■Trefoil -1-■





 一年に一度、ちょっとしたイベントとなる日。
 その日、空飛ぶ城の男たちは、とてもご機嫌だった。
「すごーい、これ、ソフィーが作ったの?」
 キッチンのテーブルの上に置かれた丸いチョコレートケーキに、きらきらと目を耀かせて今にも身
を乗り出さんばかりにしたマルクルは、お茶の支度をしているソフィーを振り返って訊ねる。
「ええ、そうよ」
 にこ、と笑って応え、ソフィーはちょっぴり照れたように頬を赤らめる。
「レティーにチェザーリのチョコレートケーキのレシピを特別に教えてもらって作ってみたんだけど、
上手く出来たかどうか、ちょっと自信がないわ」
「心配ないさ。ソフィーは料理上手だからね」
 マルクルと一緒にチョコレートケーキを興味深そうに眺めていたハウルがさらりと言えば、ソフィ
ーの顔はいよいよ赤くなってしまった。
「ハウルったら! そんなお世辞言っても何も出ないわよ」
「お世辞なんかじゃないさ。本当のことを言ってるだけだよ」
「そうだねえ、暖かい味がするよねえ」
「うん、僕もソフィーの料理大好き!」
「オイラも!」
「ヒン!」
 ハウルの言葉に、一斉に四重奏で賛同の声が上がれば、ソフィーも笑うしかない。
「さて、カルシファー、お湯はどうかな?」
「バッチリさ」
「じゃあお茶も入ったことだし、諸君、ソフィーのケーキを頂くとしようか」
「やったあ!」
 ハウルがカルシファーの上に乗せられていたポットを取り上げそう言えば、マルクルヒンは椅子に
飛び乗り、カルシファーもふよふよとその隣に移動して、おばあちゃんがソフィーの手を借りて向か
いの席に腰を下ろし、最後にソフィーが自分の隣の椅子に座るのを待って、ハウルはおもむろにティ
ーカップを手に取った。
 以前の、何処かが欠けた茶碗ではなく青い花柄の模様が入った立派な陶磁器のそれは、ハウルとソ
フィーの結婚祝に、とあのマダム・サリマンから贈られた物の一つだ。
 ハウルは最後まで抵抗したのだが、ソフィーは折角の気持ちを無下にするのはよくない、としっか
り者の意見を通してありがたく戴き、今では毎日活躍している。
 マダム・サリマンの趣味はとても品が良くて、ソフィーのお気に入りなのだ。
「ヒンにはチョコレートはあげられないから、代わりにこれね」
 特別なミルク粥を、特別なお皿に入れてテーブルに置くと、ヒンは満足そうにヒンヒンと声を上げ
て尻尾を振った。
 それで満足、と言うことだろう。
「ケーキは六等分にしよう」
 ハウルがケーキナイフを手にして言った。
「こうやって皆で同じケーキを切り分けるなんて、初めてだなあ」
「僕も初めて!」
「そう言えば、あたしも初めてかもしれないねえ」
「オイラだって初めてだい」
 胸を張って言うカルシファーに、思わず誰もが笑ってしまったが、ソフィーは上手く笑えたか自信
がない。
 ソフィーには、色々と複雑なものがあったとは言っても優しかった父や妹や、母と一緒に誕生日を
祝ったことも一つのケーキを切り分けて食べた思い出もちゃんとある。
 ハウルたちにはそれがない。
(でも、だったらこれからたくさん作っていけばいいんだわ。色んな思い出を皆で)
 新しいこの家族皆で。
「ソフィー?」
 どうかした? と覗き込んでくるハウルに、ソフィーはニッコリと今度はいつもの笑顔を返すこと
ができた。
 新しい家族で新しい思い出を紡いでいく。
 その思いがソフィーをまた一つ、強くしたのかもしれない。
「ねえハウル。六つに分けたら一つ余ってしまうわ」
「五つに切るとどうしても不公平になっちゃいそうだからね。最後の六つ目は、そうだ、ソフィーの
お父さんにって言うのはどうかな?」
「お父さんに?」
「それから、僕やマルクルやマダムのお父さん、カルシファーを生んだ夜空にもね」
 悪戯っぽくウィンクしてみせたハウルに、思わずソフィーは笑ってしまった。
「まあハウル。そんなにたくさんの人たちに、たった一切れじゃあほんの一口も食べられないわ」
「いいじゃないか。大切なのは気持ちだからね」
 にこやかな笑みをそのままにハウルは流れるような所作でケーキを切り分けると、ティーカップと
セットになっているケーキディッシュに取り分けてそれぞれの前に置いて、最後の一切れを乗せたデ
ィッシュをマルクルに持たせた。
「マルクル、これを外の見える窓のところへ置いておいで。皆が食べにこれるようにね」
「はい、ハウルさん」
 受け取ったケーキを倒さないように注意しながら、マルクルは言われた場所へそれを置いた。
 そこからならば空飛ぶ城の庭が一望できる。
「さて、これでいいかな」
 大急ぎで自分の席にマルクルが戻ると、ハウルは腰に手を当ててテーブルを一望し、満足げに頷く。
「じゃあ、今日はソフィーに譲るよ」
 何を、なのかは聞かずとも分かって、ソフィーは少しだけ照れくさそうにしつつもこほん、と一つ
咳払いをしてから家族の皆に目を向けた。
「今日はバレンタインデーだから、このケーキは私から皆への感謝の気持ちを込めて作ったものなの。
私っておっちょこちょいだから皆には色々迷惑かけちゃってると思うけれど、そのせめてものお詫び、
とも言えるかも」
「ソフィーは全然迷惑なんてかけてないよ!」
「あたしたちの方が世話になってるくらいだからねえ」
「そうさ! それに、ソフィーよかもっと迷惑な奴がいるしさ!」
「おや、それって誰のことだいカルシファー」
 ニコニコしながら聞いてきたハウルに、カルシファーはまるで突然口がなくなったかのように沈黙
して視線を逸らしてしまう。
 その余りに分かり易い反応に、ソフィーたちは揃って笑い出した。
「なんだよ、なんだよ!」
「ごめんねカルシファー。さあハウルもそんな物騒な顔しないで」
「折角のケーキが台無しになるよ」
「ね、ソフィー、もう食べてもいい?」
「どうぞ、召し上がれ」
 ソフィーのその言葉を合図にして、いつもと少しだけ違うお茶の時間は本番を迎える。
 甘い甘いチョコレートの香りのする午後は、とても優しい陽だまりの中にあった。


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一日どころか二日遅れのバレンタインネタ。 あと少しで終わらなかったので、前後編にしてアップです。 タイトルは「シロツメクサ」の英語名です。 意味するところは、後ほど明らかに(笑)。 以上、旧ハウルサイトに掲載したときのコメントでした。 2005年2月16日作成。 back