Moon Light Anthem
 〜月光聖歌〜
第13話 夜毎、神話のたどりつくところ











 誰かに抱き起こされる感覚が、一度は沈みかけたナルトの意識を呼び戻し
た。
 痛みも何もかもがとっくに失われていたと言うのに、何故か触れて来たそ
の手の暖かさだけは分かったのだ。
 それが、誰のものであるのかも。
「………サ………ス、ケ………?」
 目をこじ開ければ、そこには予想に違わぬ黒い髪と瞳の、らしくもない酷
く心配そうな顔をした姿があって、ナルトは知らず笑みを漏らしていた。
 どこか嬉しそうで、でも苦しげな笑みを。
「おまえってば、なんて顔してんだ………ってばよ」
「何言ってやがる。この、ウスラトンカチ! てめぇこそなんて恰好になっ
てやがる!」
「は………はは………ちょっと、ドジ、った」
 敵に追いついたまではよかったが、しかしその後己の力量も考えずになる
べく無傷で捕らえようとしたことが、恐らく失敗の始まりだった。
 攻撃を避けて上手くこっちのトラップに引っ掛けられることが出来れば、
それで終わると思っていたナルトの考えを、敵はしっかり見抜いていたのだ
ろう。
 逆にそれを利用されて、仕掛けた筈の自分の方が追い詰められていたと気
付いた時にはもう手遅れだった。
 次々と向けられる武器と術の攻撃の連続技に、ナルトは自分の攻撃を繰り
出すどころではなく防戦一方を強いられて焦りを隠せなくなり、それがまた
悪い方向へ作用したのは言うまでもない。
 起死回生を狙っての一撃さえ、相手には見抜かれていた。
 腹部に負った怪我は、その時に避け切れず急所を辛うじて避けはしたがま
ともに食らってしまったものだ。
 傷口がグチャグチャに爛れていることからも、毒を同時に食らったことも
間違いない。
 その怪我の痛みに一瞬できた隙をつかれて、次の攻撃も完全には避けられ
ず足にも同じように深い傷を負った。
 それでも、ただでやられてたまるかと言う思いに奮い立たせた身体が痛み
を凌駕して動いた時は、後のことなど何も考えておらず、構えた刀で相手を
切りつけていた。
 殺すつもりがあったのかとそう問われたら、そうだったかもしれないと、
しか応えられない。
 ただ、あそこで反撃に出なかったのなら、恐らく自分は死んでいたのだろ
うから、だから、死にたくはなかったのだと、応えるしかナルトにはできな
かった。
 実際、自分の攻撃を食らった敵の忍が死んでいるのか生き延びたのか、ナ
ルトは知らないのだ。
 手応えは確かにあったけれど、それで致命傷に至らしめたかと言うのは確
かめていない。
 いや、確かめることが出来なかった、と言う方が正しいだろう。
 最後の攻撃となったその後で、ナルトは完全に力を失って雪の中に倒れて
しまい、ナルトと同じく深手を負った敵が逃げゆく後姿を見るのが精一杯で
もうそれを追うことはできなかった。
 もしかしたら、自分と同じように何処かで倒れて雪に埋もれているのかも
しれない。
 ナルトはそんなことを半分熱に浮かされたような頭で思う。
 自分にはサスケがいたけれど、あの忍にはきっとそんな仲間はいないだろ
うから。
(サスケ………)
 見つけて欲しくもあって、見つけて欲しくもなかった、その姿にナルトは
必死に笑みを象ろうとした。
「おまえ、見つけちゃったんだぁ」
 どうせなら、もっと怪我が治ってからなら良かったのに。
 その時にはもう、死んでいたかもしれないけれど。
「喋るな。ったく、情けねぇ格好しやがって。とにかくここじゃろくな手当
ても出来ねぇから、移動するぞ」
 一見して、ナルトの怪我がただ事ではないと分かったサスケは、まず足の
傷口よりの上を縛り上げて止血をし、腹部の傷にも布を押し当てて軽く縛る
となるべく負担がかからないようにと膝と背中に腕を回して抱き上げた。
 自分と多少身長差はあるが、しかし思っていたよりもナルトの身体は軽く
て負担にもならない。
 背負われるのでも肩に担がれるのでもないその恰好は、いささか恥かしい
ものがあったけれど、それを口にして言うだけの力がもうナルトにはない。
 ただ、されるがままになって、呼吸を繰り返すことで精一杯だった。
(大名の屋敷に戻るには少し距離があり過ぎるな。しょうがねえ、さっきの
洞穴で応急処置だけでもしておくか)
 ちらりと、サスケはナルトを見る。
(腹部の怪我は、かなり深いな。毒の成分が分かれば解毒も出来るが………
足は………神経まではいってねぇか。骨も異常ないようだが………出血が多
過ぎたな、これは)
 大まかにそう判断して、サスケは取り合えずほっと息を吐いた。
 それまでにナルト自身の治癒力で幾らか怪我も癒されているだろう。
 サスケはそう判断して、ナルトを探す途中で見つけた小さな岩場の洞窟へ
向かった。
 風向きが変わらなければ雪も殆ど入ってこない場所だったから、もう少し
風が緩むのをそこで待つのもいいかもしれない。
「いくぞ、ナルト」
「………」
 返事はなかったが、頷いたことは分かった。
 それを確認すると、二人分の体重を支えているとは思えない軽い跳躍で、
サスケの身体が瞬時にしてそこから消える。
 後に残った足跡もやがて降り頻る雪によって隠されてしまえば、もうそこ
には何も残らない。
 吹きすさぶ風に煽られた枝がただ、激しく揺れる音以外にはもう、何も。








 パチパチと、爆ぜる炎の音が、ナルトの耳を打つ。
 ぼんやりとした視界に赤い揺らめく炎が見えて、その暖かさが次第に肌に
伝わってくると同時に再び意識が呼び戻された。
 暖かい。
 生きていることを実感させるそれにナルトは知らず深い溜息をついていた。
 心音が規則正しく刻まれる音さえも柔らかな安心感とそして眠りを誘い、
再びそのまま目を閉じてしまいそうになったナルトだったが、はたと気がつ
いて一気に覚醒する。 
 耳に届く心音は、二つあった。
 一つは勿論ナルト自身のものであり、そしてもう一つは………
「………サ、サスケ!?」
「ああ、気がついたのか、どうだ? どこか痛いか?」
 自分を抱き締めているサスケのものだと分かるなり、ナルトは慌てて飛び
起きようとしたのだが、それが上手く行かずに中途半端なところで再びサス
ケの腕の中に逆戻りしてしまっていた。
「ドベ、無理するな。おまえ貧血状態なんだから、大人しくしてろ」
 言いながら、サスケはナルトの凍えて凍傷を起こしかけた両手を丁寧に擦
り血行を良くする為のマッサージをしている。
 その手つきは普段の態度からは信じられないほど優しく、痛みを感じては
いるのだがナルトは逆らう気持ちが起きないままサスケのするに任せてしま
った。
 しかし、さっきまで全身の感覚が死んでしまうほどに寒くて文字通り凍え
きっていた身体は、それが嘘のように暖かく、ふわふわとした感覚の中でこ
れ以上ないほどに穏やかな気持ちになれたナルトだったけれども、サスケに
抱き締められている状態と言うのはなんとも気持ちが落ち着かない。
(ここは、どこなんだってばよ………?)
 大名の屋敷ではないことは、明らかだった。
 まだぼやけた視界にも、辺りの状況は掴むことが出来る。
 周囲はごつごつとした岩壁、目の前にはどうやって集めたのか分からない
が薪が赤々と燃えている焚火たあり、どうやら雪と風を避けて、何処かの岩
陰に避難しているのだろうなと判断がついた。
(………でも、あれからどれくらい時間が経ってるんだ?)
 すっかり濡れそぼっていた服の感触がないから、乾いてしまったのだろう
か。
 だとすれば、かなりの時間が必要なはずだ。
(………………え、な………)
 ついっと、不思議に思ったことに視線を自分に向けたナルトは、そこで一
気に覚醒した。
「なんで、こんな事になってるんだってばよっ!! ………ってぇ」
 驚きのあまり飛び起きそうになったものの、頭の中身が揺らめくような感
覚にそのまま眩暈を起こして大して動く事もなくサスケに抱き止められてし
まう。
「ウスラトンカチ、だから動くなって言っただろうが」
「で、でもサスケ、こ、この恰好」
「しょうがねぇだろ。濡れた服のままでいたら風邪を引くが、生憎と着替え
なんてねぇし、毛布の代わりになるもんもないから、取り合えず代用品とし
たらこれが妥当だろ」
 サスケは、その肩に濡れずにいたらしい服を羽織っていたが、それ以外は
上半身裸で、ズボンも履いていない。
 それはナルトも同様だった。
「そ、それはそうかもしれないけど、さあ」
「文句でもあるのか」
「………ねえ、けど………」
 確かに、この状況では一番手っ取り早い暖の取り方であることは、ナルト
も認めざるを得ない。
 でも、だからと言っておとなしくしていろと言われても、正直なところ困
る状況でもあるのだ。
 なにしろ、お互いに殆ど何も身につけていない状態で、こうして抱き抱え
られていると言うのは、心臓に悪い。
 どうしたらいいのか分からず、小さくナルトは身じろいだ。
(でも、あったけーってばよ)
 心地良いのか悪いのか微妙な気持ちを持て余して、もぞもぞとナルトが動
くのを横目に見ながら、サスケは焚火の中に木の枝を放り込む。
 風の音は洞窟の奥までは届かないのか、パチパチと炎が爆ぜる音だけが辺
りに響く以外に、音らしい音のない空間はやけに静かだった。
「………その、悪かったってばよ………」
 ようやくナルトがそう言葉にして言うまでに、どれくらい時間が流れたの
だろう。
 焚火以外には明かりのない洞窟の中では、それさえも曖昧だ。
「てめぇの突拍子もない行動には、いい加減慣れた。それより、敵の忍はど
うした? 倒したのか」
「切り合いになって、手応えは確かにあったけど、その後どうなったのか確
認できなかった。生きてるかもしれないし、死んでるかもしれない」
 敵を殺したのはこれが始めてはない。
 中忍ともなれば任務の内容も下忍の頃とは様相が変わり、与えられたもの
を実行する上でどうしても相手を倒さねばならないこともあった。
 ナルトがいくら極力そうした場面を避けようとしても、現実にその願いは
叶わない場合が多い。
 敵もまた、己が任務を果たす為に手段を選ばないとなれば、それはどうし
ようもない現実だ。
「そうか。まあ、取り合えず俺たちの任務に敵方の忍の事までは入ってねぇ
からいいとして、だ」
 ふう、と一つ大きく溜息をついて、サスケはじろっとナルトを睨む。
「このウスラトンカチ! 何であそこでわざわざ追っ掛けて行きやがった!」
「え、あ、それは………えっと………」
 言葉に詰まるナルトに、サスケの口からまた溜息がもれた。
「何も考えてなかったんだろう? そんなだから、てめぇは怪我ばっかして
んだよ。今回は自分の怪我だけで済んだからいいようなもんだが、仲間にま
で影響が出る事もあるってこと、いい加減に自覚しろ」
「俺だって、それくらい考えてるってばよ!」
「良く言うぜ。身動きも出来ないような怪我しやがったくせに」
「それは………」
 はっと、反論しかけたナルトはそこで口をつぐんだ。
(そうだ………俺、怪我………)
 恐る恐ると自分の身体を見れば、やはりそこにはもう怪我らしい怪我の痕
など一つもない。
 あれだけ毒で崩れていた筈の腹部の傷も、切り裂かれた服にこびり付いた
血痕で出血量が知れる太腿の怪我も、最初から何もなかったかのように元通
りの肌がそこにある。
(サスケ………見てない………訳がない、よな)
 足の怪我があった場所には、もう意味はないけれど止血がなされており、
腹部の怪我も傷口を拭ったらしい手当ての跡が焚火の傍にあった。
 それが意味するところは一つしかない。
 何よりサスケははっきりと言った。
 身動き出来ないような怪我を………と。
(見たんだ………サスケ、見ちまったんだ………)
 サスケに再会した時、ナルト自身まだ自分の身体が負った怪我を殆ど治せ
ていなかった状態だったことを記憶している。
 それからどれくらいの時間が経ったのかは分からないが、手当てをしたの
であればサスケが目の当たりにしていることは疑うべくもない。
 ナルトの身体が、尋常ならざるスピードで傷を癒し元の通りになったこと
を。
「………も、大丈夫だから、離せってばよ………」
「ナルト?」
「大丈夫だから、自分で動けるから、だから離せってば」
「ドベ、フラフラしてるくせに無理すんじゃねぇよ」
「無理じゃねぇってば! 平気だって言ってんだろ!」
 自分を抱えているサスケの腕を払って、ナルトは無理矢理立ち上がろうと
した。
 が、すっと身体を起こすなりクラっと頭の芯が揺れて、視界までぶれる。
 足許と天井の位置関係さえ正しく判断できず、平行感覚が狂ったナルトの
身体はそのまま後へ倒れ込んでしまった。
「ナルト!」
 声がして、目を薄っすら開けると心配そうな顔をしたサスケがそこにいて、
ほっとした次の瞬間ナルトはまた起き上がろうともがきだす。
「馬鹿野郎! おとなしくしてろ!」
「心配ねーってばよ! こんなん、すぐ治る! おまえだって、それくらい
もう分かってんだろ!」
「傷が治るのと、感覚が治るのは話が違うだろうが! てめぇはまだ血も足
りてねぇし、毒のせいで感覚も狂ったままなんだ。いいから、動くな」
「そんな心配しなくても全然へーきなんだってばよ! 俺ってば普通の奴と
違うんだから、傷だってそんなんだって、すぐに治っちまうんだから、放っ
ておけってばよっ」
 言いながら、ナルトは乾してあった服の方へフラフラと地面を這いつくば
るようにして近寄る。
 いますぐ、サスケの前から消えてなくなりたかった。
 今までの軽い怪我とは話が違う。 
 致命傷と言ってもいい傷が、あっさりと治ってしまったのだ。
 今はまだいいけれど、落ち着いて冷静な状況になれば絶対にサスケは疑念
を形にしてしまうだろう。
 どうして、何故、と。
 それがナルトは怖かった。
 この有様を見たのなら、きっと思うだろう。
 思わないはずがない。
 普通の人間が、こんなに早く跡形もなく傷が治る訳がないのだ。
 だが、ならばいったい、こいつは『なんだ』と。
 そこから導き出した答えを手にしたとき、サスケはどんな風に自分を見る
ようになるんだろうか。
 里の大人達が向けるような蔑む冷たい視線を、サスケも向けるんだろうか。
 自分の存在をなき者として、サスケの中から消してしまうのだろうか。
 怖かった。
 出会ってから今日まで過ごして来た日々の中で、折に触れて感じるサスケ
の優しさに何度救われたかしれない。
 でも、それさえもう失ってしまうのだ。
 逃げ出したかった。
 それでこの先の未来が変わるわけではないけれど、二度とサスケと言葉を
交わす事さえ出来なくなるかもしれないと言う事実は変えられないけれど。
 はっきりと拒絶されることが恐ろしかった。 
 何度経験してもそれは辛くて寂しいことで、相手がサスケだったのなら尚
更苦しいだろう。
 気がつかないうちに誰より傍にいるようになって、誰より信頼できる相手
になって、誰より大切だと思えるようになってその隣にいるだけで安心でき
たサスケに背中を向けられたら、息さえできないほど苦しいに違いない、と
ナルトは胸の痛みに歯を食いしばって堪える。
「ナルト、おい、無理するな!」
「放っておけ………ってばよ………ぐ………っ」

                            

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