月見て跳ねる 1
 夜空を照らす月が一年で一番丸く満ちる日を祝うのは古くからの習わしだが、そ うした慣習が何時生まれ、どんな意味を持っているのかはあまりはっきりとした記 述も残っておらず、当然知る者もない。  だが、中秋の名月を愛でるその風習は廃れることなく今も続いている。 「ナルト」  その月見の夜まであと一週間、と言う日に、いつもの早くに任務が終わった時に は必ず行なっている自主的な修業を終えたナルトは、それに付き合って同じく修業 を積んでいるサスケに帰る支度をしているところで声をかけられた。 「なんだってばよ? サスケ」 「おまえ、来週の今日、暇か?」 「来週の? うーん、任務があるかもしれないからなー」 「ウスラトンカチ、おまえに任務があるなら俺にもあるだろうが」  サスケの言いようにナルトはむうっと頬を膨らませて、不機嫌な顔になる。 「ウスラトンカチじゃねーってばよ! だったら聞かなくてもわかってんじゃん」 「だから、昼間じゃなくて夜だ、夜! それぐらい気づけ」 「五月蝿いってばよ! 先にそう言えってば。だいたい、夜暇だったらなんだって んだってばよ」 「………」  ナルトに突っ込まれて、サスケは突然押し黙ってしまった。  表情こそ辛うじていつものポーカーフェイスを保っているが、どことなく落ち付 きのない所作を見せているのは、けして浅くはない付き合いをしているだけにサス ケにドベと評されるナルトにも分かる。  おかげで、自分が怒っていたことも忘れてナルトは首を傾げてしまった。  いつでも言いたい事はずばずばと言って、それこそ上手く言葉を見つけられない ナルトにしてみたら口惜しいほどだというのに、今日のサスケはなんだかおかしい。  どうしたんだろうか、とナルトが更に首を傾げてあさってに視線を投げているサ スケの顔をよく見ようとした時だった。 「月見、しねえか」 「は?」 「だから、一週間後の今日は、丁度満月で月見だろーが。だから、もし、おまえに 他に用事がねーなら」 「月見ってあれだろ、お団子お供えしてさ、栗とか食べるんだろ? 俺やったこと ないってばよ!」  嬉しそうにぱあっと顔を明るくしたナルトは、頭の中にそれらのものを思い浮か べているのだろうことが一目で分かる。  思わずサスケは苦笑してしまった。 「俺の家からだと、丁度綺麗に月が見えるはずだ。どうする?」 「サスケんちでお月見するのか? ふーん、いいかもな」  昔に比べれば多少はマシになったけれど、やはり人ごみと言うものをナルトは苦 手にしている。  実際に里人からあからさまであろうとなかろうと、迫害めいた態度や冷たい視線 を向けられることはなくとも、幼い頃から積み重ねられてしまった経験が自然とナ ルトをそうした場所から引き離してしまうのだ。  それに気づいていたのかどうか、サスケの誘いはある意味ナルトにとって非常に ありがたいものでもあった。 「なあ、団子はどーするんだってばよ?」 「ちゃんと用意してやるよ」 「やったね、ラッキー!」  まるでその団子を今食べているかのように、ナルトは嬉しそうに顔を綻ばせて喜 ぶ。  それを見てサスケも相貌を和らげた。  他人には非常に分かりにくい微妙過ぎる変化ではあったが、それがナルトには分 かったのだろう。  ちょっと驚いたような顔を見せながら歩き出したサスケに急いで追い付いて、並 んで歩く。 (サスケ、もしかして気を遣ってくれたんかなあ?)  ナルトが人ごみを苦手とする理由を勿論サスケは知るまいが、これだけ毎日殆ど 一緒に過ごしていれば理由はどうあれそうしたものをサスケが気づかぬわけもない。 「晴れるといいなー」 「どうだろうな」 「なんだよ、せっかくお月様見るんだからさ、晴れてる方がいいじゃんか」 「天気ばっかりはどうしようもないだろ」 「そうだけどさー」  いつもと変わらない口喧嘩をしながら、それでも二人は月の淡い光に照らされた 地面に影を並べて家路を辿った。  なんとなく、晴れそうな気がする。  口には出さなかったが、ナルトはふと見上げた空の月と、そして隣を歩くサスケ の顔を見て、思った。         サスケとの約束は誰にも内緒だった。  女の子達に知られたら面倒なことになる、と言う理由は些か腹立たしくはあった が事実でもあり、サスケの言葉にナルトもぶつぶつと文句を言いながらも素直に応 じた。  本当は、イルカやカカシに自慢したかったのが、本音だ。  特にイルカは自分のことを色々気にかけてくれているから、同じスリーマンセル の仲間と上手くやっているのだと教えられたら、それだけできっと安心してくれる と思うけれども、仕方がない。 「へへ、早く来ないかな〜」  ナルトはカレンダーに大きく印しを付けた満月の日の上に指を押し当てる。  今までお月見なんてしたことなど、一度だってなかった。  そもそもそうした日がある事さえナルトは知らなかったほどなのだから当然だろ う。 「サスケんちって、あの古いお屋敷かと思ったってばよ」  てっきり、あそこの庭なら確かによく月も見えそうだなあと思ったのに、意外に もサスケが指定した場所は今サスケが一人ですんでいるアパートだった。  少し前までは屋敷の方に暮らしていたらしいのだが、アカデミーを卒業して下忍 としての生活が始まった頃からその管理を火影に任せて自身はナルトとそう変わら ないアパートに居を移したのだと言う。  詳しく理由を聞いたわけではないが、広過ぎる家を管理するのはやはりまだ子供 のサスケには難しく、これで更に下忍としての任務にあたる日常が始まればもっと 家のことにまで気を回していられなくなることは明白だったので、早々に自分で管 理する事を諦めてしまったらしい。  実際、ナルトもサスケの実家を目にしたことがあるので、その言い分には納得せ ざるを得なかった。  あの広さは、いささか反則的なものがある。  一人ぼっちで暮らすには、ちょっと………いや、かなり寂しいに違いない。  ナルトは自分の小さなアパートをぐるっと見まわして思った。  台所を兼ねた小さな食事をする部屋と、寝起きしている部屋以外にはトイレと風 呂しかない狭い我家ではあるが、溢れ帰る緑と無造作に散らばった巻物や服などが 逆に生活感をそこに与えている。 (あんなでかかったら、寒い部屋ばっかになるってばよ)  寒さには弱くはないナルトではあるが、それは気温や温度のものではなくて、な んとなく心の何処かが寂しくなるような感じがして嫌だった。 「団子はサスケが用意してくれるんだから、やっぱ俺もなんか用意した方がいいの かな〜?」  一応、およばれだし。 (へへ)   スリーマンセルで一緒に過ごすようになって、ナルトはサスケがそれまで思って いたような人間ではなく、意外なくらい優しくて面倒見が良くて、そして口は悪い が暖かい人間だと言うことも分かってきた。  ついつい喧嘩になることもあるけれど(と言うよりも、サスケとナルトの会話の 大半は口喧嘩に近かった)、それはけして嫌なものではなかったし。  と、言うか。  実際、ナルトはサスケに一度告白、めいたことをされたことがあったりするのだ。  はっきりと明確に『好きだ』とか言われたわけではないが、でもなんとなくそん な雰囲気で、そんな感じのことを言われて。  その時ナルトははっきりした事を応えたわけでもなかったし、サスケも敢えてそ れを求めたわけでもなかったので、そのまま保留と言うのか有耶無耶と言うのか… ……もっともサスケ自身が明確な言葉で言わなかったのだから応えを期待していな かったのかもしれない。  ただ、その時以来ナルトとサスケは一緒に早朝の自主練をするようになったし、 時間が空いた時の任務あとの修業も一緒にするようになった。  休みの日になんとなくお互いの家を行き来して、修業したり勉強したり(勉強を 教えてもらっているとも言えるのだが、これをナルトはけして認めなかった)して 過ごしている。  その時間はどこか温かくて、例え喧嘩になっても嫌な感じはなかったし、時間が 経てばさほどもかからずに何もなかったかのようにいつもの二人に戻っていた。  これって、あれなんだろうか。  つまりはサスケが……… 「よくわかんねーってばよ」  かすかに赤くなった頬をパン! と思い切り良く叩いて、ナルトはベッドにボス ン、と倒れ込んだ。  窓の向こうには、あと少しで新円を描く月。  柔らかいその光を見つめるナルトの顔に、柔らかい笑みが浮かぶ。  やがて小さく寝息が聞こえてきて、小さなアパートの主は静かに眠りに落ちて行 った。  もうすぐ訪れる十五夜の夜を心待ちにしながら。  その日は、ナルトの願いが届いたかのように朝から良く晴れていた。  雲一つなく、初秋の頃の暑くも寒くもない過ごし易い朝を迎えて、ナルトは窓を 豪快に開けると嬉しげな笑顔を惜しげもなく振り撒いて青空に向かい両手を伸ばす。 「いいお天気だってばよー!」  今夜は絶対いいお月見が出来るってばよ!  ワクワクする心を抑えて、ナルトは額当てを掴むと元気良く家を飛び出した。  そのまま階段を駆け下りそうになって、はっと踵を返し首から下げた鍵を取り出 しドアを締める。  前にここに来たサスケが、無用心にも程があると頭ごなしに怒り、強引に鍵を付 けさせて以来、ナルトは面倒だ面倒だと言いながらも律儀にその鍵を締めてから家 を出るようになった。  サスケの口は悪くても自分のことを心配してくれているからなのだと、分かるか らだ。 (へっへー)  服の下で揺れる鍵になんとなく嬉しくなりながら、ナルトはサスケの家に向かっ て走り出した。  今日は任務がない。  十五夜だからと言うのではないが、偶然にもカカシの都合で休みとなったのだ。  お月見は夜からだからこんなに早く行く必要はないけれど、じっとしていられな かったナルトは朝ご飯もそこそこにサスケの家に向かう。  商店街もまだ人もまばらで、買い物に来ている人もパラパラとしかいない。  ナルトはいつもなら人でごったかえしている通りを、我が物顔で走る。  普段なら遠慮してしまうけれど、こんなに人がいないなら大丈夫だ。 (えーっと、サスケの家は………)  そう思ったナルトの視界に、見慣れた黒い姿が入った。 「あ」  慌てて顔を返すと、やはりそこにいたのは。 「サスケ!」 「………ナルト?」  今まさに向かわんとしていた家の主が、何故か知らないが数少ない買い物客に紛 れて通りを歩いているではないか。 「おまえどうしたんだってばよ」 「てめぇこそ、なにやってるんだ」 「なにって、おまえんち行こうとしてたとこだってばよ」 「こんなに早くから?」 「いーじゃんか! 別に夜になったらじゃなくてもさ。それに休みの日は修業とか 一緒にしてたんだから、同じだろ。お月見まで修業しようぜ」  えへへ、と照れたように笑うナルトに、サスケも笑みをかすかに覗かせた。  怒りは露わにすることはあっても、喜びやそこから派生する笑顔などまず滅多に 人前で見せないサスケにしてみれば、これはかなり珍しいことだ。 「そんでさ、サスケは何してたんだってばよ」 「俺は………」  サスケが、説明をしようとした時だった。  ナルトの視線がサスケを通り越してその後へと流れた。  これにサスケが気づかぬわけもなく、言葉を途中で止めて黙る。  誰をナルトが見つけたのか、浮かんだ笑顔がサスケに教えていた。 「イルカ先生!」  予想に違わぬ名を呼んで、ナルトが勢い良くその方へと駆けてゆく。 「ナルト、おめー任務はどうしたんだ?」 「今日は休みだってばよ!」 「そうだったのか」  サスケは、どこかぎこちない動きで振り返った。  そこに飛び付いたナルトを抱き止めているイルカを見て、かすかに目を細め唇を 噛む。 「先生こそどうしたんだってばよ」 「ああ、火影様に頼まれて、月見団子を取りに来たんだ」 「じーちゃんに?」 「お孫さんとお月見をするらしいぞ」 「木の葉丸とかー」  いつもならここで羨ましいなあと思う所だが、今年は違うもんね! とナルトは 笑みを浮かべた。  そんなナルトにイルカは不思議そうな顔を覗かせつつも、笑みを返す。 「そうだ、今日、休みなら、ナルト、サスケ、せっかくだからサクラや、それに都 合がついたらカカシ先生も呼んで一緒にお月見をしないか? まあ団子食べながら 月を眺める位のもんだがな」 「え? ホント?! イルカ先生」 「ああ、予定がないなら、だが、どうだ?」  イルカの突然の提案に、ナルトはぱあっと表情を明るくした。  サスケと一緒にお月見をする約束はしていたが、どうせならサクラやカカシが一 緒の方が楽しいだろう、とナルトは思う。  人と関わるのは余り好きではないサスケも、サクラやカカシとはスリーマンセル と言うことを抜きにしてもけっこういい関係を保っているのだし。 「行く行く行くってばよ! やったあ皆でお月見できるんだ〜」 「おい、ナルト」  一人盛り上がるナルトに、ぴくり、とサスケの眉が動く。  サスケが不機嫌な顔をしているのは珍しいことでもなく、アカデミー時代から見 慣れていたイルカはそれに対して特に何を思う事もなく同じ笑顔をそんなサスケに も向けた。 「どうだ? せっかくだからサスケも来ないか?」 「勿論、一緒に行く………」 「せっかくですが、用があるので、遠慮します」 「サスケ?!」  にべもない返答には、色も熱もなかった。  事務的ですらない、まるで機械音のようにも聞こえる声にナルトは驚きの声を上 げ、イルカは苦笑を漏らした。 「そうかー、残念だが仕方ないな」 「すみません」  それでも礼儀というものを人並み以上に身につけているサスケは、かつての恩師 であり下忍と中忍という関係、年齢の上下を重んじてか頭を軽く下げる。  しかしそれはどう見ても慇懃無礼と呼ばれる類のものであり、それが分かってし まったイルカだったが敢えて何も言わずに踵を返して歩いて行く背中を送った。  しかし、これに慌てたのはナルトだ。  まさか誘いを断るとは思っていなかったから、その背中を目を丸くして見つめて いる。 「先生、俺も一回サスケ誘ってくるってばよ」 「おいナルト、サスケは用があるんだから無理に誘うのはやめとけよ?」 「だって、あいつ用事なんてないってばよ!」 「ナルト?」  どう言うことだ? と言う言外の質問は、軽くナルトに聞き流された。 「先生集合場所どこ?」 「アカデミーの正門前はどうだ? 六時頃にでも」 「オッケー分かった! 絶対サスケと一緒に行くからな〜!」  手をブンブンと振りながら、ナルトはもう姿も見えないサスケの後を追い掛けて 走っていってしまう。  やれやれ、相変わらず落ち着きのない奴だなあ、と思いながら、イルカも本来の 目的を思い出して火影御用達の和菓子屋に向かった。  まさか自分の提案が、大きな問題を生み出す原因になろとは、この時はまだ知る 由もないイルカの足取りは軽い。  十五夜の月が空に昇る夜までに、あと数時間となった朝のことだった。                                 02.09.21  

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時間の関係で前後編に。 お月見終わった後に後編をアップすると言う暴挙に出ます………