オイラを見て、言ったんだ。
 やっと会えたね、星の子、って。
 オイラは炎の姿をしていたのに。
 言ったんだ、嬉しそうに笑いながら。
 星の子、って。





■Browallia -2-■
 バルコニーには、少し風があった。  それに揺らされてカルシファーの炎が、小さく影を振る。  頼りなげにも見えるその姿を、じっとハウルとソフィーは見守った。  けれど、彼は口を閉ざしたまま、最初に一言二言告げただけで、沈黙を守っている。  言いたくないのか、それとも言葉が見つからないのか。 「突然いなくなって、驚いたけれど、別になんともないのね? カルシファー?」  そっと、優しくソフィーが声を掛けると、やっとカルシファーはその目を上げた。  けれどやはり、何も言おうとしない。  仕方なく、ソフィーがさらに言葉を紡ごうとしたとき。 「あの子に、引っ張られたんだね、カルシファー」  代わりにそう言ったのは、ハウルだった。 「いきなり姿が消えたから驚いたけれど、だったら納得も行くよ」 「ハウル、どう言うこと?」 「うん」  魔法を操る二人だけが分かっているのだろう話に、ソフィーが覗き込むようにしてハウルに問い かける。  静かな夜に、突然聞えてきたカルシファーの悲鳴。  そして慌てて彼の姿を確かめようと暖炉へ駆けつけた家族の願いは空しく、そこに燃える炎の姿 はなくて。  いったい何があったのか、何処へカルシファーは姿を消してしまったのか。  それを突き止めるためにハウルと共に夜の空を渡って辿り着いた先は、とても大きなお屋敷の大 きな窓にバルコニーのある部屋の前。  カルシファーは確かにそこにいた。  大きな大きなベッドに眠る小さな小さな少女の傍らに。 「あの小さな子が、魔法使いなの?」 「違うよソフィー。それに言っただろう、魔法使いはいないって」  そうだった。  ハウルは最初にこの屋敷に着いたときにそう言っていた。  ソフィーはそれを思い出して、更に不思議になってしまう。 「カルシファー、ソフィーはおまえのことをとても心配していたんだ。何も言わないのは酷いんじ ゃないのかい?」  ハウルの言葉に、カルシファーの炎が微かに揺れ動いた。  それを見て、慌ててソフィーは口を開く。 「いいのよ、カルシファー! 言いたくないのなら言わなくてもいいの。あなたが無事なら、それ でいいのよ」 「………ソフィー………」  炎は、呟くように言って、ふわっとソフィーに近付く。   反射的にソフィーが差し出した両手に収まると、かすかに炎の色が落ちたように見えた。 「オイラ、いきなり目の前に白い翳が現れて、最初なんだか分からなかったんだ」 「そう」  話し始めたカルシファーに、ソフィーは余計なことは言わずにただ耳を傾ける。 「半分寝ぼけて薪の間からよくよく見たらさ、その翳が段々と暖炉に近寄ってくるのが分かってさ、 オイラ吃驚して起き上がったら、いきなり白い翳に包まれちゃったんだ」 「それで、叫んだの?」 「だって、本当に吃驚したんだ。けど、叫んだと思ったら、もう此処にいた」 「此処? 此処ってこのお屋敷?」 「そうさ。あの、ベッドの脇にオイラふわふわ浮いてた。さっぱり訳が分からなくてさ。でも…… …」 「あのベッドに、あの子がいた」  ついっとハウルが踵を返してバルコニーから部屋に戻り、ソフィーは慌ててその後を追った。  眠る人の傍で会話をしては目を覚ましてしまうかもしれないから、とわざわざバルコニーに出た のに、いったいどうしたのかしら、と思う気持ちのまま部屋に足を踏み入れれば、ベッドの枕元に 立つハウルが月灯りだけの薄闇の中に見える。  どうやら彼は、その手を眠っている少女の額に翳しているようだった。 「ハウル………その子、病気なの? 顔色が悪いわ」  夜の闇のせいだけではない。  少女の顔には明らかに年不相応な疲れたような色合いがあり、よくよく見ればとても痩せていた。  頬もこのくらいの年頃ならばもっと膨らみもあって薔薇色をしているべきだろうに、線の細さが なんとも痛々しい。  上掛けに隠されているが、きっとその身体も同じように細いのだろうと想像もできた。 「………カルシファー」 「なんだよ」  ソフィーの問いには直接応えず、最後に部屋に入ってきた炎に声を掛ける。 「おまえにも、もう分かってるんだろう?」 「当たり前だろ。オイラは悪魔だぜ。………そう言うのには、一番鼻が利くんだ」 「ああ、そうか。そうだね」 「ハウル、カルシファー、どう言うこと?」  また二人だけで分かっているような会話に、ソフィーがじれったそうにそっとハウルの手を引いた。  すると、ハウルは少し考えるように目を閉じ、そしてそっと少女に翳していた手を引いてそれを今 度はソフィーの肩に乗せる。  そうしてようやく、言葉を継いだ。 「あのね、ソフィー。人はとても不思議な力を皆秘めているんだ。僕も君も、マルクルやマダムも」 「それって魔法ってこと?」 「違うよ。そう言うものじゃなくてね、もっと命や魂の奥深くに秘められたもの。普段は見えないし、 それが表に出てくることはとても稀有で、目に見える形で現れるなんて奇跡みたいなものだけれど、 でも皆等しく持ってる」 「カルシファーを此処に呼び寄せたのは、その力って言うことね?」 「そうだよ。この子は自分の中に眠っているその力をきっと自分でも気付かずに使ったんだろうね。 それだけ強い強い願いと心があったってことさ」  言われて、ソフィーは眠る少女に視線を落とす。  力なく横渡る少女。  眠っている、と言うよりも、それはまるで人形のようですらあった。 「カルシファー。おまえはこの子と何か話をしたのかい?」 「いいや、してないよ。オイラが何処にいるのかもさっぱり分からなくて辺りを窺ってたら、いきな りこの子供が目を開けてさ、オイラに向かって言ったんだ。星の子、って」  え、とソフィーは思わず呟いていた。  カルシファーを見て、星の子、とこの子は言ったのか。 「そうさ。オイラを見て、言ったんだ。やっと会えたね、星の子、って。オイラは炎の姿をしていた のに。言ったんだ、嬉しそうに笑いながら。星の子、って」  そしてオイラが何かをそれに言い返す前に、ふっとまるで糸が切れた見たいにして、この子はベッ ドにまた沈むようにして意識を失ってしまったから、何がなんだか分からないまま。  ただただ、自分の正体を見破って笑ったその子から目を離せなくなってしまった。  その眠る顔に、少女の持つ未来の全てが見えてしまったから。 「この子は、よほど会いたかったんだろうね。星の子に」  希う強い強い想いが、形をとって、そしてカルシファーを呼び寄せてしまうほどに。 「………ハウル、教えて。あなたとカルシファーは、何を見たの?」  この子の中に。  ハウルはそう言葉にせずに問うソフィーに、そっと微笑みかけた。  今しも消えそうなほどに透明な笑顔。 「ハウル?」  とても嫌な予感がソフィーの心の上を過ぎった。  不安にも似た、とても冷たい北風を受けた時にも似た、そんなもの。 「あのね、ソフィー」  そっと、肩に置かれていた手に力が籠もるのが分かった。 「聡い君の事だから、もう分かっているのかもしれないけれどね」  ああ、やはりそうなのだ、と風がより一層強く冷たくソフィーの心に吹き抜ける。 「あの子がカルシファーを呼び寄せることができたのは、あの子の最期の強い願いがそこにあったか らなんだよ」 「さいご、の」 「そう。最期の」  人は終わる瞬間を、遠い先の未来に思い描きながら、けれど常にその影を背中に負っている。  いつまで命は続くのか、いつまで道は続くのか。  それは気の遠くなるほど先かもしれない。  あっけなく、一瞬後には終わるのかもしれない。  そうやって形あるものはいつか、壊れて消えてゆく。   悲しみも苦しみも喜びも幸せも、なにもかもを覆い尽くして終焉は来る。  終わることは始まりで、それもまた命に与えられた幸いなるものの一つでもあって。  ただ、そうと心が理解するのは人には難しいことで。 「あの子も、多分知っているんだろうね」 「ハウル」 「自分の時の砂が、あとどれほど残されているのかを」  さらさらと音をたてて落ちる砂の、奏でる優しい音が聞こえたような気がしたのは、気のせいだっ たのだろうか。  ソフィーは、ゆっくりと視線を横たわる少女へ戻した。  年はまだ十にも満たないかもしれない。  今は眠りに閉ざされた瞳に、これまでどれだけのものを映してきたのだろうか。  これから、どれだけのものを映していけるのだろうか。 「帰ろうか、ソフィー。あまり遅くなるとマルクルたちが心配するからね」  言葉をなくしたソフィーの手をそっと取り、ハウルが優しく声をかけた。 「さあ、行こう」  そして再びバルコニーへと出ると、ソフィーの腰にそっと手を回す。 「ま、待ってハウル。カルシファーは?」 「オイラは行けないよ。だって、この子にまだ掴まれたままだからね」 「え?」  二人だけで再び空へと舞い上がろうとするハウルに慌てたソフィーだったが、ベランダへと見送り にきたらしいカルシファーはあっさりとそう応じた。 「あの子の願いはまだ終わってないんだ。無理矢理引き剥がすことも出来るけれどね」  ちらりと目を向けてきたハウルに、カルシファーは小さく炎を震わせて、そのまますいっと部屋の 中に戻って行ってしまう。 「大丈夫、カルシファーには危険はないよ」 「ええ、そうね。それは分かっているわ。それにカルシファーは………」  彼自身が、此処を立ち去ることを望んでいない。  姿の消えた炎を見つめるようにして、そっとソフィーは瞼を閉じた。 「いくよ」  それを了承と取って、ハウルは床を蹴る。  ふわり、と二人の姿は夜の空に浮かび上がった。  星と月が飾る闇の中を、ゆっくりと屋敷から遠ざかっていく二つの影。  バルコニーの窓に掛けられた窓のそばからそれを見送った後で、カルシファーはぽっと炎の小さな 息を吐き、魔法を使って窓を閉じる。  冷たい風を拒むように。  まるで、迫り来る何かからその場所を守ろうとするかのようにして。  

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2005年2月23日作成。

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