■魅惑のコンビニ
「秋山さん、コンビニ、寄ってもいいですか? 明日の朝のパン、切れてたの忘れてました」
「いいけど、別に一日くらいパンが無くても」 
「良くありません!」 
「はいはい」
  ぴしゃりと言い切る直に、秋山もそれ以上の反論は試みたりしない。 
  家庭環境の成せる業か、直は年齢以上にそして普段の様子からは想像しにくいほど、こうし
衣食住に関わる面では主婦思考なのだ。 
  それがどういったものであれ、確固たる信念を持っている者に意見するのは、その信念が正
しいものであれば尚のこと無駄なものでしかない。 
 反論しようにも相手が正しいのでは、言い包めるには一手間かかる。
 秋山にとってそれはさしたる苦労ではなかったし、相手が直ならばさらに簡単至極なことだ
ったろうが、彼女の信念に口を出すつもりはなかった。
 彼女の身の安全に関わる問題でもなく、自分の身の安全(この場合、精神的な安全といった
方が正しいのかもしれないが)に関係ないのであれば、秋山の基本スタイルは常にそれを保っ
ている。
「食パンでいいですか?」
「ああ」
「じゃ、買ってきますね」
  いらっしゃいませー、とお約束の挨拶言葉に迎え入れられてひんやりとした空気の中に足を
踏み入れると、直はまっすぐに奥の方にあるパンのコーナーへ。 
  秋山は雑誌の置かれた場所へぶらりと足を向けたが、これというものは見当たらなかった。
 漫画には興味がないし、ファッション雑誌など以下同文で、テレビ情報誌など新聞で十分代
用が利く。
 目ぼしい物が見当たらないので、仕方なく秋山はその前を通り過ぎて店内を見るともなしに
見ながら見て回った。
  パンだけ、と言いながらも、コンビニにおいて直の買い物はそれだけで終わることはまずな
い。
 経験上それを良く知っている秋山は、時間を潰すために店内の様子を見て回ることにした。
 果たして今回、あいつはどんな商品にひっかかることやら、などと思いながら。
(まあ、あいつが単純すぎる、ってこともあるだろうけど、そればかりでもないよな)
  改めて見てみた店の様子に、秋山はふむ、と一つ頷く。
 客の購買欲を巧みに誘導することを意図したコンビニの商品の陳列手法は、どうしてなかな
か上手く人の心理をついて来るもんだな、と感心しながら通路を一つ通り抜けて曲がるとその
隣の通路には直の姿があった。
 パンを選んでいたんじゃなかったのか、と思ったが、その手にしているものを見て突っ込み
を入れる言葉は飲み込む。
 直の持っているカゴの中には、さっき言っていた通りに食パンが収まっており、なぜか数個
の菓子パンもちんまりと顔を揃えていた。
 これも秋山としては予測の範囲だ。
 直は菓子パンが取り立てて好きだというわけではないが、新しいものが出ていたりするとつ
いつい買ってしまうところがある。
 さらには、特に味が気に入るとそれを何日も続けて食べることもある。
 秋山は食に対するこだわりは殆どないが、だからと言って彼女のように同じもを食べ続ける
ということは出来ないので、ほとほとそれについては呆れてもいたし感心してもいた。
(あのメロンパン、美味しいって言って一昨日も食べてなかったか?)
 相変わらずだな、と思いつつ秋山はゆっくりとなにやら真剣な面持ちで陳列棚を眺めている
直の傍らに音もなく近寄った。
 何を真剣に見ているのやら、と思うまでもない。
 そこはお菓子コーナーで、当然だが直の手にあるものはその一つである。
「期間限定」
「わ!」
 いきなり耳元で低い声がして、直は飛び上がらんばかりに驚いた。
 いや、多分飛び上がっていた。
 床から三センチくらいは確実に。
「び、びっくりした。いきなり声かけないで下さいよ〜」
「別にそういうつもりはなかったんだけど、あんまり夢中になって見てるからさ。それ、新作
なわけ」
 秋山がそう言いながらひょいっと直の手からお菓子の箱を取り上げた。
「はい、そうなんです。美味しそうですよね」
「ふうん」
 季節限定、期間限定、直はこういった手合いの売り文句に弱い。 
 直に限らず日本人の多くはそうしたものに弱いのだが、直は特に弱かった。
「それ、秋山さんも好きでしたよね」
「けっこうクッキーの部分が美味いんだよな」
「私も好きです」
 秋山の手にあるものは、その同じシリーズの期間限定商品だ。
 直の表情からこれは買い決定だな、と判断を下した秋山は彼女が持っていたカゴにそれを放
り込み、そのカゴは直の手から秋山の手に移る。
「あ、これ、これも限定ですよ秋山さん」
「へえ、クリームチーズ風味ね」
「美味しそうじゃないですか?」
「そうだね」
 秋山が同意したので、これは買い、と今度は直は秋山の手が持つカゴに入れた。
 えへへ、と笑いながら見上げたところに、なにやら真剣な顔をした秋山の姿がある。
「どうしたんですか?」
「いや」
「あ、ポテトチップ! 秋山さん好きですよね。 ゆず黒胡椒………うわあ、美味しそう」
 買いましょう! と言って秋山が見つめていたそれを手に取ったついでに、隣に並んでいた
もう一つの限定のスナック菓子も取ってカゴへ。
「それも?」
「はい!」
 にこにこと笑いながら、直はもう一つお菓子を。
「秋山さん、これも大好きでしたよね」
「よく覚えてるね」
「はい! 秋山さんのことですから!」
 笑顔で無自覚。
 直らしい反応に秋山は苦笑するしかなかった。
 こうして直が見せるまっすぐな感情に、秋山はたびたびノックアウトされる。
 されるけれども、そこでやられっぱなしにはならないのが秋山でもあるのだ。
「じゃ、これもついでに」
「チョコですか?」
「期間限定、君の好きなイチゴ、それも木苺ミルクだってさ」
 パッケージはちょっと大人風な感じで、シックなイメージを持っているが可愛らしいイチゴ
の柄がなんとか秋山の隣に並ぶにふさわしい大人の女性になりたいと背伸びをしている直の姿
に似ている、なんて思ったことはもちろん内緒だ。
「お、美味しそうですね」
「君好きだろ」
「はい! でも秋山さんだって」
「好きだけどね。………よだれ」
「ええ?!」
「嘘」
 思わず口元に手を当てた直に、秋山は涼しい顔で表情も変えずにさらりと。
 酷いですよ、秋山さん、と恨めし気に見上げてくる顔には笑顔で返して。
「もういいのか?」
「あ、はい」
 いつの間にやら、カゴの中には当初の目的だったパンよりもお菓子の方が大きな顔していた。
 直の返事を聞いて、秋山はつかつかとレジに進むと、カゴを店員の前に出す。
「いらっしゃいませ」
 マニュアルどおりに挨拶をすると、一つ一つ商品の値段を口頭確認しバーコードスキャナで
ピ、ピ、と読み取っていくのを見やりながら、さりげなく、レジの前にこれもまた客の購買欲
をさりげなく触発するように置かれた小さな一口サイズの菓子を掴み、カゴへと入れた。
 少し離れて、化粧品コーナーで日焼け止め買わないといけないなあ、などと独り言を言いな
がら商品を眺めていた直は、もちろん気付かない。
「いくぞ」
「あ、はい」
 買った物が詰まったビニール袋を手にした秋山に呼ばれて、直は慌てて出口に向かった。
 外に出れば、むうっとした空気が全身を包む。
 日が落ち始めていても、まだまだ気温は落ちる気配もない。
「暑いですね〜………」
「夏だからな」
「そう言っちゃったら身も蓋もありません」
 ぐにゃりと顔を歪ませた直に、秋山はやれやれといわんばかりの顔になる。
「おまえ、暑さに弱いな」
「秋山さんて、平気そうですよね」
「平気じゃあないけど」
 そうは言うが、秋山が寒暖について文句を述べたところを直は見た覚えも聞いた覚えもない。
 いつも同じポーカーフェイスを見せているので、てっきり気温を感じていないのではないか、
とすら実は思っていたのだが、これについては黙っておいた。
「心頭滅却すれば火もまた凉し」
「………そんなの、普通の人間には無理です秋山さん」
「頑張れよ。家に戻るまでなんだから」
「はい」
 素直に返事をして、直はふう、と息を吐くと、秋山の隣に並んで歩き出した。
 昼の暑さの名残を湛えた夕暮れ時、太陽はそれをますます増徴させるかのように真っ赤な顔
でゆるりゆるりとビルが作った谷間の狭間に下りていく。
 長く伸びたシルエットが二人の斜め右に伸びて、当然のようにシンクロした動きをみせた。
「明日も暑いんでしょうか」
「だろうね」
「お昼、精のつくものにしますね!」
 確か冷蔵庫にはあれがあったし、冷凍庫にはあれが、と普段のぽよんとした雰囲気はどこへ
やら、しっかり主婦の顔が覗く。
 そんな直の横顔にくすりと笑って、秋山はごそごそと持っていたビニール袋の中から何かを
取り出した。
「あれ? 秋山さんそんなのいつ買ったんですか?」
 小さな正方形にも見える、チョコ。
 秋山の手の中にあるとちょっと不釣合いで、笑いを誘う。
「割りと手軽に食べれるし、種類も色々合って面白いよな」
「そうですね」
 頷いてから、直はくすくすと笑った。
「なに?」
「いえ、なんだか秋山さんとそのチョコ、あんまり意外な組み合わせだったから」
 つい、と言いかけた直の顔に、ふっと影がかかる。
 秋山さん?
 そう問いかけようとした声は残念ながら、音になる前に喉ので消えた。
「君が好きだって言うから、イチゴにしてみたけど、どう?」
「………………………味なんてわかりませんよ………」
「ふーん。じゃ、もう一個あるからもう一度試してみる?」
「じ、自分で食べます!」
 指先でくるりと小さなチョコを回してみせる秋山の手からそれを慌てて直は奪い取り、秋
山に妨害される前に、とばかりに大急ぎで包装紙を取ってひょいっと口の中に放り込んでみ
せる。
「そんなに慌てなくても」
「善は急げです!」
「うん、多分その使い方は間違ってるけど」
 言いたいことはなんとなく分かるよ、と言って、秋山は抑えたように喉の奥で笑った。
 それが非常に不満だったけれども秋山の指摘に対抗する手段は見つからず、直はぷうと膨
れた顔のままでチョコをころりと舌の上で転がす。
 今夜のメニュー、エビフライにしちゃおうかしら、と彼女がそんな物騒なことを考えてい
たことを、不機嫌さを表すように口を尖らせた横顔を見て楽しそうに笑っている秋山が知る
わけもなく。
 最終決戦は、恐らく今宵の晩餐に。
 蜩蝉がのんびりと、そんな二人を見送っていた。




 
                                                      -END-


発案の元は、ケイタイメールで日々秋直トークで暴走しているお友達との会話。
松田君と戸田ちゃんがコンビニお菓子をおいしそうに食べたらしい、という
ささやかなネタから、秋直の二人が一緒にコンビニでお菓子をあれこれ検分しながら
選んでいる姿って可愛いよねえ、となり、書いてみちゃった話。
ドラマ版なので、ついでだからとエビフライ活用。
原作の秋山さんには好き嫌いはないと思ってます。お母さんが作る料理にケチなんざ
つけたりするわけもない!
ええと、限定ものに弱いのは私自身です(笑)といってもコンビニなどではそれは発揮
されず、お茶を買うときに主に発揮されます。
でも、毎年2月頃に発売される産地限定カカオのチョコは、毎年なんとなく買ってし
まいます。仕事が激烈に忙しいシーズンなので、その息抜きに(笑)
秋山さんと直ちゃんは、わりと仲良くこうしたスナック菓子なんかを食べながら、
映画とか見てそうな気がします。
でも、食べ過ぎるってことはない気もします。直ちゃんも秋山さんも家庭環境から
考えると、自制してたんじゃないかしらんと。
で、まあ、反動のように、今は時々パクパクと。
ポッキーとかかっぱえびせんとか、けっこう好きかもなあ。なんて思うわけです。
………あれ、秋山さんって26だっけ、最低でも。まいっか。姉の旦那はいまだに
お菓子もチョコも大好きだし!(笑)