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旧E.N.H. コメント | こういう「希望」の話はすごくすき |
感想 | 投稿者 | スポット | 日時 | 2001/8/16 17:34 |
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ドクターベシアのお話では今のところ一番かも。泣けました。 ベシアの医師としての使命感に胸を打たれました。一気に好感度アップ! | ||||
投稿者 | ヤン | 日時 | 2003/8/21 01:48 | |
これは感動できる話です。この話しがあってはじめてドクター・ベシアが他シリーズのドクター以上のドクターに思えるからです。 | ||||
投稿者 | 背番号26 | 日時 | 2003/8/21 21:08 | |
ドクターの独壇場でしたね。 良いお話でした(でも少し重すぎました) | ||||
投稿者 | 一輝 | 日時 | 2003/11/13 15:16 | |
ダックスの通訳、って何でしょう。 「負担じゃない、特権だ」が意味不明ですが、訳のミスかな。 ワクチンを合成出来たのですから、きっと、ジュリアンなら、 治療法も見つけられますね。 今後のエピソードで、その事に一言でも触れて欲しいものです。 | ||||
投稿者 | (匿名) | 日時 | 2003/12/5 01:56 | |
まさに、ドミニオンの非道。 この報いは終盤、連邦の秘密組織 によって創設者に跳ね返ることに・・・。 | ||||
投稿者 | スTL | 日時 | 2003/12/31 02:45 | |
病人の苦しんでいる姿が痛々しくて見ていられなかったです。 最後に発見されるのが完全な治療法ではないところも リアリティがあってよかったです。 | ||||
投稿者 | K2 | 日時 | 2004/5/2 00:44 | |
クワーク好きの私としては本編そのものより クワークの歌サイコー!って感じなんですが(笑) 「みんな、おいで〜クワークの店に〜〜♪」 | ||||
投稿者 | ヒュプノス | 日時 | 2004/12/10 19:54 | |
最初の方は「治療法が見つからないか、見つかるかで終わるだろーな」 と思っていたんですが、予想以上に内容があって、重い話でした。マジでいろいろ考えちゃいましたよ。 特に最後の「治療法」ではなく「ワクチン」っていうのなんか、いっそう複雑にさせます。 本当に心に残った話って、上手く感想を文字にできないんですよ。このエピがそうですね。 あと、最初のクワークの小ネタには爆笑させられました。DS9であんなに笑ったのは初めてのような気がする・・・・ | ||||
投稿者 | シャトー・ピカール | 日時 | 2004/12/10 23:04 | |
赤ん坊が生まれたシーンで感動しました。 あのベシアの嬉しそうな顔にグッときました。 しかし、ドミニオン(可変種)の固形種に対する 不信感というか嫌悪感がいかにすごいものかが分かる話で、 見ていて辛くなりました。特に病人が苦しみもがくシーンは 胸がつまりました。 | ||||
投稿者 | makoto | 日時 | 2004/12/15 10:53 | |
不治の病をめぐり絶望と希望が錯綜する極限状況を描く良作。特に子供のために身を震わせて痛みに耐えるエコリアを見るのはつらかった。希望が持てるラストでよかった...(これとて現在の患者は死ぬのだが) 「特権だ(Privilege)」の台詞は、不可能と思われていた治療行為に与る名誉を指すのでは。(それほど絶望的状況ということだ) 今回の件は、安楽死の問題も絡めて、辺境医療を目指し英雄気取りだったベシアの医者人生にも影響を与えるだろう。 最後の晩餐、病院での音楽、希望の絵。細やかな演出が光る。高く掲げられた無傷の赤ん坊に群がる群衆をなめるシーン。DS9の名場面のひとつと思う。(髪を下ろしたジャッジアもよかったけど) | ||||
投稿者 | レイン | 日時 | 2005/2/27 16:54 | |
DS9全話を通して、「星に死の満つる時」がドクター・ベシアのベスト・エピソードだと思う。 ここで見せるベシアの姿には、シリーズ当初の軽薄な印象はもう無い。人間的な成長がうかがえる、深みあるパーソナリティになっている。 話の内容は、医療をテーマにした、オーソドックスなヒューマン・ドラマである。とりたてて斬新な所は無いし、特にSFである必要もない話だ。しかし、こういったヒューマン・ドラマで押さえておくべきポイントが、しっかりと押さえられている。 このドラマが良いのは、ドクター・ベシアがスーパーマンではなく、私達と同じ普通の人間として描かれていることである。確かにベシアは医者として非常に優秀ではあるけれど、その点を除けば、どこにでも居そうな身近な人物として描かれている。 そんな彼が、初めて訪れた惑星で、蔓延する病に苦しむ人々と出会う。ベシアは病の治療法が見出せず、自分の目の前で人がバタバタと死んでいく事態に直面する。おそらくベシアにとって、医者として経験する初めての大きな挫折だろう。大きな挫折に直面した時誰もがそうなるように、ベシアも自信を打ち砕かれ、落ち込み、そこから逃げ出しそうになるのである。 このエピソードには、記憶に残るシーンがいくつかある。 まずそれは、一度は治療を諦めて星を去りかけたベシアが、考えを変えて再び住民の元へ戻っていくシーンである。住民たちが白い眼を向ける中、重い機材を抱え、一人トボトボと病人の元へ向かうベシア。彼の背中からは、無力な人間の悲哀感が漂う。その悲しい姿が、見る者の同情と共感を誘う。 もう一つは、彼が苦難の末に開発したワクチンによって、病に冒されずに生まれてきた赤ん坊を、現地の医者が住民たちの前に高々と抱え上げるシーンである。このシーンには、古い宗教絵画のような敬虔な雰囲気が感じられる。そしてそれを遠くからそっと見つめるベシアの姿が、また泣かせる。彼が住民の歓喜の輪に加われないのは、その健康な赤ん坊が、自分を信じてくれた赤ん坊の母親を始めとして、救えなかった多くの住民の命と引き換えに生まれてきた命だからだ。 そして、最後のシーン。DS9に戻ったベシアは、治療法を見つけるために、ラボで一人テストを繰り返す。テストに没頭する彼の孤独な姿が胸を打つ。おそらく彼の心の中には、ワクチンを生み出した達成感と、根本的な治療法を見つけられない挫折感の両方が交錯していることだろう。 「星に死の満つる時」を見てつくづく感じるのは、SFだからといって登場人物に無理に特殊な設定を加える必要は無いということである。このエピソードのベシアのように、ごく普通の地球人が主人公であっても、何の問題もないのである。実際DS9の作り手には、人間ドラマを正攻法で描ける実力を持った人達が揃っていた。なのに…。 | ||||
投稿者 | jiui | 日時 | 2005/12/2 17:22 | |
ファーストコンタクトの異星で、 不治の病の治療法を探すのって 艦隊の誓いに反しないですか? TNGでは惑星の環境の大変動で滅亡の危機に瀕してる ヒューマノイドを、艦隊の誓いに沿って、しぶしぶ見殺しに しようとしているところを、ウォーフの義兄が勝手に 助けてしまうっていうエピソードがありましたよね。 | ||||
投稿者 | ほいほい | 日時 | 2007/10/20 05:50 | |
私も艦隊の誓いに反するのでは?と思ったけど 戦争中だし元々DS9では艦隊の誓をあまり重く扱われてないですからね それに、かつては高度な技術を持った文明だったことも触れられてるし、救難信号を受けて(自動送信だったけど)行ったのだから、救助を求められた場合「艦隊の誓」は無効になったような気がします。 まあそんな瑣末な事よりもドクターの話としてはやはりベストですね |
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