■夏の夜 仄かに灯る 前 ※金曜日〜の設定とリンクしております。
自宅に帰りついた秋山は、鍵を回し扉を開けて中に入って、靴を脱ぎ玄関を上がったところで
その先の行動を、忘れた。
一日働いて疲れた身体をとりあえず休めるために、殆ど中身の入っていない軽い鞄を置き、着
替えを持って風呂場へ直行する。
後はそれだけのことだったはずなのだが。
今一度繰り返せば、それだけのことを綺麗さっぱりと、忘れてしまった秋山はその場に立った
ままじっとある一点を見つめていた。
「………………………」
けして広くはない秋山のアパートは、言葉を変えればワンルームに近い。
寝起きする以外の目的をほぼもたないのでそれで十分役目を果たしているのだが、近頃しょっ
ちゅうやってくる誰かさんがいるので、そろそろもう少しだけ広い所に引っ越すべきだろうか、
と悩んでいることを、その誰かさんは知るはずもなかった。
ともかく、そんな非常に見通しの良いアパートの室内であるから、玄関を上がり作りつけの小
さな冷蔵庫が置かれた台所や洗濯機と向かい合わせの風呂場の前を通り過ぎた先の、フローリン
グの居間も寝室も兼ねた部屋は玄関から丸見えだ。
そしてその隅に、それはあった。
ちんまりと、しかしやたらと存在を主張するようにして。
よくよくと思い返してみるのだが、やはりどこをどう探しても、秋山の記憶の中にはその物体
の正体を明らかにする情報は見当たらない。
つまり、それは彼の持ち物ではない、ということだ。
しかるに、よって必然の結果としてその物体の持ち主は、しょっちゅうこの部屋を強襲してく
る誰かさん、ということになる。
「いつ、持ってきたんだ? あいつ」
今日も、いつものように秋山が仕事をしている現場に顔を出して、一緒にお弁当を食べましょ
う! とニコニコしながら現れた彼女の手にしていた鞄は、肩から掛けるそれなりに容量はあり
そうだったが、少なくともこの物体が入るようなサイズのものではなかった。
弁当を食べ終えた後、彼女は、じゃあ、また後で、などと夕飯を作りに来ることを予言させる
台詞を残し帰っていったので、ああそうか、今日は金曜日だったか、などとそんなことを思った
秋山だったのだが、あの時点で彼女は少なくとも一端自分のアパートに戻ったはずだ。
そして、改めてこれを持ってこのアパートを訪れて、あれを残しまた出て行った、と考えるの
が一番妥当な線だろう。
見れば、彼女が少し前までいたことを証明するように、狭い台所では炊飯器が湯気を出してい
て、レンジに乗った鍋にはどうやら味噌汁か何かが出来上がっているらしい様子が見えた。
それらを放置して、さて当事者は何処へ行ったやら。
「しかし、何が入ってるんだ?」
持ち主に置き去りにされた、問題の、正体不明の物体。
随分と大きく見えるが、きっちりと風呂敷に包み込まれているので中身は見れない。
気にはなるが、人のものを勝手に開けて見るのも躊躇われた。
まあ、爆弾とか、そんな物騒なものではないだろう。
秋山はその物体と軽く五分ほど睨めっこした後で、そう結論付けてそれ以上の追求はしないこ
とに決めた。
どうせ、彼女は夕飯を作りに現れるのだから、その時にこっちから聞かなくても向こうからこ
の物体の説明をしてくれることだろう。
そこまで思考を巡らせたところで、秋山はくるりと不審な物体に背中を向けてようやく当初と
る予定であった行動に出た。
とにかく荷物を置いて、風呂に入る。
なんだか仕事での疲れよりも、この数分間でもっと疲れの方が勝っているような気がする、と
思いながら。
「あ、お仕事お疲れ様でした、秋山さん!」
シャワーを浴びて汗を流して、ひとまずさっぱり、という状態になり気分的にも人心地ついた
秋山が風呂場から出てみれば、問題の彼女、神崎直はいつものにこやかな笑顔をみせてそんな彼
を迎えた。
なんだか、この状況ってあれだよな、と思い、あれってなんだよ、と自分に突っ込み、そこで
一つ溜息を吐いてしまいながらも秋山は笑顔の相手に対応する。
「おまえ、そろそろ前期日程のテストなんじゃないのか?」
「はい、そうなんですよ。私最初の頃あんまり講義に出れなかったから、その遅れを取り戻すた
めに頑張ってるんですけど………でも、秋山さんが分からないところは教えてくださるので、す
ごく助かります。ありがとうございます!」
「………別に、たいしたことはしてないけど」
「そんなことないですよ! 秋山さんって本当に凄いんですもん。私も秋山さんの半分くらい頭
が良かったらなあっていつも思ってます」
「君の場合、頭がいい悪いの前に、うっかりミスをなくす方が先決だと思うけどね」
「うっ………」
「テストに名前書き忘れて、提出しちゃうタイプだろ、君」
「どうして知ってるんですか!?」
「………本当に、やったんだ」
ベタな例を挙げたつもりだったのだが、相手がそのベタなキャラであったことを思い出して、秋
山はここは笑うべきなのかどうか考え、結局そのまま流すことにした。
「で、今夜は何?」
「今日はですね、暑いので、秋山さんは体力もつけないといけないですから、そこのところを考え
て、チキン南蛮にしてみました!」
何処かで聞いたことがあるな、と考え、それがつい最近一緒に見た料理番組で紹介されたもので
あったことを思い出し、早速実践してみたのか、と結論に至る。
予想通りでもあり意外でもあったのだが、直は自炊の長さに見合うだけの料理の腕があった。
秋山の言うところの予想通りだったのは料理が得意であったことであり、意外であったのは、料
理を行うにあたって、粗忽な失敗を殆どしないことだったりするのだが、当人にそれを言ったこと
はない。
怒ってみせるのならまだしも、そうなんですよね、私も自分でよく失敗しないなあ、って不思議
なんです、なんて返されたらちょっとその場に倒れてしまいたくなるからだ。
とにかく、テレビを見ながらやけに几帳面に材料やら調理法やらをメモっているな、と思ってい
たのだが、それはここに帰結するものだったらしい。
「あとですね、ゴーヤを生姜と柚子ポンで和えてみたんですけど。これ、お酒のおつまみになるん
じゃないかなと思って」
ニコニコしながら、直は次々と手料理を食台の上に載せていく。
秋山がシャワーを浴びていた時間は、それほど長くない。
その間に、これだけ用意をしてみせたのだから、普段はおっとりしているけれども、これまた意
外になかなか料理の手際がよいのだろう。
「どうぞ」
「どうも」
ビールをグラスに注がれて、秋山は反射的に礼を述べる。
別に直接缶から飲んでもよかったのだが、と思ったところで、秋山は気付いた。
直がどうして、料理を途中で放置してアパートから姿を消したのか。
「ビール、買いに行ってたのか?」
「はい。冷蔵庫をみたら切れちゃってたの思い出して」
「別に、ないならないでも良かったんだけど」
「でも、楽しみにしてるのかな、と思って」
「………悪かったな、ありがとう」
「いえいえ、私が勝手にやったことですから!」
でも、その代わり土日は休肝日ですからね、とびしっと人差し指を立てて厳しい顔つきを作りな
がら言う直に、分かってる、と秋山は苦笑を交えて応じた。
この会話もどうなんだよ、と密かに自分への突っ込みは忘れずに。
そして一口ビールに口を付ける。
労働で汗を流した後のビールは美味いのか、それとも、彼女が買って来てくれたものだから美味
いのかなどと考えて、秋山は己の思考回路に速攻でアルコールが回ったのかと疑い、そして、黙っ
てグラスをテーブルの上に戻すことを選んだのだった。
-To be continued-
相変わらず、書いているうちに長くなるパターンです。
本題に全然入ってないんですけど、とりあえず、切ることにしました。
テーマは、他のサイトさんでやってないことをやってみよう!
………ってそういう試みばっかりやろうとして
大概失敗するんですけど………