に単純なことが、秋山の方もうっかりと失念していたらしい。
 あるいは、その約束をしてしまうことに、まだ踏み切れず無意識に気付かぬようにしているの
かもしれない。
 金曜の夜にやって来て、直はそのまま秋山のアパートに泊まっていく。
 遅くなってしまったから仕方がない、というのがその理由として常に掲げられるのだが、もし
彼女がやってくることが事前に約束されていたら、彼女が秋山のアパートに泊まっていくことま
でもが約束されたことになる、という事実を前にして、彼にしては珍しいことに、二の足を踏ん
でいるのかもしれなかった。
 それも、無自覚に。
 直も大概にして鈍感で天然なところがある、と人は言うが、秋山も恋愛に関してはかなり、人
並外れて鈍いというのか、不器用なところが目立つ。
 よって、周囲から見ればなんとも歯痒いカップルとなっていることを、知らぬは当の二人ばか
り、とうことになるわけだったが、知らぬが故に、進展への道程もかなり長いに違いない。
 そんな二人が、金曜の夜にまず最初にすることは、一緒に食事をすること、だった。
 勿論、直が自ら腕を揮って毎回秋山を吃驚させてやろうと頑張って作る料理を、一緒に。
 今日も今日とて、美味しそうな香りが漂ってくる中、今日買ってきたばかりの本に目を走らせ
ながらも秋山の顔には柔らかい笑みが浮かんでいる。
 何を彼女が作っているのか、それを想像でもしているかのように。
「あ、そうだ、秋山さん」
 不意の、呼びかけだった。
 なんだ? と、言葉はなかったが秋山は壁に寄りかかって読んでいた本から視線を上げて、台
所に立ったまま顔だけこちらに振り向かせている直を見上げれば、にこにこと笑う直の顔を見事
にかち合った。
「明日なんですけど、私フクナガさんのお店に行くことになったんです」
「フクナガの?」
 ゲーム三回戦が終わって、その後四回戦の開始通知が来ないままそろそろ二ヶ月近くになろう
としている。
 その間、四回戦はどんなゲームになるのか分からないが、とにかく皆で頑張って勝ち抜こう、
と団結した三回戦のメンバーたちは、互いに連絡を取り合っていた。
 だから勿論、その中にはフクナガも含まれていて、直とフクナガの間に交流があること、それ
自体はおかしな話ではない。
 ないのだが、突然なぜ、そんなことになったのか。
 疑問に思っていることを示すように、秋山が軽く首を右に倒し、左の眉を僅かに持ち上げてみ
せると、あ、と直は何かに気付いたように声を上げた。
「あのですね、今日、メール貰ったんですよ。ええとこれです!」
 直はバタバタと放り出していたバッグに近寄り、そこから自分の携帯を取り出しすとカチカチ
といくつかボタンを操作して目的のものを画面に呼び出すと、はい、と秋山に差し出した。
 そこには。
『ヤッホー、ナオちゃーん、元気してる? 俺は相変わらずかなあ。まあそれなりにやってるけ
ど、そっちはどう? アキヤマの奴とラブラブしてるわけ? あいつがどんな顔して君とよろし
くやってるのかチョー気になるんだけど、あ、これはあいつにはナイショね。で、本題なんだけ
どさ、明日の土曜、もし時間あるなら俺の店に来れないかな? 知ってると思うけど、俺ネイル
サロンで働いててさ、良かったらナオちゃんの爪、手入れさせてよ。モチロンただでいいよー。
ほら、ナオちゃんには色々ゲームでは世話になったしさ。ちょっとくらいお礼もしないとなあ、
って思ったワケ。時間あるようなら来てよ。じゃあね、チャオ!」
 秋山はおもわず目の前がチカチカしてしまった。
 無駄に絵文字が使われたそのメールの文面は、とても自分とそう年齢の変わるとも思えないあ
の男のものであるとは、思えない。
 いかにもらしいといってしまえばそれまでだが、それにしたってこれは。
 思わず瞼の上から目を押さえてしまった秋山から携帯を返してもらった直は、どうしたんです
か? といいたげに覗き込んでくる。
 気配でそれを感じて、なんでもないから、と軽く右手を上げて示すと目に当てていた手を外し
た。
「それで、そいつの店に行くわけか」
「はい。せっかく誘って戴いたんだし、それに、あれ以来フクナガさんとはメールのやりとりは
してても会ってなかったから久しぶりだし」
「ふーん」
「それに初めてなんですよ、ネイルサロンなんて行くの!」
 嬉しそうに話す直に、秋山はふ、と僅かながらの笑みを口の端に落としてしまう。
 おしゃれには女の子としてそれなりに気を使っている直だったが、流石に爪の手入れといった
ようなところにまで金ををかけるだけの余裕はないのか、あるいはそういう発想が彼女になかっ
たのか。 
 どちらにしても、とても嬉しそうであり楽しみにしているのであろうことは、一目で分かる。
「ただって言うのは、魅力的な言葉だな」
「でも、いいのかなあ。私、別にフクナガさんにそこまでしてもらえるようなこと、してないと
思うんですけど」
 秋山は僅かに瞠目し、そして苦笑を浮かべた。
 何もしていないと、本心からそう思って言っている彼女の、その天然ぶりはいかにも神崎直で
あることを示しているな、と思う。
 あのゲームの中で、『なにか』をしたのは彼女だけだ。
 何も持たずにたたその心だけで、必死に誰もが等しく勝利を得られるゲーム、その時点でもう
ゲームとは呼べないものではあったのかもしれないけれども、そうなるように何かをしたのは、
ただ一人、彼女だけだった。
 それを皆知っている。
 知らないのは恐らく、当の本人だけなのだろう。
「いいんじゃないのか? あいつには最後の最後まで騙されて大変だったんだしな」
 再び本へ視線を戻し、秋山はさらりとそう返した。
 そんな秋山に直は、うーん、と唸りながらも携帯をバッグに押し込み料理の続きをするために
台所に戻る。
 納得がいかないと語っているその背中をちらりとみて、ふと、秋山は問いかけていた。
「なあ」
「はい?」
「おまえさ、フクナガがおまえからヨコヤのカードを奪って検査ルームに逃げ込んだときのあれ
を、どう思ってるわけ?」
「ああ、あの時ですか? 吃驚しましたよ、勿論。だって、いきなりだったし、秋山さんがゴミ
箱蹴飛ばしてこのゲームは負けだ、なんて言うし………でも、フクナガさんって演技上手いです
よね。私すっかり騙されちゃいました。秋山さんや他のみんなもそうですよね。秋山さんまで騙
しちゃうなんて、凄いですよ。私には絶対真似できません」
「いや、しなくていいからさ」
「はい? なにか言いました?」
「なんでもない。ただ、やっぱり君はお人よしだなと思っただけ」
「そうですか?」
 そうだろう、と秋山は心の中でだけ呟いた。
 あの時のフクナガは、演技などではなかったことを、勿論秋山は知っている。
 少なくとも直の手からカードを奪い、検査ルームでヨコヤと結託していることを暴露してみせ
たにはまだ、確かにフクナガは直や水の国のメンバーを裏切っていたのだ。
 己の欲を取り他人を蹴落とすことを厭わない、何度も見せてきた彼の本質が改めて剥き出しに
された瞬間でもあり、直の素直な心をまたしても踏み躙ろうとした瞬間でもあった。
 だが。
 ヨコヤが声高に人の在り方の醜悪さや独善性、金と言うものを前にした時の変容を語り、直の
ことを論っていく様を耳にしていた時、そこに生まれた変化。
 モニター越しに見えたフクナガの、微妙な変化を秋山は見逃さなかった。
 彼の中でどんな思いが生まれ、何を考えたのか、そこまでは流石に秋山にも見抜くことはでき
なかったが、ある程度の予想は可能であったし、それはほぼ正確に的を衝いているだろうとも、
確信している。
 直が、ゲームの中で何度も何度も訴えていたこと。
 自分だけが、そう考えないで、みんなが幸せなれる方法を探そうとしていたその姿。
 敗者復活戦で、自分を騙し金を巻き上げ孤立させた張本人であるフクナガにすら一億円という大
金を迷いもなく渡してみせた時の笑顔。
 フクナガほどの狡猾な男に、最後の最後で己の良心に従い欲に打ち勝ち仲間のための行動を取る
ことを選ばせたのは、間違いなく直だった。
 彼女の頼りなく見えて、けれどけして揺るがなかった真正直な心根が、フクナガという男の本質
を揺るがしたのだろう。
 勿論だが、あれでフクナガが完全に真っ当な人間性を得たとは、秋山は思っていない。
 この先も何度も、あの男は他人を退けて己が利を得ることを選ぶに違いないとも。
 けれどその何処かで、最終的にあの男は完全な悪にもなり得ないだろうとも、思っていた。
 あの男の中に直が投げかけた柔らかい光が存在する限りは。
(俺のようにな)
 考えてみれば、あのゲームは直の一人勝ちだった、とも言えるのかもしれないな、とちらりと思
い、無欲の勝利とはよく言ったものだ、と苦笑を漏らす。
 金ではけして手に入れることの出来ないものを、あのゲームの中であの場にいた者たちは得た。
 彼女によってい齎された、それは類稀なる幸運だった。
 そして紛れもなく、その最たる恩恵を得たのは自分だと、秋山は思う。
 光に背を向け自分の前に伸びた影の中に潜む闇を見ていた彼に、頼りないながらも暖かい光でそ
っと秋山の顔を照らしてくれたのは、直だった。
 本当にそれは、得難い幸運だ。
「出来ました!」 
 お待たせしました〜、とひょっこりと顔を振り向かせていった直に、秋山は読んでいた本を閉じ
ると、テーブルの上を片付けて食器が並べられるようにする。
「今日はですね、八宝菜にしてみました」
「へえ、中華なんて珍しいな」
「色々と挑戦してみようと思ってるんです。一人暮らししてた頃はどうしても同じメニューの繰り
返しになっちゃってたんですけど、今は秋山さんが食べてくれるから、色んなもの作ってみたいな
ってそう思って。何かリクエストあったら言って下さいね!」
「ああ、ありがと。でも、毎週末うちで飯作るの、大変じゃないのか?」
「そんなことないですよ。寧ろ嬉しいです。だって、御飯って一緒に食べてくれる人がいると、す
っごく美味しくなじゃないですか! こうやって秋山さんと一緒に食べれるの、本当に嬉しいんで
すよ」
 そこまで言って、ああ、そうだ! と直が慌てた。
「で、でも秋山さんが迷惑なら………い、今さらですけど」
 確かに今さらだ。
 でも、と秋山は失笑しそうになるのを堪えて、言った。
「いや、俺も助かってるし、それに一人で食べるより二人で食べた方が美味いと思うよ」
「そうですか? あー、よかったぁ。あ、御飯よそいますね。お味噌汁はあさりです!」
 それこそ耳も尻尾も垂れ下がって項垂れる仔犬のような状態を想像させるような表情を覗かせた
直は、秋山の一言であっという間に浮上し、ニコニコと笑顔を振り撒いている。
 単純だな、と秋山はかすかに笑った。
 それはとても優しいもので。
「ところで、さっきの話だけどさ」
「どの話ですか?」
「フクナガの店」
 ああ、ネイルサロンですね、と直が言えば、秋山はそう、と頷いた。
「俺も行くから」
「秋山さんも? ネイルやって貰うんですか?!」
「んなわけないだろ」
 そこで、フクナガに会うために、という発想は生まれないのか、と突っ込み、これまでのことを
考えてみれば、秋山が自分からフクナガに会いに行くというのは在り得ない感じもうするよな、と
の結論に至って、言葉を継ぐ。
「俺も久々にあいつに会ってみたいだけだ」
「あ、そうかそうですよね。秋山さんだってあのゲーム以来になるんですもんね」
 なるほど、と納得してみせる直の素直さに、秋山は心中複雑だった。
 少なくとも秋山はフクナガに会いたいなどとは、微塵たりとも思ってなどいない。
 ただ、直一人であの男の所に行かせるのは、どうしても赦し難いものがあっただけだ。
 なんといっても、先ほどのメールの中には見過ごせない一文もあったことだし。
「じゃあ、明日は一緒にお出かけですね」
「そうだな」
「やったあ! デートみたいですね!」
 掴んでいた肉団子が、ぽとりと箸から落ちそうになるのをなんとか堪え、秋山はそれを口に放り
込む。
 デートみたい、と来たか。
 みたいってのはなんなんだ。
 些か肉団子相手にしては強すぎる咀嚼をしつつ、秋山は改めて心に決めた。
 これはやはり何が何でも、明日は直と一緒に出かけなくてはなるまい。
 フクナガの手八丁口八丁にやられて、直がどんな爆弾を投下するとも知れない以上、それを事前
に食い止めなくては秋山深一の名が廃る、とまで思っていのかどうかは分からないが。
 明日晴れるといいですね、と笑顔で言う直に、肉団子を飲み込んだ後で、そうだな、とだけ秋山
は応えた。





「………八宝菜にパイナップル?」
「あれ? 違いました?」
「………………………いや、まあ、別にいいんだけど」
 





                                       -End-


笑いのオチをつけてみました(おい)
パイナップル入れるなら、それは酢豚。
直ちゃん、どうやらごっちゃになってるご様子(笑)
ちなみにパインの代わりにりんごが入った酢豚を食べたことがあります。
酢豚にパインが入っているのはイヤって人、割といますよね。
私の周りにもいます。私は全然平気なんですが。

ドラマ最終回からの捏造その2。
それから二人はどーなった、シリーズです。
最終回でフクナガ氏の株ががっつん上がりましたよね、あれは。
なので、そのあたりを弄くるための、これは前哨戦です(笑)
頑張れ、キノコ!