■土曜日はデート予行演習 後
「はーい、お疲れ様でした〜」
「うわー、凄いです、フクナガさん!」
「どう? 気に入ってくれた?」
「はい! 嬉しいです、すっごく綺麗!」
両手を目の前に持っていき、すごーいですフクナガさん、と連呼したかと思うと、直は椅子か
ら飛び降りてソファーに腰掛けていた秋山に駆け寄った。
「見てください、秋山さん! 凄いですよね!?」
「………まあ、あいつもプロだし、当然なんじゃないのか?」
「それはそうですけど、でも凄いです!」
直の指は、確かに彼女のイメージによく合うデザインを施されていて、秋山もついうっかりと
凄いな、と同意してしまうところだったが、フクナガに対する敵愾心は健在で素直な評価を口に
はしない。
しかし、それでは直が落胆するのが見えている。
「秋山さん、気に入りませんか?」
予想通りに、しゅんとしてしまった直に秋山はくす、と小さく笑いを零すと、雑誌を脇にやっ
て直の両手を手に取った。
「秋山さん?」
「似合ってる」
「本当ですか!?」
「ああ。いいんじゃないのか? おまえらしくて」
そう言って、秋山は軽く掴んでいた直の手を持ち上げ左手の第二関節辺りに軽く唇を押し付け
る。
一瞬、驚いたように目を丸くした直は、かすかに頬を赤らめたものの嫌がる様子もなく、それ
どころか嬉しそうに微笑んで見せた。
「えへへ、ありがとうございます」
おいおい、そこで秋山がやったことに対するツッコミは無しなの? と背後から様子を窺って
いたフクナガが仕方がないので直の代わりに突っ込んでおく。
「ありがとうございました、フクナガさん! ええと、幾らですか?」
「いいよーいいよー。ほら、メールでも言ったけどさ、これ、お礼だから」
「私、フクナガさんにお礼をしてもらえるようなこと、しましたか?」
「そういうところ、ナオちゃんらしいよねー。ホント。ああ、でも今日はマジでいいから。もし
気に入ったらこれから贔屓にしてくれればいいってことで、先行投資ね」
「いいんですか? ありがとうございます、フクナガさん! 時々、遊びにきます!」
ぱあっと笑顔を咲かせて、直はそれこそ四十五度の角度に近いくらいに頭を下げる。
「よろしくねー、ナオちゃん」
そう言った後で、すいっとフクナガは直に耳打ちした。
「その時はさ、後ろのお兄さんも、連れてきなよ」
「秋山さんですか?」
「そ。面白いもの見れそうだからさー。っても、黙っててもナオちゃんの番犬よろしく、後ろに
くっ付いて来そうですけどー?」
「番犬?」
フクナガが何を言ってるのか分からなくて、直は首を傾げて頭の上にクエスチョンマークを山
のように飛ばしている。
それに気付いていながらフクナガは説明することなく、ついっと店の奥の方を示した。
「爪なんだけどさ、もうちょっと乾くまで待ってて欲しいんだよね。で、あっちに飲み物とか置
いてあるからさ、好きなのとってきて飲んでよ」
「いいんですか? やったー! 秋山さん、秋山さんの分も一緒に貰ってきます。何がいいです
か?」
「じゃあ、コーヒー」
「分かりました!」
ひらひらとスカートをひらめかせて店の奥に向かう直の背中を見やりながら、秋山は今日初め
てフクナガに向かって声をかけた。
「おい」
「ん〜? 何かな? ナオちゃんの保護者さん」
「必要ないだろうが、一応言っておく。あいつをまた騙そうとしたり、妙なちょっかいを出そう
とするのは止めておけ。後悔するぞ」
視線で人が殺せます、そいういう怪物がいましたね、とフクナガは底冷えしてしまいそうな秋
山の眼光にちょっとだけびびったが、それは渾身の力を込めて心の底に押し込んだ。
「やだなー。俺がナオちゃんに何かするわけないじゃーん? 三回戦で一緒に協力し合った仲じ
ゃないの、アキヤマ君ったらさー」
「おまえが」
ぴしゃり、と秋山はフクナガの台詞を切って落とした。
「あの三回戦のヨコヤと結託したかに思わせておいて、最後にヨコヤを裏切った、それであいつ
の望むような形でゲームが終わったのは事実だ。それは認める。けどな、それでおまえの人間性
が根底から覆ったとは、俺は思っていない。おまえがあの時、ヨコヤを裏切り返したのは言って
みれば、偶然に近いだろう。ヨコヤがベラベラとモニターに向かって言い放った言葉がなかった
ら、おまえは予定通りに行動したはずだ。億の金を得るために」
疑問形をとらない、断定の口調。
秋山の顔にはまったく表情がなかったが、それは冷たい色をしていた。
「………アキヤマ君ってさー、ナオちゃんと全然違うよねえ」
「おまえは、あいつのお陰で自分の良心ってものに初めて突き動かされたんだろう。何があって
も人を信じることを諦めないあいつの、真っ直ぐさに応えたいと思った、だからヨコヤを裏切っ
てみせたんだろうが、それは結局、神崎直という人間の存在があってこそのものだ。つまり、お
まえ自身の何かが多少変わったのだとしても」
そこで口を閉ざした秋山の、言葉の先に続いたのだろう台詞がフクナガには聞こえるようだっ
た。
自分自身でも、きっとそうなるだろうと、予測が出来ていたからだ。
神崎直のように生きるのは、難しい。
普通の人生を送っているだけでも難しいというのに、自分は少々世の中を冷めた目で見ている
分余計に難しい、というより、殆ど不可能だと、フクナガは自覚している。
人たればこそ、欲は限りなく、願いは果てしなく、そのための行動は多分に人を傷つけもし陥
れもするだろうと。
「ま、俺は所詮そういう人間ですからー。おまえだって、似たようなもんじゃないの〜? アキ
ヤマ君? ナオちゃんの前では隠してみせるんだろうけどさー」
「あいつが一生気付かないで済むなら、それもまた一つの真実だろ」
「うわ、やっだねーこの腹黒」
少し引いたフクナガに、ニヤリ、と秋山は含むものだらけで笑みをかすかに浮かべながら、言
い放った。
「少なくとも、おまえがあいつ心を裏切るのなら、どんな手を使っても排除してやるよ」
「やだやだ、やだねー。おまえが一番悪い奴じゃん、アキヤマ。そんな目で俺を見なくても、も
うナオちゃんを騙したりなんてしませんから〜。俺も命は惜しいんだよねえ」
そう言って、フクナガは両手の平を天井に向けるような仕種で肩を竦めてみせた。
「けど、気をつけた方がいいんじゃないの〜? ナオちゃんって、妙なところで勘が鋭い子だか
らさあ」
「おまえに言われなくても」
「あ、そ〜ですか。はいはい、そ〜ですよねえ」
不敵に笑う秋山は、やはりフクナガの知っている秋山だった。
絶対に敵に回してはいけない人間だ。
少なくとも、そんなつもりはフクナガにはもう微塵もないのだが。
「お待たせしました〜! 秋山さんはブラックでいいんですよね?」
「ああ、悪いな、ありがとう」
「どういたしまして! あ、ごめんなさい、お話の邪魔しちゃいました?」
ひょっこりと戻って来た直は、秋山にアイスコーヒーの入ったグラスを差し出したところで、
はっとしたように二人を交互に見て申し訳なさそうな表情になる。
「ああ、全然平気だよ〜。ちょっとした世間話だし、俺も仕事に戻るとこだったし」
「そうですか」
「あ、そうそう、さっき言ってたナオちゃんに似合いそうな服のあるお店、地図描いてあげるか
らさ。俺の名前出したら、ちょっと割引してもらえると思うよ〜」
「本当ですか!? うわ〜、嬉しいです」
「じゃ、ちょっと待っててよね〜」
ひらひらと手を振って離れていったフクナガにペコリと頭を下げると、直は秋山の隣に腰を下
ろした。
「秋山さん、フクナガさんと何のお話してたんですか?」
「あいつが言ってただろ、世間話」
「ニュースとか、そういうのですか?」
「ま、そんなとこ」
そうなんですか、とあっさり信じたらしい直は、自分の分として持ってきたミルクティーをス
トローで吸い上げる。
間違っても秋山とフクナガが世間話で盛り上がるなんて在り得ないだろう、とこの場に三回戦
において共に戦ったひろみや大野がいたのなら、絶対にそう言ったはずだ。
「あ、そうだ。これからどうしましょう、秋山さん」
なにが、と目線で秋山が問えば、直は困惑気味の顔でそれに応じる。
「あの、今日はフクナガさんのお店に来るっていう以外に全然予定とか決めてなくて」
「ああ、そういうこと」
「………もし秋山さん、この後で予定とかあるんだったら」
「別にないよ」
普段から、こうして休みの日に外出する理由は、直絡みのもの以外まったくないのだが、その
ことに直自身は気付いていないらしい。
「そうなんですか? じゃあ、ええと、良かったらお昼を一緒に食べて、それからですね」
「新宿御苑に行く?」
「ええ!? どうして分かったんですか、秋山さん!」
「さあね」
昨日、直が夢中になって読んでいた雑誌のページに、その情報が詳しく載っていたのを見たから
なのだが、秋山がそう言ってにやりと笑えば直はひたすら感心するばかりだ。
「すごいですね、秋山さんって。なんでも分かっちゃうんですもん」
その単純さが微笑ましいのだが、気をつけないとそれ故にこの娘はすぐに騙される。
秋山の神崎直限定のハザード検知機能は日々強化されていくが、それを当人は別に面倒だとは思
っていないどころか、それが日常になりつつあるのだから、どうにもこうにも。
「今頃はどんな花が咲いてるかは知らないよ、流石に」
「あ、それは私分かります! 昨日雑誌で読みましたから!」
その雑誌を、秋山も見たから直の思考を察するのは容易かったのだ、ということまでは気が回ら
ないのが彼女なのだろう。
そうしているところに、フクナガが再び手に紙切れを持って現れた。
紹介するという店の地図と、フクナガの名詞を渡されて、直はありがとうございます! とこれ
また四十五度の角度でお辞儀をする。
「じゃあね〜ナオちゃんと、アキヤマ君。またいつでも来てよ! 勿論俺を指名してよね〜。お安
くしちゃうからさ」
「はい、是非! 今日はありがとうございました!」
「いやー。こちらこそ、楽しいものを見せて貰ったし」
「はあ?」
出口まで見送ってくれたフクナガが言ったその言葉の意味が、直には分からない。
フクナガも教えるつもりなどなく、ただニコニコ笑いながら直と、そして秋山に視線を向けるだ
けだ。
「ああ、それからね、地図にちょっとプチ情報を書き加えておいたからさ、良かったら、ま、そこ
にも行ってみなよ。多分、すごく面白いと思うよ〜?」
「そうなんですか? わあ、なんだろ、ありがとうございます」
「気にしないでいいからさ。本当は俺もそこに付き合いたいトコなんだけど、そういうわけにもい
かないからねー。じゃ、またね、ナオちゃん」
「はい、失礼します」
ぺこっと頭を下げた直に軽く手を振って、フクナガは店の中に引っ込んでしまう。
そして、二人もまだ昼前なのにも関わらず人通りの多い道を並んで歩き出した。
雑踏はけしてはぐれるようなほどの込み合い方はしていなかったが、秋山が軽く示した腕に、直
は嬉しそうに笑ってそっと自分の腕をそれに絡める。
ふふ、と嬉しそうに笑う直に、秋山は何も言わなかった。
彼女が考えていることは、なんとなく想像が出来て、そしてそれを素直に言葉にされてしまった
ら、照れくさいのは自分だからと分かっていたからだろう。
「お花、たくさん咲いてるといいですね」
「そうだな」
きっと、お花も綺麗に咲いてますよね、お天気良くてよかったですね、と直がとても嬉しそうに
微笑みながら言えば、そうだなとだけ、応えるように少しだけ笑みを乗せて秋山は返した。
「そう言えば、フクナガさんが描いてくれたおまけってなんだろ。ええと、『K・E』?」
「………ちょっと見せてみな」
「はい。なんでしょう、『K・E』って」
「K・E、ねえ………」
「お店の名前でしょうか」
「………これが何かは分からなくても、君は行ってみたいんだろう?」
「はい。勿論です! だってフクナガさんがせっかく教えてくれたんですから」
「秋山さん、どうして頭を押さえてるんですか?」
「いや、あのさ今日、本当にキノコの料理にしてもらえるかな」
「………はい! 勿論です! そんなに好きなんですか?」
「あの料理は好きだけど、キノコは嫌いだな」
「え? でも食べたいんですよね?」
「とりあえず、磨り潰してやろうと思ってるだけ」
「え?」
「実際にやるときの、予行演習」
「はあ?」
-End-
ドラマ版のフクナガさんは、原作とは違った意味で、人生を送るにおいて
狡賢く渡っていける人だと思うんですよ。
損得勘定が上手いというか、利害の読みが早いと言うか。
でも、どこかちょっと抜けていて、時々失敗しちゃう(笑)
で、賢いから、秋山さんにはけして本気では牙を剥きません。
でも、悔しいから、直ちゃんを通して弄くり倒します。直ちゃんという盾がある限り
とりあえず安全は確保されるので(この辺がアザトイわけですよ)
さて、これは日曜日編へと続きます。
K・Eが何のことだか分かる方いるかな? 秋山さんは分かっているようですよ!