■真夜中の熱帯魚
  
 その姿が、闇の中にあったことに、気付いたのは多分俺だけだった。
 あやふやな人工の光の波が揺れる蒼い闇の中に、佇んでいたあの男に。
 記憶にあるものと大差もないように見えて、しかし印象は随分と変わっているようにも感じら
れる姿に、僅かに目を細める。
 向こうもどうやらこちらの存在に気づいているようで、人の波の向こうから視線を送っていた。
 皮肉なものだな、とそう感じたのは何故なのだろう。
 一年になるのか。
 思えば今の俺がこうして在るすべての発端となった、あの人の愚かさや醜さを炙り出し、そし
て同時にまた人の誠実さや優しさをも浮かび上がらせた、遊戯が行われてから。
 あの時、何度となく闇の底に転がり落ちそうになった俺は、けれど今、ここにこうして立って
いる。
 同じように闇の端から奈落の底に沈みかけた奴も、今、この夜の海の中に立っていて。
 そして、闇黒の獄炎に落ちることをも厭わずなんの躊躇いも持たなかった俺に、復讐の刃を振
り下ろすことを止めさせようと、俺が手にした刃をその小さな手で受け止めて自身が傷つくのを
厭いもせずに、ただ俺を助けたいと必死になってあの男を赦すことを願った彼女は今、俺の隣で
あの頃と変わることなく優しい笑顔を浮かべて立っている。
 一年になるのだ。
 それでも変わらない彼女と、彼女によって変わった俺と。
 この場に、あの男が姿をみせたことに、どんな配剤があったのか。
 人の身に過ぎない俺には分かりようもないが。
 奴の視線が見つめているものを追えば、俺の傍らで俺に細い腕を絡めて手に良く似合う白いブ
ーケを持った、白いワンピース姿の彼女へと続いた。
 本当は、あまり気が進まないものだったけれど。
 その目は、遠くからもそれが分かるほど穏やかな、ともすると切なそうなものがあることに気
づいてしまえば、わざと視界を遮ることだけは憚られた。
 こんな風に思えることも、すべては彼女のお陰なんだろう。
 そんな俺に気がついた彼女が、どうかしたのかと声をかけてくる。
 相変わらず、妙なところで勘がいい彼女に、顔を近づけてその耳元で囁いた。
 すれば、こうしたことには相変わらず慣れないらしくその顔を真っ赤にしてみせたくせに、ふわ
りとはにかむように笑顔を浮かべ少し背伸びをするように爪先立って、俺の耳元へお返しとばかり
に囁きかけてきたものだから、思わず、笑みを浮かべてしまった。
 なにやってるんだ、と俺たちを祝福するために集まってくれた連中から、揶揄するような声が
かかったが、それは軽く流す。 
 考えてみれば、不思議な縁だ。
 お互いに何の繋がりもない、ただあのゲームで戦ったという、それだけの、こうしてこんな時
間を共有していることの方が不可思議極まりない、関係性しかないはずなのに。
 一年が過ぎても途切れることのないまま続いたこの縁は、この先もずっと続いていくんだろう
と、漠然と思う。
 人を信じること、彼女の彼女たるものであるそれが、俺にまで伝染してしまったらしい。
 それが嫌だとは思わないが、些か厄介だとは思う。
 厄介だが、なんとかしていくだろう。
 この先の未来を、彼女と共にあることを選んだ時にそれは覚悟したことだ。
 むしろそのことが、誇らしくさえある。
 無意識に動いた手が、彼女の手を握り締めていた。
 指の一つ一つを絡めるように、ぎゅっと。
 すると、少しだけ驚いたように顔を上げて、けれどそこにすぐに甘く溶けてしまいそうな笑顔
を綻ばせてみせた彼女は、さながら銀色の光を帯びた熱帯魚のようだ。
 曖昧な夜の闇の海の中にも、耀きを放つしなやかな身体。
 泣き虫で、すぐに騙されて、散々に傷つけられても、けして諦めない瞳に浮かぶ強さ。
 その光に俺は救われて、あの男も救われた。
 そして、間違いもなく今、この場に立つ、あいつも。
 つい、と握り締めた手が引かれて、三次会だ、と浮かれた声を上げる連中に促されるようにし
て歩き出した彼女に逆らうことなく俺も歩き出す。
 背中を向けた奴のことは、もう、振り返らない。
 あれは、俺の過去で、そして生涯消えないもの。
 だが、それは未来を脅かすものではもう、ないのだ。
 過去は過去として其処にあり続けるだろう。
 彼女はきっとそれを黙って見守ってくれる。
 そしてただ、この手を取って促してくれるだろう。
 夜の向こうに続くこれからの日々に向けて。
 呼び止めたタクシーに乗り込みながら、最後に一度だけ視線を上げれば、そこにはただ揺れる人
工の光が生み出した色の波が寄せて返す夜のざわめく海。
 秋山さん、と呼びかけてきた声に小さく笑って彼女の隣に滑り込めば、閉じる扉。 
 そして車は滑るようにして夜の海を走り出した。
 偽りと真実を織り交ぜて封じ込めた、夜の海の向こうへ。

 




                                          -End-


真夜中の熱帯魚、秋山視点編でした。
ヨコヤンは自分のことを秋山が気づいてたとは、気付いてません。
そこいらでも、ちょいと差が(笑)
銀色の熱帯魚ってそんなんありかい、とか言っちゃいけませんよ。
本当は赤とかの方がインパクトはあるんですけれど
夜に浮かぶとしたら白とか銀の方が………
それに、真っ赤なドレスで未来を誓うイベントに赴くって!
いや、それもありですけど
直ちゃんにはやっぱり白がええかなあと。
えーと、これ直ちゃん視点もあったりします。
惜しむらくは、この秋山さん、ドラマ版と言うよりは原作版に近い。
でもドラマ版の秋山さんだって一年もたてばちったあ成長してるでしょうということで。
(さりげなく酷いこといっているよーな)

ちなみに………未来を誓っちゃうイベント、書いた方がいいでしょうかね?