月見て跳ねる 2
「サスケ!」  追い付いた背中にナルトは力いっぱい声をかけたが、返る声は無い。  それどころか、ナルトの声など聞こえていないかのようにどんどん歩いていって しまうではないか。 「おいってば! 聞こえてるくせに無視すんなってばよ!」  精一杯の怒鳴り声で、周囲の視線も気にする所ではなくてナルトはサスケを呼ぶ。  それでも何も反応を示さないサスケに、ついに頭にきたナルトは我慢ができなく なってその前に走り込んで行く手を遮った。 「てめーなあ!」 「何か用かよ」  やっと返事らしいものをしたと思えば、この台詞。  挙句に睨みつけるような、突き放すような、冷たい目。  ナルトはますます腹が立ってきた。 「なんだよ! せっかく先生が皆で一緒にお月見しようって言ってくれたのに、あ の態度はないだろ! サクラちゃんとかカカシ先生とかさ、同じチームの皆でお月見したら楽しいにきま ってんじゃん、どうせおまえだって本当は用事なんかないんだから、一緒に行こう ぜ。な!」 「勝手に人の都合を決めんじゃねぇよ。用があるって言っただろうが。てめぇの耳 は飾りか?」 「嘘吐け! 用事が無いから俺に一緒にお月見しようって誘ったんだろ? サクラ ちゃんとかと一緒にやった方がずっと楽しいに決まってんのに、なんで嘘吐いて断 わるんだってばよ」 「てめえの意見を他人にまで押し付けてんじゃねえよ、このウスラトンカチ」 「な………」  色のない声は、いっそ機械のようだった。 「皆で一緒にだ? やりたきゃ勝手にやれよ。ふん、おまえが誰にも相手にされな いで可哀想だと思ったから俺が誘ってやっただけだ。でもよかったな、俺以外にも 物好きがいて。一緒に付き合ってくれる奴がいるんだから俺はもういいだろう」 「ふ、ふざけんな! 誰が可哀想なんだってばよ!」 「うるせえな、ぎゃんぎゃん騒いでねえで、とっとと大好きなイルカ先生の所にで も戻ればいいだろ」 「言われなくても戻るってばよ! サスケの馬鹿野郎!」  大声で怒鳴りつけて、ナルトは真っ赤になった顔でサスケを睨みつけるとくるっ と踵を返してもと来た道を最大限のスピードで戻って行ってしまう。  とにかく言われた言葉があまりにも傲慢で、ナルトは腹が立って腹が立って仕方 なかったのだ。  同情されるなど真っ平ご免だった。  ましてやそれが同じチームのメンバーでありライバルだと思っている相手ならば、 尚更だ。  サスケの見せた小馬鹿にしたような表情が、腹立たしく許しがたく、とにかくも う一秒だってあの場所にいたくなどなかった。  好き好んで喧嘩などしようと思っているわけではないけれど、それでもぶつかっ てしまう場面が多いのは性格の違いと言うこともあったろう。   でも今日は、そんな可愛いものではなかった。  あんな風に貶められるようなもの言いをするような奴ではなかたのに。 (いったい、何なんだってばよ………)  月見に誘ってくれて、嬉しかったのに。  何故あんな風に、突然冷たいことを言うのだろう。  最初の頃は本当に喧嘩ばっかりで仲なんて良いどころか最悪だったけれど、色々 あってお互いに分かり合える部分が増えて、いい関係、と言えるかどうか分からな いがそう言う雰囲気を持てるようになった。  それに、サスケは俺のこと好きだって、はっきりとじゃないけど、そう、言った のに。 (訳わかんないってばよ)  歩きながら少しずつ冷静さを取り戻して、ナルトはうう、と唸った。  サスケの冷たい目の、その奥に何かを見たように思えたのは気のせいだったのだ ろうか。  ちらっと振り返ったナルトだったが、もうそこにはサスケの姿はない。  一瞬、ナルトは躊躇うように足を止めた。  このままにしてしまっていいのだろうか、と思わないでもないけれど。  だが明確なものが何もないままではそれ以上どうすることもできず、しばし考え あぐねた後で、ナルトはイルカと別れた場所へ向かって走り出す。  ほんの少しだけ心のどこかにモヤモヤとしたものを感じたまま。  十五夜の夜に空が晴れ渡ることは、あまりない。  どうしても雲が広がって、月が見えたとしても雲に邪魔されることが多いのだ。  しかし、今夜は綺麗に雲を掃き清めたかのように夜空は星が零れんばかりに輝い て、そしてその中でも一際主役たる月がはっきりとその姿を闇に浮かび上がらせて いた。 (………………ち………)  サスケはごろりと床の上に寝転がっていた身体を反転させて、その月から視線を 逸らす。  けれども窓の向こうから柔らかい光を地上へと齎す月を、完全に視界から消すこ となどできない。 「いい月夜じゃねぇか」  サスケは吐き出す様にそう言って目を伏せた。  脳裏には同じ月を見上げて笑っているのだろう誰かの姿が浮かぶ。  くだらないと、サスケは更に強く瞼を閉じる。  だが月の光はそんな思いとは裏腹に、一層強く閉じられた瞼の奥へとその手を延 ばしてきた。  苛々する。  その理由が分かるような分からないような、ただ、苛々した。 (………)  どれくらいそうしていただろうか。  ふと目を開けたサスケは、机の上に放り出したままになっていた包みをじっと見 つめた。  ゆっくりと延ばした手でそれを取り、無意識のうちに包みを掴んだ手を思い切り 持ち上げる。  壁に向かって、投げ付ける、つもりだった。  確かに振り上げた手はそのつもりだったし、そうすれば少しは気が紛れるかとも 思った。  けれど指を離しかけた瞬間、サスケはそんな事をしたところでなんの意味もない と気付いて、ゆっくりと包みを机の上に戻す。 (馬鹿みてぇ………)  慣れない事をするもんじゃない、サスケはそう小さく呟いた。  ナルトが一人で、月見と言うあまりにも誰でも知っているような事をよく知りも しないでこんなによく晴れた晩に過ごすのがなんだか放っておけなくて、柄にもな いことをしようとしたから失敗したのだ。  放っておいた所で別に構わなかったのに。 (あいつにはイルカ先生がいたじゃねぇか)  ナルトのことが気になり始めたのはいつだったか。  どんな時も笑ってみせるその姿が滑稽に思えたこともあったけれど、同じチーム になって同じ任務をこなして、それまで知らなかった一面を幾つも知って、サスケ のナルトに対する見方も気持ちも大きく変わった。  ナルトに対する気持ちが、ただの仲間としてのものなのか、それとももっと深い ものなのか、正直ナルトのことが気になりだした当初はサスケには自分でもはっき りと認識できていたわけではなかったのだ。  けれど、少しずつ時間と思いを重ねて、気がつけばナルトが誰より最初に心の中 に現れるようになった時、サスケは自分の気持ちを認めざるを得なくなってしまっ た。  ただ認めた所でどうにか出来ると言うものでもなくて、それを正直に形にするこ ともできなくて、それでやっとどうにか実行に移せたのが今夜の月見。  けれどそれも、結局は無駄に終わってしまった。  机の上の、誰にも必要とされない月見団子が酷く哀れに見える。  サスケは音もなく立ち上がると、適当な皿を取り出してその上に包みの中の団子 を積み上げる様に置いてみた。 (馬鹿みてぇ)  出来たものを見てまた、思う。  らしくもないことは、しない方がいい。  サスケは月の光に満たされた空を切り取っていた窓を無言で開け放った。  なんて見事な満月。  余りに明るくて、己の内に潜む「もの」さえ暴かれそうだ。  その時強い風が部屋の中に吹き込んで、カーテンを大きく揺らす。  そして一瞬の風が立ち去った後にはもう、誰もいなかった。  ただ、闇の中に月に照らされた無人の部屋だけがそこにはあった。 「美味しいってばよ〜!」 「本当ね、甘すぎないし、それに味も上品だわ。流石、里一番の老舗、桔梗庵だわ 〜」  嬉しそうに団子にぱくついていたナルトはサクラの言葉に首を傾げた。 「それって有名だってばよ?」 「やあねえ、木の葉じゃあ右に出るものナシのお店よ!」 「そうなんだあ、ってことは高いんじゃないの、先生お財布大丈夫!?」 「ナルト………おまえ、そりゃ随分と酷いんじゃないか?」  あはは、と笑いをもらしながらイルカは軽くそんなナルトの頭を小突く。 「でもさ、だってさ、先生給料安いのに」  本気で心配してくれているらしいナルトに、イルカは複雑な思いで笑いながらも 大丈夫だと言って団子を一つ口に放りこんだ。 「実を言うとな、火影様におまえたちと月見をするんだって言ったら、これをもっ て行け、ってお裾分けしてくれたものなんだよ」 「じゃ、これって火影様からのプレゼント?」 「なぁんだ」 「なんだじゃない!」  ゴツン、と今度は少し強めの拳がナルトの頭に落ちた。 「痛いってばよ、先生!」  涙目をするナルトに、ケラケラとサクラが可笑しそうに笑い転げる。  それを見て、ナルトも笑い出し、最後には三人揃って笑っていた。 「カカシ先生、可哀想だってばよ。こんなに美味しいもの食べれないなんてさ」 「任務じゃあしょうがないなあ」 「サスケ君も残念だったわよね。せっかくいいお月様なのに」 「サスケなんてどうだっていーってばよ」 「良くないわよ!」  密かにサスケと一緒にお月見、なんてことを夢見ていたらしいサクラは不満一杯 の顔をみせる。  サクラの実に分かり易い心情を読み取って、イルカはその可愛らしくも少女らし い気持ちに微笑ましい表情を浮かべた。 「まあ、仕方ないな、用があるんじゃ無理には誘えないだろ?」  でも、本当はサスケに用なんてなかったってばよ、先生。  ナルトは心の中でこそりと呟いた。  俺のこと一緒にお月見しようって誘ってたんだってばよ、あいつ。  それなのに、イルカ先生に誘われたら途端に不機嫌になっちゃってさ。  訳わかんないってばよ。  だけど、あん時のサスケ、なんとなく寂しそうだったように思えたのは気のせい だったのかな。 (そう言えば、あいつ一人でこのお月様見てるのかなあ)  自分との約束が果たされなかったのだから、そう考えるのが自然だろう。  あのサスケがくの一の誘いに応えるとは思えないし。  せっかくの明月の晩に、一人きり。  何をしているのだろうか、と思い巡らせる内にナルトは心配になってきてしまっ た。  ポツンと、狭い自分の部屋に独りでいるのだろうか。  それは家族のないナルトやサスケには当たり前のことで、別に目新しいことでも なんでもないけれど、しかし『約束』を誰かとしてそれが果たせないままに独りで 過ごすことになってしまった時間は、普段は感じない寂しさを産む。 (どうしてるんだろうなあ)   あの時は酷いことを言うサスケについムキになって言い返して、そのまま喧嘩別 れしてしまったけれど。  ポツンと独り部屋の中で過ごしているサスケの姿に自分が重なって、ナルトはな んだか胸の奥が痛んだ。  独りきりで過ごすそんな時間がどんなに寂しくて、悲しいのか、ナルトは知って る。  幼い頃から嫌と言うほど味わって来たが、サスケはナルトとはまったく違う事情 ながら家族を失って今は独りで暮らしているのだから、きっと同じ思いをしている はずだ。  幾度か訊ねたことのあるサスケのアパートを、ナルトは思い出してみた。  自分のアパートと比べて狭くも広くもなくほぼ同じような作りだったけれど、決 定的に違うものがあった。  それは、人の暮らしている、気配だ。  匂いや空気、普通に生活しているのであれば必ずそこに備わるはずのものがサス ケのアパートの部屋には何もなかったのだ。  それは不思議なくらいに。  生活に必要なものがなかったわけではなくて、むしろそれらは十分過ぎるほど揃 っていて、でもそこには人が暮らしていると認識できるものが何もなくて、正直ナ ルトは初めてその部屋に足を踏み入れた時驚きのあまり一瞬動きを忘れてしまった ほどだった。  だからかもしれない。  それ以来、出来るだけサスケのアパートを訪ねたり、サスケを自分のアパートに 招いたりして修行をしたりとか、別に何もしなくても一緒の時間を作るようになっ たのは。 (だって、あんなトコロに独りでいるの、悲しいってばよ)  ナルトの部屋は、雑然としてけして綺麗でもなかったし整頓されているわけでも なかったが、生きている匂いがあった。  それがかえって独りで生きている自分の現実を思い知らしめて寂しさを呼び寄せ ることもあったけれど、サスケのあれはそんな自分のアパートより尚質が悪いよう にナルトには思えてならなかったのだ。 「………ト、ナルト?」 「え? あ、なに、サクラちゃん!」 「ぼうっとしちゃってどうしたの? 私そろそろ帰るけどあんたはどうする?」  サクラに声をかけられて我にかえったナルトは、慌てて返事をする。 「あ、俺も遅くなったし帰るってばよ、ご馳走様、イルカ先生」 「ご馳走様でした」 「お礼なら火影様に言ってくれよ。それから、これはお土産だ。せっかくのお団子 を余らせたら勿体無いからな」  そう言って、イルカはナルトとサクラの二人に小さな包みを手渡した。  それがたった今食べていた団子と同じものであると言うことは、言われなくても 分かる。 「うわ、ありがと先生! でも本当にいいの?」 「かまわないさ。もしかしたらサスケやカカシ先生も来れるかと思って多めに用意 してあった分だからな」  なるほどそれでやけに多かったのか、と納得した二人は、それぞれに包みを大事 に持って改めてイルカに頭を下げると帰路に着いた。  サクラは女の子だから、とイルカが家まで送って行くことになり、反対方向に家 のあるナルトはその場で二人と分かれて一人月もだいぶ傾いた空の下を自分の影を 踏むようにして歩き始める。  だが楽しかったな、と思いながら土産に渡された団子を見て、ふと何かを思い出 したようにナルトの足が幾らも行かずにそこで止まった。  サスケはどうしているんだろう。  さっきふと過ぎった思いが再びナルトの中で頭を擡げる。  ちらりと包みを見て、それから傾いてしまった月を見て。  ナルトは考えるよりも前に踵を返して、自宅があるのとは違う方向一歩踏み出す。  そして、気がつけばナルトは駆け出していた。  切れかけた外灯の光が僅かに浮かび上がらせた道を、その先にある場所へと向か って。                                   02.09.27  

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そしてやはり終わらずに……… 月見がシーズンオフと言うより、季節的にもう駄目かも…………