■If all the world were paper
  

 ぽつんと、一人きりになってしまうと、世界はとても広くて狭いものだった。
 夕焼けの投げかける鮮やか過ぎる真紅の光は、まるでもうすぐにでもこの世界は終わるのだと
教えているかのように、酷く美しい。
 ゆっくりと顔を上げて、その赤い世界へと目を向ければ、いつもの風景がある。
 この世界で、一番悲しいことってなにかしら。
 唐突に、そんなことを思ってしまったのは、終わりを告げるような光のせいだったろうか。
 少し前に見たテレビの番組で、もしも明日世界が終わると言われたら、あなたは何をしますか
と、そんな質問を掲げていたものがあったことを、ふ、と思い出す。
 好きなものをおなか一杯に食べる、好きな場所へ行ってみる、好きな人と一緒に過ごす。
 願いは人それぞれであったけれども、直はそれを見ていて、自分だったらと考えて、すぐにそ
れをやめてしまった。
 もしも、明日で世界が終わるとしたら?
 考えるだけで、悲しくなってしまう。
 やりたいことがあるとか、そんなわけではないけれど。
 死ぬのは怖いと思う、漠然と。
 期限の切られてしまっている父だって、まだ元気にいてくれている。
 読みかけの本はあるし、この前バーゲンで買った洋服もまだ袖を通していない。
 ささやかなものばかりでも、そのどれもが大切だった。
 もしも、明日で世界が終わってしまうとしたら?
「………会いたいなあ」
 最後の最後の願い。
 そこから先が真っ暗闇の孤独の旅になるのだとしても。
 最後にあの人の顔が見れたなら、きっと大丈夫な気がするのだ。
 なんの根拠もないものだったけれども。
「どうしてるかな、秋山さん」
 呟いて、がさがさと鞄の中から携帯電話を取り出した。
 たった一つ、自分と彼を繋ぐもの。
 とてもとても、細い頼りない繋がりだった。
 もしも彼が番号を変えてしまったのなら、新しい携帯の中に自分の番号を留めてくれなかった
のなら、そこであっさりと終わってしまう。
 何度も、何度も、それこそ相手が呆れるくらいに電話をかけたのは。
 まだ、繋がる可能性がきちんと残されていることを、確かめたかったからだ。
 たとえ出てくれることはなくても、自分の携帯と彼の携帯は繋がっていると、それが分かるだ
けで心の何処かで安堵している自分がいた。
 このまま会えないのかなあ、と思うと、切なくて喉の奥がツンとして、目の奥がじんわりと熱
くなる。
 たよりなくて、曖昧な関係だ。
 最後にその背中を見送ってから、一月にはなるだろう。
 その間にたったの一度も繋がらなかった電話。
 迷惑なのかな。
 でももしそうなら、着信拒否にすることだって出来るし、番号を変えてしまうことだってでき
るのに、それを秋山がしないとうことは、かけてもいいのだと、無理矢理そう解釈して履歴の一
番上にある番後を、押す。
 コールは十回。
 それで出てもらえないのなら諦めて切る。
 そしてそれを繰り返す。
「………会いたいです、秋山さん」
 繋がらない電話に、ただそれだけを願う。
 その姿は暮れなずみ始めたホスピスの待合所で、訪れる闇に溶け込むようにして。
 静かに、沈んで見えなくなっていった。






 鳴り止んだ携帯を手にして、ふ、と息を吐く。
 毎日、まるで規則正しいアラームのように鳴るそれを、ぽい、とベッドの上に放り捨てる。
 ちらりと見れば、窓の向こうは深い、まるで何かを彷彿とさせるような朱色の空があった。
 金色の背中を覗かせる雲がたなびくその上を、塗りつぶすような鮮やか過ぎる色。
 世界は、広くて狭いと、そんな風に感じるのは何故だろう。
 眩い赤の広がる空、訪れる夜を教える夕陽。
 世界の終焉だと、不意にそんなことを思ってしまった自分に、秋山は知らず苦い笑みをも
らす。
 ばさり、と広げた新聞は、この数日間のもの。
 世界の動向を知るのに、手っ取り早いのは新聞を読むことだ。
 こうして数種類の新聞に休日の間まとめて目を通すのは、彼の習慣だった。
 そんな中に、ふと普段は興味も持たない番組欄が目に入る。
 下段の一段を丸ごと使って、CMを出している番組があったらしい。
 放映日を知らせる日付は、とっくに過ぎ去った日にちを示していたが、秋山はその見出し
を見ただけで内容が凡そ予測がつき、ふ、と笑っていた。
 嘲るような、笑み。
 もしも、明日世界が終わるとしたら、あなたはどうしますか?
 馬鹿げている、と言葉なく、呟く。
 世界はいつだって簡単に、終わってみせるじゃないか。
 あの日、母が空に舞ったように。
 それはいつだって唐突に突きつけられるもので、事前に教えてもらえるものなどではない。
 明日終わるのは世界ではなく自分であっても、それもまた一つの世界の終わりだ。
 見方を変えれば同じことなのだ。
「あいつ、また馬鹿なことしてないだろうな」
 放り捨てた携帯をちらりと見て、秋山は呟いた。
 毎日毎日、同じ時間帯に規則正しく十回のコールをしてから切れる電話。
 そのことから、何か危険な目に合って、それで助けを求めてかけてきたものではないのだと
秋山には推測がついていた。
 だから、一度も出ていない。
 異常過ぎた日々は、終わった。
 彼女は彼女の世界に戻っていったのであり、自分は自分の世界にこうして戻っただけのこと
で、それは最初から分かっていた結末だ。
 繰り返し、繰り返し、鳴る携帯。 
 まるで、秋山さん、秋山さん、と呼びかけているようにも聞こえるそれ。
 それが面倒ならば、着信を拒否してしまえばいいのだ。
 他にこれといってこの携帯にかけてくる相手もないのだから、いっその事番号を変えてしま
えばそれで決着が着く。
 でもそれをしないのは、彼女がいつまた妙な事件に巻き込まれないともしれない、そう思う
からだ、と秋山は沈黙を守る携帯を見つめて、思う。
 それだけのことだ。
 他にどんな意味が、あるというだろう。
「いい加減、俺に頼らなくても一人でやっていけるようになれよ」
 その内、彼女は一人になるだろう。
 彼女の父親の命はそう長くはないと知っていた。
 母親は疾うに亡くなっていて、頼れるような親類もまるでいないと。
 だから、そんな彼女にとって、あの危険なゲームで力を貸してくれた自分は頼ることのでき
る僅かな人間の一人として、数えられているだけのこと。
 それだけの、ことだ。
 だから。
「本当に困ったことになったら、今度はちゃんと助けてやるよ」
 それは、自分が彼女によって救われたことへの、恩返しのようなものだ。
 静かに沈黙する携帯を見やり、秋山はもう新聞の文字を読むことは難しいほどに闇に侵食さ
れた部屋の中で、目を伏せる。
 その姿は、闇に紛れて消えていった。





 世界は、とても静かで穏やかな横顔を見せて、ゆるゆると夜を彷徨いだす。
 不確か過ぎる、それは深い霧の中を旅する舟のように。
 






                                          -End-


ちょっとシリアスな感じで。
ラスト最終回の、繋がらない電話一ヶ月(笑)という時間についての捏造です。
秋山さんは色々、葛藤していたんだろうなあ、と。
そこから出来たネタです。続きはあるようなないような(どっち)
ま、この後で、結局再会しちゃうんですけどね(笑)
タイトルは、マザーグーズで、私が特に好きな歌からです。


                 If all the world were paper 
                 もしも、世界がみんな 紙で出来ていたら
                 And all the sea were ink
                 そして、海がみんなインクだったなら
                 If all the trees were bread and cheese
                 もしも、木がみんな パンとチーズだったのなら
                 What should we have to drink?
                 いったい、何を飲んだらいいのだろう?

不思議な歌だなーって、初めて見た時から、気になっていたのです。
深読みすると色々弄くれる(笑)


この話で、秋山さんは直ちゃんに救ってもらえて、復讐には一応けりがついて、
というか、心の中彼がずっと持ち続けていたものに、整理がつけられたというか。
そういう状況で、自分を持て余しているとも言えるかな、とうい状態にあります。
自分を支えていたものが、ぽかーんと達磨落とし的に打ち抜かれちゃうと
困ると思うんですよね。
でも憎み続ける辛さ、それは間違いなく人を壊します。
秋山さんは直ちゃんの強さに、やっぱりハセガワさんの言うように救われたんでしょう。
でも、だからこそ、躊躇う気持ちも大きいんじゃないかなと。
不可蝕女神、みたいな感じですかね? それは言いすぎ?(笑)
憎悪の果てであんぐり口を開けている地獄の顎のその一歩手前に、
直ちゃんという花が咲いていてよかったねえと、思います。
その花を踏みにじってまで、最後の一歩は踏み出せなかったわけですから。
秋山さんは強くなれたわけですね。赦すってことを知って。